多摩ファミ定期演奏会のご案内

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 毎年楽しみにしている多摩ファミの

  定期演奏会の季節が近付いて来ました

 ほのぼのとした雰囲気が好きです

  今年のパンフのデザインいいですね  (^_^;)

 

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▲コンミスさん 超似てる~ (^_^;)

 

多摩ファミ 2019定演_02

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▲クリックすると拡大します
新宿駅から日野駅まで、中央線特別快速で30分くらい
日野駅から歩いて15分くらい(バスもあります)
会場は「ひの煉瓦ホール」日野市役所の隣

これまでの多摩ファミへ

 

濱田美栄 信長の子孫をイジメる

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▲濱田美栄

 

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 世が世なら 殺してしまえ ホトトギス

 

 フィギュア男子の五輪代表だった織田信成氏(32)が、関西大学のアイススケート部でハラスメント被害を受けたことが監督辞任の原因と明かした問題で、織田氏が同大の濱田美栄コーチ(60)に民事訴訟を提訴したことが18日、週刊新潮の取材で分かった。

 織田氏は18日の午後2時から大阪地裁の「大阪司法記者クラブ」で会見に臨んで経緯を説明、記者の質疑応答なども行われる予定だという。

母校だから当然だとはいえ、織田氏と関西大学の縁は深い。

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織田氏は大阪府立阿武野高校から関西大学文学部に進学。

2010年にバンクーバー五輪に出場すると、11年3月に大学を卒業した。

同年4月から大学院に進み、15年に修了。

最終学歴は「関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程修了」となっている。

17年に母校スケート部の監督に就任したのだが、今年9月、関大などが退任を発表、メディアは一斉に報道した。

ここでは朝日新聞の記事「織田氏が関大監督を退任 アイススケート」をご紹介しよう。

《関西大学は9日、アイススケート部の織田信成監督兼コーチが同日付で退任したと発表した。後任は未定。同大広報課の担当者は取材に対し、「他の活動が多忙で、監督業との両立が難しくなったのが理由と聞いている」と話した》

ところが織田氏は9月下旬、自身のブログに記事「関西大学アイススケート部監督辞任について」を掲載、関大の説明に異議を唱えた。

《関西大学アイススケート部監督辞任について、一部事実とは異なる報道がありましたので、自分の口から説明させて下さい》

《多忙を理由に監督を辞任したわけではなく、また関西大学との話し合いの場で「多忙で監督として十分な時間が取れない」とは一言も話していません。

辞めた本当の理由は、リンク内で濱田美栄から私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになり、辞任するまでの3ヶ月間リンクに行く事が出来なくなった事とそれに対する関西大学の対応が誠意あるものに思えなかったからです》

これに関大は9月30日、公式サイトに「織田信成さんのブログでの発信について」との反論記事を掲載した。

反論記事で関大は《指導方法をめぐって同部内で意見の相違があったことは認識しています》とし、織田氏が《7月1日に学長に対して所属事務所、弁護士が同席のもと、指導方法等に関する強い要望》が行われたことも認めた。

しかしながら、《時間をかけて複数の関係者に対してヒアリングを行ってまいりましたが、総合的にみてその要望を受け入れることは妥当ではないと判断》したと説明した。

 この状況に週刊新潮が取材を進めると、最終的に織田氏は編集部の“直撃取材”に応じ、記者に重い口を開いた。

10月23日にデイリー新潮が「織田信成が初激白 “関大の女帝”濱田美栄のハラスメントで『うつ状態』に…監督辞任の真相」を速報、翌24日から発売された「週刊新潮10月31日号」には特集記事「『織田信成初激白!』僕は『関大の女帝』濱田美栄に排除された」が掲載された。

これらの記事で織田氏は、自身の退任が関大スケート部の濱田美栄コーチからのハラスメントが原因だったことを明らかにした。

発端は監督就任直後に遡る。

関大のスケートリンクには安全確保のため「1人のコーチがリンクで同時に指導できるのは3人まで」とのルールが設けられていた。しかし“濱田チーム”のサブコーチが5人以上の選手をリンクで滑らせていたのを織田監督が目撃した。

織田監督は濱田コーチに「危ないのでやめてもらえませんか」と申し入れた。

そもそも、このルールは濱田コーチが作ったのだという。

ところが予想に反し、なぜか濱田美栄は「アンタは間違ってる!」と激昂。

以来、濱田美栄はあからさまに織田監督を無視するようになったという。

《「ええ……、そうですね。スケート場で僕とすれ違いそうになると、濱田美栄は直前で“回れ右”をしてしまう。僕とは口も利きたくない様子でした。濱田美栄が僕の方を見ながら他のコーチとヒソヒソ話をすることも増えました。陰では“織田君は監督になってエラそうになった”“監督の権力でスケート部の伝統を変えようとしている”などと嘘を言いふらされて精神的に追い込まれたのです」》(デイリー新潮「織田信成が明かす監督辞任劇の舞台裏 『僕は“関大の女帝”濱田美栄に排除された』」11月4日より)

決定的な亀裂が入ったのは今年1月。関大の体育会は“文武両道”がモットーなのだが、スケート部の一部には成績が低迷している部員も存在した。これを憂慮した織田監督は、勉強時間を確保するため練習時間の変更を提案。濱田コーチも承諾したのだが、3月から実際に時間が変更されると、態度が変わったという。

《「濱田美栄がイラ立つようになって、“この練習時間は評判が悪い!”“これじゃ、子どもたちの練習ができない!”と僕を直接怒鳴るようになった。挨拶も無視され、これまで以上に陰口を叩かれました。以前にも増して濱田美栄による嫌がらせが続き、3月下旬には40度の高熱を出して起き上がれなくなった。結局、10日近く入院することになって、予定していたアイスショーや他の仕事もキャンセルせざるを得ませんでした」》(デイリー新潮「織田信成激白!  “関大の女帝”濱田美栄の『恫喝』と『嘘』と『無視』でうつ状態に追い詰められ…」11月5日より)

記事の最後に織田氏が監督辞任に追い込まれた経緯と、ひどいうつ状態に陥った部分をご紹介しよう。

《度重なるハラスメントの末、ついに織田は“うつ”状態に陥ってしまう。

「6月に入ると耳鳴りがやまず、眩暈(めまい)や吐き気に襲われ、“リンクに行きたくない”と思うようになった。それからの3カ月間は一度もリンクに足を運べませんでした。その間にも濱田美栄は“織田君が私を辞めさせようとしている”という全くのデマを関係者に流していたと聞きます」

こうした状況を知ってもらうため、織田は7月1日に弁護士を伴って学長と話し合いの場を設けている。

濱田美栄による耐え難いハラスメントについて涙ながらに訴えたが、

「学長は“そういうことなら喧嘩両成敗。2人とも辞めてもらうことになると思う”と言う。これには本当に傷つきました。なぜ、大学の文武両道の方針に則って部を変えようとした僕が辞めなくてはならないのか。その後に濱田美栄にもヒアリングをしたそうですが、2カ月待っても僕には何の報告もなかった。それで辞任を決断したのです」》

織田氏が明かした「銀盤の闇」に、大阪地裁はどのような判決を下すのだろうか。

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大饗の儀

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 日本人に生まれて良かった!

    令和の御代が

 ステキな時代になりますように  (^_^;)

 

天皇陛下が大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮の儀」(だいじょうきゅうのぎ)(14、15日)への参列者を招いてもてなされる饗宴(きょうえん)「大饗の儀」(だいきょうのぎ)が16日、皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」で行われた。

安倍晋三首相や三権の長ら約290人が参加。

皇后さまと秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も臨席された。

陛下は正午ごろ、三種の神器のうち剣と璽(勾玉)をささげ持った侍従らと共に会場に入り

「大嘗宮の儀を終え、皆さんをお招きし、

 大饗を催すことを誠にうれしく思います」

とあいさつをされた。

豊明殿では天皇、皇后両陛下のお席の後ろの壁に、大正・昭和・平成の大饗の儀でも飾られた「錦軟障」(にしきのぜじょう)と呼ばれる長さ約9・3メートルの墨絵を配置。

左右の壁には、大嘗宮の儀に米を納めた悠紀(ゆき)地方(栃木県)の那須連山や男体山、主基(すき)地方(京都府)の嵐山や天橋立などの四季の風景と、関連する和歌が描かれた屏風(びょうぶ)が立てられた。

饗宴中は両地方の風俗舞も演じられた。

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参列者の献立は鯛のお造りと尾頭付きなど。

朱塗りの「御台盤」(おだいばん)と呼ばれる両陛下の御膳には、参列者の献立に加えて蒸しアワビなどが並んだ。

大饗の儀は18日も行われる。

 

 

埼玉マップ

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 なかなか良く出来てる地図です

  埼玉国の首都は 池袋だったのか  (^_^;)

 

変わる品川駅

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 とにかく品川駅の1・2番線ホームは混みます

  ホーム上での移動も困難なほどです  (T_T)

 

JR東日本は2011年から品川駅の改良工事を行い、あわせて高輪ゲートウェイ駅開業にともなう線路移設工事もしている。

同駅は東京総合車両センター田町センターの跡地などを利用し、線路を引き直さなければならない必要がある。

線路切換工事は、今回が初めてではない。

2018年6月16日の終電後から17日の10時40分ころまで行われ、この際には京浜東北線の南行(東京駅から品川・横浜方面に向かう路線)が現在の線路に移設され、高輪ゲートウェイ駅の予定地を通ることになった。

あわせてこれまで使用していた品川駅4番線を使用しなくなり、京浜東北線は5番線に移った。

今回の線路切換工事は、もっと大規模になる。

京浜東北線の北行(横浜・品川から東京駅方面)と、山手線が高輪ゲートウェイ駅予定地を通ることになり、それに合わせて一部線路の切り換えなども行われる。

工事は11月15日の終電後から、17日の初電にかけて行われる。

この間、京浜東北線の品川~田町間は運休となる。

さらに山手線は11月16日の初電から16時ころまで大崎~上野間が運休となる。

(昼間の電車を長時間止めて工事をするのは、山手線では始めてかもしれない)

この切換工事により、高輪ゲートウェイ駅予定地を電車は通るようになり、あとは開業を待つだけだ。

高輪ゲートウェイ駅開業にともなう新線の移行と同時並行で行われるのが、品川駅の改良工事である。

品川駅の山手線や京浜東北線のホームでは乗り換えにともなう混雑で人であふれており、それをどうするかが課題となっているのだ。

まず、品川駅の山手線ホーム、1番線と2番線だ。

このホームは横幅が11メートルあるものの、いつも多くの人で混雑している。

そのため、このホームを山手線内回りだけで使用できないか、ということをJR東日本は考えている。

そのために京浜東北線南行を4番線からこれまで上野東京ラインが使用していた5番線に移行し、北行を3番線から4番線に移行する。

そしていまの3番線の線路スペースをホーム拡幅に使用し、そこから山手線外回りに乗れるようにする。

京浜東北線北行と山手線外回りが使用できるホームの幅は13メートル。かなり広い。

上野東京ラインに開業による常磐線の品川始発や、今回の山手線・京浜東北線のホーム改良。

そのためには施設に余裕が必要だった。

品川駅では、7・8・9・10番線が「臨時ホーム」として以前は使用されていた。

ふだんは東京駅発の大垣行夜行列車が「青春18きっぷ」のシーズンに品川発となり、その列車を並んで待つための場所としてこれらのホームが使用されていた。

国鉄の時代には、東北方面への臨時夜行列車のホームとして使用されていたこともある。

そういった余裕のスペースがあったため、これまでの長く続く改良工事の際にもホームの位置をずらしつつ、列車の本数を減らすことなく対応できた。

2022年ころにはホームの改良工事も終わり、広いホームで山手線や京浜東北線が利用できるようになる。

おそらく、かつては臨時列車や団体列車なども多く、長距離列車のためにもこういった臨時のホームが必要だった。

またそういった列車は客車列車だった。

一方でいまは客車列車はほとんど見ることがなくなり、ホームでの車両の待機時間も減っている。

長距離列車のために多くのホームを駅に設置する必要はなくなり、そのぶんを利用者の多い通勤電車のために使うことができるようになっている。

東京駅の東北・上越新幹線ホームのある場所も、かつては長距離列車のためのホームが何本も並んでいたところであり、発車まで長時間待機していた。

そういったスペースを利用して、駅は改良される。

今回の線路切換工事は、高輪ゲートウェイ駅開業という理由だけではなく、品川駅をより広く、使いやすくするためのものである。

過去の時代の設備を有効活用しながら、品川駅は時代に合わせて変わっていくのだ。

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山手線・京浜東北線が運休 191116 _01

山手線・京浜東北線が運休 191116 _02

 

オーケストラ・ノット 11/12

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 今回はウイーンフィルのメンバーも参加

  しかも コンミスは萌慧ちゃん

 藝大の院に合格だそうです おめでとー!

  たぶん余裕で合格だったんでしょうね

 嘉屋翔太くんは開成高校出身 将来有望なピアニスト

  「東大→官僚」の道を蹴って音楽家に  (^_^;)

 

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陸の孤島

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 橋は観光名所になりやすいので

  この面白いデザインの橋は

 このまま残せばいいと思う  (^_^;)

 

台風19号による川の増水で橋が崩れて「陸の孤島」状態だった福島県矢祭やまつり町高地原地区で、

土のうや大型パイプで応急的に造った橋が完成し、3日から通れるようになった。

住民たちは早速、車や自転車で買い物などに出かけ、会社員の石井広美さん(50)は

「ようやく以前の生活を取り戻せる」

と喜んだ。

11世帯約30人が住む同地区では、橋の崩落後、JR水郡線の鉄橋を歩いて行き来していた。

列車の運行が再開した1日以降は、日中の2時間以外通れなくなっていた。

町は半年程度で仮設の橋、3年以内に恒久的な橋の建設を目指す。

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