今年のNHK大河ドラマ
「花燃ゆ」が始まりました (^_^;)
今年のNHK大河ドラマ
「花燃ゆ」が始まりました (^_^;)
こじのりさんの、ライブスケジュール修正です。
ありがとうございます (^_^;)
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小島 のり子 ★を@に
kojinori★mac.com
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こじのりさんから、ライブスケジュールをいただきました。
ありがとうございます (^_^;)
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メリークリスマス♪ クリスマスソングを殆ど吹かないわたしですが(笑)、小さい頃のクリスマスに両親が、わたしの枕元に「おままごとセット」など置いてくれたことなど、ふと思い出したり。
年末2つと、来年のスケジュールです。追加も加えてあります。
自分の音楽が、これからも、ささやかでも幸せな気持ちに、また、わくわくする思いや楽しさへと繋がってくれたら、と思っています。
ライブへのお越しをお待ちしています。
今年もお世話になりました。そして来年もどうぞ、よろしくおねがいいたします。
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小島 のり子 ★を@に
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「たけくらべ」などの作品で知られる明治時代の女性作家、樋口一葉(1872~96年)が通ったとされ、国の登録有形文化財にもなっている文京区本郷の「旧伊勢屋質店」が、解体の危機に直面している。
土地と建物の所有者が「個人で維持するのはもう限界」と売却の意向を示したためで、愛着を持つ地元の有志らが17日夜、区内で保存への道を探る集会を開き、議論を交わした。
文京区などによると、旧伊勢屋質店は江戸時代末期の1860年創業。2階建ての土蔵と木造平屋の座敷棟、木造2階建ての見世(みせ)の3棟(総延べ床面積174・3平方メートル)からなり、関東大震災や東京大空襲にも耐えた。
本郷菊坂に住んでいた一葉は、現在の台東区に転居した後も生活に困ると伊勢屋質店に通い、生計を立てていたとされる。一葉の日記にも衣類を質に出したとする記述があり、24歳で亡くなった時には伊勢屋から香典が届けられたという。
土地と建物は経営者の家族が代々管理し、1982年に廃業した後も、親族が維持・保管してきた。テレビや映画の撮影にもたびたび使われ、2003年には国の登録有形文化財に登録された。02年からは、市民団体「文京の文化環境を活(い)かす会」などが、所有者の親族の協力を得て、一葉の命日にあたる毎年11月23日に一般公開し、13年間で約9000人が訪れていた。
しかし、親族は今年6月、固定資産税などの負担を理由に、「これ以上の維持は困難」と区に土地の借り上げを要請。区は当初、近隣の大学に打診し、平日は授業などに利用し、休日には一般開放できるよう関係者で協議を進めたが、まとまらず、親族は最近になって更地にして売却する意向を示したという。
文化庁によると、国の登録有形文化財を解体するには、国への届け出が必要だが、許可などは不要という。
区の担当者は「区で買い上げるには議会を通さねばならず、簡単には決められない。貴重な文化財なので、所有者のご意向が変わることを祈るだけだ」と話す。
17日夜に開かれた集会には、区内外から約60人が参加。建築家らが建物の歴史的価値を説明し、参加者からは「区に買い上げを依頼する請願書を提出すべきだ」「インターネットで呼びかけて基金を作るべきだ」などの意見が出された。
活かす会は「一葉のファンは全国にいる。どういう形であれ、今の場所で保存できる方法を考えていきたい」としている。
これは保存して欲しいです (^_^;)
平均年齢62・3歳。演者の大半がオレンジ世代という「六本木男声合唱団倶楽部(ロクダン)」の総勢約120人が来年1月、初のオリジナルミュージカル 「ウェスト・サイズ・ストーリー」を上演する。
“本家”の「ウエスト・サイド・ストーリー」から50年後。
65歳以上になった元不良少年たちが集まる老人ホームを舞台にした老人たちの葛藤劇だ。
ロクダンは作曲家の三枝成彰氏が団長で、元首相、政治家、会社社長、弁護士、キャスターら50 代以上の著名人を中心としたメンバーで構成。
2000年から国内外で公演を行っているが、ミュージカルは初めて。
昨年12月から稽古を始め、土日には11 時間ぶっ通しで猛特訓を重ねている。
殺陣師を付けた本格的な稽古に「体が思うようについていかず、けが人も続出」と元日本テレビのフ リーアナウンサー、小倉淳氏(56)。一方、出演メンバー最年長の元WOWOW会長、佐久間曻二氏(83)は「ダンスを踊って足が軽くなった。ゴルフのス コアも上がったよ」と意気ケンコーだ。
ロクダンは全員男性。そのため約半数の女役は男性がスカートや女性用カツラを着けて歌い踊る。「イスに座ると、ぴたりと足が閉じるようになった」(女役の俳優、林和夫氏=58)そうだ。
老人ホームの介護長役を演じる弁護士、ケント・ギルバート氏(62)は、「このミュージカルには生活を楽しくするヒントがある。稽古は重労働ですが、この舞台を見て、何歳からでも楽しめるし、新しいことを始められるんだと希望をもってもらえればうれしい」と話している。
公演は東京・渋谷Bunkamuraオーチャードホールで。
2015年1月14日午後7時、15日午後1時、7時の3回公演。
S席2万円からC席6000円までチケットは各プレイガイドで発売中。
60過ぎたら 不良になろう (^_^;)
こじのりさんから、ライブスケジュールをいただきました。
ありがとうございます (^_^;)
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寒かったりじめじめしたり、でも晴れ間の空は秋らしく澄んでいて好い季節です。
すっかり弱くなってしまったけど、秋上がり(お酒)美味しいです。
来年1月に、新しいCDの録音をすることを決めました。Wisperレーベル。三茶の同店の、小さいけれどかっこいいことをやってくれるレーベルです。詳細またお伝えします。発売は(わたしの事情もあり)少し先になるかもしれません。
11月上旬は関根敏行と初ライブ。スティーブ・グロスマンとも今年共演していました。クールで達者でかっこいいピアノ。オリジナル曲をやってもらうつもりです。
ツアーは、中旬九州単独ツアー。
11/11(火)博多ニューコンボ、12(水)小倉、13(木)博多電気ビル、14(金)久留米、15(土)熊本おくら。
前半3日間は田口悌治と、後半2日間はダンモの先輩 園田智子(p)さんとのコラボです。
下旬は3日間のバースデーツアー。20(木)安曇野いさつ歯科医院、21(金)名古屋スターアイズ、22(土)松阪サライ。メンバーは大橋祐子(p)鈴木克人(b)。スターアイズは卒業生の素敵なフルーティスト、望月あかねに入ってもらって2フルートもやります。
戻ってからは都内のライブが続きます。11/25(火)ピーズバーで恒例のバースデーライブ。
忙しい日々です。が、12月以降はレコーディングのこともあり、ぽつぽつとライブして行く予定です。
お近くの方、ジャズ好きな方、なんとなくの方もお待ちしています。
☆YouTube(動画サイト)再度お知らせ(9月にUPしたのと同じものです)
「最上川舟歌」
「My favorite Things」
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小島 のり子 ★を@に
kojinori★mac.com
jazzkojinori★ezweb.ne.jp
スケジュール詳細は↓
http://web01n.com/?id=kojinori
ウェブhttp://ekimae.net/jazz/kojinori/
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ツイッターhttps://twitter.com/kojinori
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都市再生機構と東京メトロは、2020年の東京オリンピックに合わせて、
地下鉄日比谷線の霞ケ関駅と神谷町駅の間に新しい駅を作ると発表しました。
東京メトロが営業中の地下鉄で新駅を作るのは、1997年の銀座線溜池山王駅以来です。
約240億円の総事業費は国の補助金などで賄い、早ければ来年度にも着工する方針です。
虎ノ門周辺では、五輪の競技会場が集中する湾岸地区とを結ぶバスターミナルなど、交通インフラの整備計画が相次いで明らかになっています。
新しい駅の名前は
「いな吉前」にして欲しい (^_^;)
CGで作られたゴジラがアメリカで暴れ回るハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』(公開中)。
その60年前に公開された、第1作の映画『ゴジラ』では、CGではなくゴム製の着ぐるみが使われていた。
中に入って演じていた「スー ツアクター」(着ぐるみに入って演技する俳優)が中島春雄さん(85才)だ。
東宝所属の俳優だった中島さんは1954年、上司から突然、一冊の台本を手渡された。
「表紙に『G作品』と書いてあって“ゴジラという怪物の役をやれ”と言われました。何を演じるのかまったくわからなかったけど、仕事を選り好みしない信条なので、よろしくお願いしますと引き受けました」
撮影前、役作りのために東京・上野動物園に通った。
「そのころ、インドから贈られたインディラというゾウがいたんです。インディラは足の裏全体を地面に押しつけながら、ゆっくりと進む。
ゴジラの歩き方はゾウを参考にしました。他にもクマの腕の使い方、ハゲタカの首の動かし方などを観察するため1週間ほど通い詰めました」
そして、その年の夏に東宝の撮影所で3か月間の撮影が始まった。着ぐるみの重さは約100kgもあった。
「私が片方ずつ足を入れた後、スタッフが後ろのジッパーを閉めて準備完了です。ゴジラの足には下駄が入っていて、それを持ち上げて動かすんですが、重いのなんのって。海軍で鍛えた体がなかったら動かせなかった(笑い)」
きつい撮影の連続だったが、今でも中島さんが思い出すことは暑さだ。当時はエアコンはもちろん扇風機も珍しかった時代、中の温度は60℃に達したという。
「1カット7秒の撮影が終わると休憩になるんですが、シャツをしぼると汗が滝のようにジャーって出ました。ゴジラの中は自分の汗のにおいで充満していました。くさかったです」
ギャラは1作20万円。
サラリーマンの給料が月3万円の時代に破格の値段だった。
妬みや軽蔑した目で見る俳優仲間は少なくなかった。
「当時はスーツアクターなんて格好いい言葉はなかった。“中に入って演じるなんて俳優の仕事なんかじゃない”と陰口を叩かれることがありました。でもね、ゴジラをゴジラらしく演じられる俳優は私しかいない。そう誇りを持ってやり続けました」
中島さんは、1972年『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』までの12作品でゴジラを演じ続けた。
CG全盛時代になった現在でも中島さんのゴジラを賞賛する声は多い。
※女性セブン2014年10月9日号