●日時 : 2020年 3/20(金・祝日)13:00開演予定
●会場 : 七生公会堂
〒191-0032 日野市三沢3-50-1
京王線 高幡不動駅から徒歩5分
さっそく来年の手帳に
書いておきましょう (^_^;)
さっそく来年の手帳に
書いておきましょう (^_^;)
羽田空港は都心から近くて とても便利です
不便な成田空港は 貨物専用空港にして
旅客は羽田に 集約して欲しいです (^_^;)
東京・羽田空港。
展望デッキの目の前をさまざまな飛行機が轟音(ごうおん)を響かせ飛び立っていく。
方角は同じでも、それぞれ違った軌道を描き、風に翼を乗せていった。
羽田空港の歴史は1931(昭和6)年、53ヘクタールの敷地に1本の滑走路を敷いた「東京飛行場」から始まる。
戦後、米軍に接収されるなどしたが55(昭和30)年に空港ターミナルがオープン。
そして、日本の経済成長、人口増加に合わせ拡張と再開発を重ねてきた。
海外渡航の自由化、ビートルズ来日、ジャンボ初飛行…。
羽田空港はエポックメーキングな出来事の舞台となった。
今や約1500ヘクタールの敷地に3つの旅客ターミナル、4本の滑走路を備え、面積、発着回数、乗降客数いずれも日本最大の空港だ。
国内、国際線を合わせて1日に計約1200回の発着が行われる
朝から夕方まで離着陸する航空機を撮影した。
空気が澄んだ日、午前8時半から午後5時まで、羽田空港の滑走路を離着陸した計70機を、三脚を据えて撮影した。
すべて同じ画角で撮った機体を、その軌道上で1機につき1枚切り抜いて合成してみた。
するとそこには、大空を埋め尽くさんばかりに混雑する首都の玄関口の姿が現れた。
2020年夏、選手や観客がこの空港に降り立ち、東京五輪・パラリンピックへの熱い第一歩を踏み出していく。
▲1972(昭和47)年の羽田空港
世の中には 猫派と犬派がいますが
井伊家・近江彦根藩は 猫派の代表です
徳川家は? タヌキ派? (^_^;)
前足を上げて、福を招いてくれるという「招き猫」。
お店などで飾られているのを目にする機会は多いだろうし、家に飾っている方もいるだろう。
諸説あるものの、そんな招き猫さんたちの元祖が東京・世田谷区にある『豪徳寺』だという。
なんとその『豪徳寺』は、猫好き大歓喜の猫さんだらけなお寺らしい。
ということで、さっそく行ってみたよ〜!
鹿児島の日常風景だそうです
実に美しいなぁ
目の前で見たかった (^_^;)
皇后陛下雅子さまが「お若い」と話題です
最近はご表情も明るくなられたようで
とても喜ばしいことだと思います (^_^;)
天皇皇后両陛下は、「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」が終わったことを伝える儀式として伊勢神宮に参拝するため、21日から三重県を訪問されています。
両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下のご即位後、初めてです。
両陛下は、21日午後0時半前に、JR東京駅の貴賓玄関に到着されました。
両陛下は東海道新幹線のホームで、見送りに来た山東参議院議長などからあいさつを受け、にこやかな表情で一人ひとりとことばを交わし、臨時の専用列車に乗り込まれました。
両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下の即位後、初めてで、歴代天皇に伝わる三種の神器の剣と曲玉が持ち出され、側近の職員によって、列車の中に持ち込まれました。
両陛下は名古屋駅で私鉄の専用列車に乗り換え、午後4時半前に三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅に到着されました。
駅前では詰めかけた大勢の人たちから大きな歓声があがり、両陛下は、笑顔で手を振って車に乗り込まれると、歓迎にこたえながら宿泊先の伊勢神宮の内宮(ないくう)に向かわれました。
沿道では薄暗い中、子どもからお年寄りまで1万人を超える人たちが、手や小旗を振って歓迎し、両陛下の車列は、スピードを落として集まった人たちの前をゆっくりと進んでいました。
両陛下は、午後5時すぎに内宮に到着され、入り口にある宇治橋を車でお渡りになって、宿泊先の行在所(あんざいしょ)に入られました。
行在所では、天皇陛下の妹で伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主(さいしゅ)」を務める黒田清子さんらがお出迎えしたということです。
両陛下は22日は伊勢神宮の外宮に、23日は皇室の祖先とされる「天照大神」をまつる内宮にそれぞれ参拝し、「即位の礼」や「大嘗祭」が終わったことを伝えられる予定です。
天皇皇后両陛下を歓迎しようと、伊勢神宮内宮近くのおはらい町では、ちょうちん行列が行われました。
ちょうちん行列は、伊勢市や地元の商工団体などで作る委員会が企画し、およそ2000人の参加者は、21日午後6時半すぎから高さ20センチほどの赤と白のちょうちんを受け取り、道いっぱいに並んでゆっくりと、おはらい町を歩き始めました。
いくつものちょうちんの明かりが揺れる中、参加者は宇治橋に向かって歩いていました。
ことし4月に今の上皇さまと上皇后さまが三重県を訪問されたことを歓迎するために行われたちょうちん行列では、ちょうちんにろうそくが使われていましたが、委員会によりますと、今回は安全対策としてLEDライトを点灯させているということです。
伊勢市の40代の男性は
「昭和、平成、令和と時代の流れを感じながら行列に参加しました。
令和の時代が明るい時代になってほしいです」
と話していました。
▲現在の上皇さまと上皇后さまを歓迎するちょうちん行列
ことし4月に三重県にて
ますます安全で便利になっていく
日本の電車 (^_^;)
人口減少、デジタル化、グローバル化。
日本の経済社会は、この三大トレンドを前に事業構造の大変革が求められている。
もはやこれまでの延長線上には将来が描けない。
多くの企業が、この大変革の中で構造改革を急いでいる。
こうした動きは、安定的な事業基盤の上に成り立っているとみられがちな鉄道関連事業にとっても例外ではない。
「鉄道の場合、事業全体に占める保守関連コストの割合は2~3割ともいわれている。労働人口減少を背景とした人手不足の中で、鉄道車両や関連設備の維持管理、保守を担う人材の確保も課題となりつつある」
(三菱電機の福嶋秀樹・執行役員社会システム事業本部副事業本部長兼神戸製作所長)
そして、改革の中核であり鍵を握るのはデジタル化。
鉄道会社にとっては、維持管理や保守の省力化や自動化に加え、運行の高度化や利用者に対する案内など、さまざまな分野でIoT(モノのインターネット)化や人工知能(AI)の活用といったデジタル化が求められている。
こうした中で、ひときわ存在感を高めているのが三菱電機だ。
このため、鉄道関連企業というイメージは持たれにくいが、モーターやブレーキにはじまり、車上にあるさまざまな制御装置、車内のディスプレーやエアコンなど、車両そのもの以外は何でもそろう国内有数の“鉄道関連企業”なのだ。
さらに、注目されているのはIoT関連の技術力。
三菱電機の鉄道分野における戦略も、デジタル化が前面に押し出されている。
いわば、鉄道版の“ITソリューション”展開に主眼が置かれている。
▲山潤さんが開演前の行列整理もしてました (^_^;)
(クリックすると拡大)
▲開演前のロビーコンサート
▲演奏が終了したところ
とにかく品川駅の1・2番線ホームは混みます
ホーム上での移動も困難なほどです (T_T)
JR東日本は2011年から品川駅の改良工事を行い、あわせて高輪ゲートウェイ駅開業にともなう線路移設工事もしている。
同駅は東京総合車両センター田町センターの跡地などを利用し、線路を引き直さなければならない必要がある。
線路切換工事は、今回が初めてではない。
2018年6月16日の終電後から17日の10時40分ころまで行われ、この際には京浜東北線の南行(東京駅から品川・横浜方面に向かう路線)が現在の線路に移設され、高輪ゲートウェイ駅の予定地を通ることになった。
あわせてこれまで使用していた品川駅4番線を使用しなくなり、京浜東北線は5番線に移った。
今回の線路切換工事は、もっと大規模になる。
京浜東北線の北行(横浜・品川から東京駅方面)と、山手線が高輪ゲートウェイ駅予定地を通ることになり、それに合わせて一部線路の切り換えなども行われる。
工事は11月15日の終電後から、17日の初電にかけて行われる。
この間、京浜東北線の品川~田町間は運休となる。
さらに山手線は11月16日の初電から16時ころまで大崎~上野間が運休となる。
(昼間の電車を長時間止めて工事をするのは、山手線では始めてかもしれない)
この切換工事により、高輪ゲートウェイ駅予定地を電車は通るようになり、あとは開業を待つだけだ。
高輪ゲートウェイ駅開業にともなう新線の移行と同時並行で行われるのが、品川駅の改良工事である。
品川駅の山手線や京浜東北線のホームでは乗り換えにともなう混雑で人であふれており、それをどうするかが課題となっているのだ。
まず、品川駅の山手線ホーム、1番線と2番線だ。
このホームは横幅が11メートルあるものの、いつも多くの人で混雑している。
そのため、このホームを山手線内回りだけで使用できないか、ということをJR東日本は考えている。
そのために京浜東北線南行を4番線からこれまで上野東京ラインが使用していた5番線に移行し、北行を3番線から4番線に移行する。
そしていまの3番線の線路スペースをホーム拡幅に使用し、そこから山手線外回りに乗れるようにする。
京浜東北線北行と山手線外回りが使用できるホームの幅は13メートル。かなり広い。
上野東京ラインに開業による常磐線の品川始発や、今回の山手線・京浜東北線のホーム改良。
そのためには施設に余裕が必要だった。
品川駅では、7・8・9・10番線が「臨時ホーム」として以前は使用されていた。
ふだんは東京駅発の大垣行夜行列車が「青春18きっぷ」のシーズンに品川発となり、その列車を並んで待つための場所としてこれらのホームが使用されていた。
国鉄の時代には、東北方面への臨時夜行列車のホームとして使用されていたこともある。
そういった余裕のスペースがあったため、これまでの長く続く改良工事の際にもホームの位置をずらしつつ、列車の本数を減らすことなく対応できた。
2022年ころにはホームの改良工事も終わり、広いホームで山手線や京浜東北線が利用できるようになる。
おそらく、かつては臨時列車や団体列車なども多く、長距離列車のためにもこういった臨時のホームが必要だった。
またそういった列車は客車列車だった。
一方でいまは客車列車はほとんど見ることがなくなり、ホームでの車両の待機時間も減っている。
長距離列車のために多くのホームを駅に設置する必要はなくなり、そのぶんを利用者の多い通勤電車のために使うことができるようになっている。
東京駅の東北・上越新幹線ホームのある場所も、かつては長距離列車のためのホームが何本も並んでいたところであり、発車まで長時間待機していた。
そういったスペースを利用して、駅は改良される。
今回の線路切換工事は、高輪ゲートウェイ駅開業という理由だけではなく、品川駅をより広く、使いやすくするためのものである。
過去の時代の設備を有効活用しながら、品川駅は時代に合わせて変わっていくのだ。
▲クリックすると拡大します
台風19号の被害で運休していたJR中央線の特急「あずさ」(松本-新宿など)や「かいじ」(甲府-新宿など)の運転が28日始発から再開され、長野県の中南信地方や山梨県と東京を結ぶ大動脈が16日ぶりにつながった。
甲府駅で午前7時18分発の新宿行きかいじ2号を待っていた東京都八王子市の大学3年、坂井勇樹さん(21)は
「各駅停車で甲府に帰省していたが、特急が動いてよかった。山梨県民にとって、あずさやかいじは生活の一部」
とほっとした様子。
午前7時39分発の東京行きあずさ2号に乗り込んだ会社員、高橋あずささん(38)は
「昇仙峡(しょうせんきょう)を観光するため高速バスで甲府に来たが、名前と同じあずさで帰れてうれしい」
と話した。
列車は平原綾香さんのデビュー曲「Jupiter(ジュピター)」の発車メロディーとともに走り出した。