1965年1月から1966年1月までTBS系列で放送 27回生は9歳くらい
30世紀のタイムパトロールであるジェッター
周囲の時間を30秒だけ止められる タイムストッパー
←これは航空会社ジェットスターのアイドル ジェッ太 (^_^;)
1965年1月から1966年1月までTBS系列で放送 27回生は9歳くらい
30世紀のタイムパトロールであるジェッター
周囲の時間を30秒だけ止められる タイムストッパー
←これは航空会社ジェットスターのアイドル ジェッ太 (^_^;)
北海道新幹線の3/26開業に伴い廃止となる、JRが定期運行する最後の夜行急行「はまなす」の最終列車が22日早朝、終点の札幌駅に到着、多くの鉄道ファンらが出迎えた。
青函トンネルを通った最後の在来線旅客列車となった。
午前6時すぎ、朝日を受けてはまなすが入線すると、鉄道ファンらがシャッターを切っていた。
「次第に明るくなっていくのが感動的だった。惜しくて眠ることができなかった。しばらく余韻に浸りたい」
駅に妻と降り立った千葉市の会社員、住田直哉さん(37)は興奮した様子だった。
写真を撮るために横浜市から飛行機で札幌に来た横浜市の中学3年、福島悠太さん(15)は「切符がとれずに1度も乗れなかったが、歴史的な客車の最後を見られてよかった」と話していた。
車掌を務めた高桑正人さん(52)は「24年間、はまなすに乗車してきました。ラストランに乗車でき感謝し、安堵しました」と語った。
「28年間 夢と希望をのせて走ってきました。感謝するともに、26日の新幹線をよろしくお願いします」などと最後の車内放送を行ったという。
青函トンネル開通とともに青森ー札幌間の運行を開始したはまなすは、約28年間の歴史の幕を閉じた。
青函トンネルを走る在来線の列車は今後、新幹線の電圧や運行システムに対応した貨物列車のみになる。
はまなすの運行終了で、明治時代から続く「急行列車」の歴史に幕が下りる。
2010年の青春18きっぷ北海道旅で乗りました
3月は古いものが消え去る月だなぁ (T_T)
▼2010年の写真
2015 年10 月27 日発行
新宿高校27回生(G組)吉上恭太
佐野さん ご紹介ありがとー (^_^;)
■50歳から歌いはじめたミュージシャン、吉上恭太。
生業は翻訳家、これまでに雑誌社や児童書版元で働いたり、フリーのライターとしてさまざまな仕事をし たりしてきたなかで出会った人たちのこと、立ち止まって考えてきたこと、つねに傍らにあったギターと音楽のことなどを、飾らない人柄そのままの筆致でつづ る。
『本のメルマガ』のWEB 連載に書き下しを加えた、著者初のエッセイ集です。
「吉上さんの静かな、力強い世界が好き」(「本のメルマガ」15日号編集長・畠中理恵子)
T174×Y109ミリ判並製カバー 256頁 本体1500+税
ISBN978-4-908494-01-7 C0095
挿画:あまのさくや(さくはんじょ) / 装丁:千葉 泉
詳細はこちらから → http://tomasonsha.com/?mode=f9 アマゾン
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1964年の東京五輪の象徴となった国立競技場(東京)の聖火台が27日、移設された東日本大震災の被災地・宮城県石巻市で点火され、燃えさかる炎に被災者らが故郷の再生を祈った。
聖火台は直径、高さとも約2・1メートル、重さ約2・6トンで、市総合運動公園のコンクリート製台座の上に設置。
雨が降る中、アテネ五輪の陸上男子ハンマー投げ金メダリスト室伏広治さん(40)が火の付いたトーチを聖火台にかざすと、オレンジ色の炎が勢いよく空に舞い上がった。
室伏さんは「みんなの笑顔が見られてよかった。(聖火台の設置で)東北の復興に拍車が掛かってほしい」と語った。
空に描かれた 飛行機雲の五輪
小学生のころ 見ましたよ (^_^;)
毎日たくさんの航空機が飛んでいるおかげで世界がとても近くなりましたが、実際にどの航路を、どのくらいの数が飛んでいるのかは、なかなかイメージできるものではありません。
世界のフライトの24時間の動きを視覚化したシミュレーション映像がありましたので、ご覧ください。
虫の大群のように、24時間絶え間なく飛んでいるのがわかりますね。
アメリカ、欧州、中国、日本の交通量の多さや、夜になると減り、夜明けになると増える様子まではっきりわかって興味深いです。
常にこれだけの飛行機が地球全体を覆っていると思うと、人類の凄さを感じてしまいます。
これだけ うじゃうじゃ飛んで
めったに落ちない
かなり安全な乗り物です (^_^;)
米航空宇宙局(NASA)は6日、ハッブル宇宙望遠鏡が昨年9月に撮影した、地球から6500光年先にある「わし星雲」(M16)の新たな画像を公開した。
立ち上る柱のようなガス状物質の中で、新たな星が次々に誕生する様子がとらえられている。
ハッブルが1995年に撮影した星雲の画像は、地上の望遠鏡でとらえることができない鮮明さと美しさから、最も有名な天体画像の一つとして知られている。
その後ハッブルには新たなカメラやセンサーが加わって性能が向上。
2倍の解像度と広い視野、薄いガス状物質を通り抜ける近赤外線データによって、従来より鮮明な画像が得られた。
なんと美しく なんと神秘的 (^_^;)
全日空系のエアーニッポン(ANK)機が3年前、トラブルで副操縦士(41)がスイッチの誤操作を12秒も続けながら、異常に気づくのが遅れ、慌てて操縦したため余計に機体が傾いたことがわかった。
静岡県沖で約1900メートル急降下し、機体が裏返しになった。
国の運輸安全委員会が25日、調査報告書を公表した。
トラブルは2011年9月6日夜、高度1万2500メートル付近で発生。
那覇発羽田行き全日空140便(ボーイング737―700型、乗客乗員計117人)が急降下し、客室乗務員2人が軽傷を負った。
副操縦士はトイレから戻った機長(67)を操縦室に入れる際、ドアを開けるスイッチでなく、垂直尾翼のかじを動かすスイッチをひねった。
3カ月前 まで乗務していた旧型機のドアのスイッチと、700型機のかじのスイッチが似た場所にあり、副操縦士は調査に誤操作を認めたという。
ANKは訓練の際、両機種のスイッチが紛らわしい点を明確に注意していなかった。
航空機の操縦スイッチの配置設計って
こんな馬鹿げた世界なの? ((((;゚д゚))))
2010年10月26日 都立新宿高校 校長室
座談会出席者
西村雄一さん(新宿高校出身)
篠田校長先生
霧生先生
小口先生
PTA役員
広報委員
サッカー部員
子供の頃に親しんだプラモデル作りを再び始める男性が増えている。
その中心がシニア層と、一歩手前の中高年。
プラモデルの質の向上に加え、精神的ゆとりがきっかけになっているようだ。
←タミヤプラモデルファクトリートレッサ横浜店
◆最高齢は88歳
接着剤がはみ出した部品を磨いたり、塗装の出来具合をチェックしたり…。
横浜市港北区の「タミヤプラモデルファクトリー トレッサ横浜店」の工作スペースでの光景だ。
工作スペースの利用料は30分257円からで、4時間以上は2057円(有料会員1028円)。
黙々と続く作業が一段落したら、取り組み中のプラモデル を見せ合い、談笑が始まる。
外車のプラモデルを楽しむ神奈川県茅ケ崎市の高橋敏さん(61)は「同じ趣味を持つ異業種の人と気兼ねなく好きな話をして交流 できる」。
昭和33年頃、国産初のプラモデルが発売されると、国内メーカーが相次いで参入した。町の専門店でプラモデルキットを購入し、組み立てや塗装に悪戦苦闘 した経験を持つのも中高年。
東京都目黒区の加藤一秀さん(47)は「社会に出て、家族を持ったらプラモデル作りをやめていた。子供も大きくなって自分の趣 味に『出戻り』する。僕もその一人」と笑う。
プロモデラーでプラモデル作りの講習会の講師も務める長谷川伸二さんによると、受講者の最高齢は88歳の男性。かつて戦艦大和のプラモデルに挑戦した が、完成に至らなかったという。
長谷川さんは「(男性は)新しく発売された戦艦大和を作りたいと、半年かかって講座で製作した」と話す。
◆大人のたしなみ
東京・新宿の「模型ファクトリー」も手ぶらでも模型製作ができる貸しスペースが併設されている。
店員はプロモデラーで、相談しやすい環境を整えた。
利用 者の約3割が中高年・シニア層の男性で、運営会社、ライデンシャフトの有馬律雄さんは「プラモデルはものづくりの楽しみを実感できる。大人のたしなみとし て根付いてくれれば」。
プラモデル雑誌の発行人も務めた長谷川さんはシニア層がプラモデルに出戻る心理について、「プラモデルキットそのものが精巧になり、ストレスなく作れる 環境になっている。いい年になった大人が始めるのだから趣味で挫折はしたくない、楽しみたいとの思いもあるからでは」と分析している。
■愛好歴は50年超え 石坂浩二さん
俳優の石坂浩二さん(72)もプラモデル愛好家「モデラー」の一人で、同好会「ろうがんず」を立ち上げ、老眼モデラーと交流を続けている。6年目の今秋には横浜市内でコンテストを開くという。プラモデルへの思いを語ってもらった。
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子供時代、プラモデルは高価でね。木を削って模型作りをしていたが、芝居に熱心になって中断。
再開後からのプラモデル歴は50年は超えました。作るのは 飛行機で、第二次世界大戦中の欧州機が好き。接着工程は急ぐと部品が後から取れることもあるから、きりのいいところまで毎日少しずつ作っています。
昔と比 べ精密になり、細部の再現力が上がり、飽きがこない。1人で全部やれるから、自分でいいと思うようにやればいいのも魅力だと思う。
プラモデルを趣味にしてきたことで、気づかぬうちに仕事にも役立ち、仲間ができた。1人でやるものとは言ったが、長年やっていると、同好の士が必要と感じ、ろうがんずの発起人になった。情報交換が主で、プラモデルキットへの愚痴が多いんですけど、それも楽しみです。
コンテストを企画したのはプラモデルを話題にしてほしいから。これからは長寿社会で、女性は夫がいなくても何らかのつながりがあるが、男性は会社を抜け たら1人になる。
共通言語で仲間と話せる趣味は必要で、そんな潤いがないと元気でいられない。
プラモデルだったら製作中のワクワク感も得られる。昔と比 べ、塗料のにおいも薄くなり、水性塗料を選べば溶剤臭もない。
だから、女性には夫がやり始めたら止めずに喜んであげてもらいたい。
プラモデルメーカーも、 シニアや「出戻り組」向けにパーツが少なく組みやすい製品を開発してほしいですね。