最終ページ(裏表紙)を見たら、ゼンショー(すき家の牛丼)の広告が載っていて、先日4/6、77歳で亡くなられた小川賢太郞さん(19回生)の名前があります
我々27回生とは8年違いですが、この違いは決定的でした
全共闘運動が、彼の人生を決定的に変えた
彼は港湾労働者(沖仲仕)の組織化に取り組み、オルグとして自ら港湾労働の世界に飛び込みました
私は最近、ホッファーという人(沖仲仕として働き続けた哲学者)の本を読みました
社会の最低辺で肉体労働に汗を流す沖仲仕たちへ共感と仲間意識
もしかすると小川賢太郞さんも、ホッファーを読んでいたのかもしれない
しかしコンテナ物流革命によって、沖仲仕は世の中から消えた
そして、そこからの方向転換と躍進が、まさに超人的!
極度の「筋トレおたく」だったそうで、会社にはベンチプレスを置いてあって、社員にもすすめていた(一時は義務づけていた)
「日本人は欧米人に比べて体格が貧弱すぎる。ちゃんとベンチプレスやって体鍛えて牛丼を食ってれば戦争に負けなかった」
というのが口グセで、日本が戦争に負けたことがよほど悔しかったのかもしれません
ご冥福をお祈りします
週刊誌記事(週刊ポスト2014年4月25日号)によると
1948年生まれの団塊世代で、1968年に都立新宿高校から東大に入学
全共闘運動に身を投じるが、安田講堂の“落城”で敗北を味わう。
そのときの身の振り方が他の学生と決定的に違った。
多くの学生が教室に戻り、就職したのに対し、大学を中退
港湾労働者(沖仲仕)を組織化すべく、荷役会社へと 潜り込んだ。
そんな挫折と幻滅を味わい、逆に資本主義の優位性を痛感する。
今度は、「資本主義体制の下で世界の飢餓と貧困を撲滅する」という大目標を立て、急成長中だった吉野家に入社した。
1978年のことだ。これが今に至る道の始まりだ。
小川氏が入社した2年後(1980年)、吉野家は経営危機が表面化した。
小川氏は孤軍奮闘して自主再建を目指したが、会社は会社更生法の適用を申請。
「米、牛肉、醤油というシンプルな組み合わせの牛丼は必ずハンバーガー並みにポピュラーになる」と確信していた小川氏は3人の部下を引き連れて独立し、ゼンショーを設立した。1982年のことだ。
社名の「ゼンショー」は「全勝」という意味
そこには、敗北の連続だった小川氏の「これからは全戦全勝だ」との思いが込められている。
独立した小川氏は軍隊のような「鉄の規律」を導入した。
それを物語るのが、企業理念に加え、社員や店舗スタッフの動き方までこと細かく記した「ゼンショーグループ憲章」だ。
たとえば、カウンター席の客には、注文から原則10秒で牛丼を出す。
外食産業に詳しい経営コンサルタントによれば、これは「業界最速」だ。
「営業報告から掃除に至るまでやるべきことのタイムテーブルも秒刻み。時間管理の厳しさは本社の管理部門でも同様で、商談は30分以内、歩く時は1秒に2歩以上が求められる。外食産業の多くでマニュアル化が進んでいるが、ゼンショーは突出している」
ちなみに、社員には筋力トレーニングや朝礼時のスクワットが義務付けられていたこともある。











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