日本人の“新たな国民病”とも言える、逆流性食道炎について解説をしましょう。
逆流性食道炎は、胃酸や胃の内容物が食道に逆流することによって起きる食道の炎症です。
日本の環境が清潔になったことや、胃がんのリスクを下げるためにピロリ菌を積極的に除菌していったことによって、日本人のピロリ菌の感染率は激減しています。
ピロリ菌が起こす萎縮性胃炎のせいで低下していた胃酸の分泌量は、正常レベル近くまで戻ってきました。
加えて食生活の欧米化(高脂肪食)や過食によって、胃酸が過剰に分泌されるようになり、逆流性食道炎になる人が急増しています。
逆流性食道炎は様々な症状を引き起こしてQOL(Quality of life 生活の質)を落としてしまいますが、何より問題になるのは、「食道がんのリスクが上がる」という点です。
慢性的に炎症が続いている場所では発がんのリスクが上昇します。
これは、ピロリ菌による胃炎から胃がんが、ウイルス性肝炎から肝臓がんが生じることとまったく同じです。
逆流性食道炎が関与するのは、食道がんの中でも「腺がん」というタイプで、欧米の食道がんは、50%以上が「腺がん」です。
肥満の多い欧米では、逆流性食道炎からできる食道腺がんが増えていることが深刻な社会問題になっています。
つまり私たち医療者は、「胃がんのリスクを減らそう」とせっせとピロリ菌を除菌してきましたが、それが逆流性食道炎を増やし、結果的に食道腺がんのリスクを上げている可能性が出てきているのです。
この点に関して、実は全く予想外のことが起きているというわけではありません。
除菌が逆流性食道炎を起こし得るということは、もともと医療者の中でも懸念されていました。
ただし日本の場合、食道がんの90%以上が「扁平上皮がん」という別のタイプで占められています。
「腺がん」は食道がんのごく一部にすぎないため、「欧米人と違って、日本人は体質的に腺がんになりにくいのだろう」と楽観的に考え、あまり問題視されてこなかったのです。
ピロリ菌の除菌でやっぱり食道がんは増えている?
そして、どうやら逆流性食道炎による発がんが増え始めているようなのです。
この問題はメディアでもほとんど取り上げられていません。けれど上の図で分かる通り、増加傾向にあるのは明らかです。
もちろん、ここで増加した分がすべて、ピロリ菌の除菌によるものであるというわけではありません。
除菌が爆発的に行われるようになったのは2013年以降なので、そこから逆流性食道炎になって発がんしたとしたら時間軸が合いませんから。
おそらく、「ピロリ菌感染の自然低下→逆流性食道炎の増加」が、腺がんの増加として反映されているのでしょう。
ただし、この増加分が除菌とは無関係だとしても、「逆流性食道炎になれば、日本人でも腺がんが増える」ということは読み取れます。
つまり除菌によって逆流性食道炎になれば、タイムラグはあるものの、将来的に腺がんになるリスクが上がるだろうということです。
ここまで読み進めて、「医者に勧められるがままにピロリ菌の除菌をしたのに、どうしてくれるんだ!」と思った人もいるかもしれません。
患者数を比べてみると、現状では腺がんは食道がんの10分の1以下で、さらに食道がんが胃がんの5分の1程度です。
腺がんを多く見積もったとしても、胃がんの50分の1ということになります。
つまり、胃がんのリスクを減らすことの方が、優先順位は高いのです。
もちろん、ピロリ菌を除菌したら自動的に逆流性食道炎になるわけでもありません。
除菌によって胃酸が活発に分泌されるようになったとしても、あくまで本来あるべきレベルに近づくというだけです。
それが逆流するかどうかは、日頃の食生活の内容や量、肥満の程度などが大きく影響しています。
適切な生活習慣が守られていれば、簡単には逆流しません。
その上でも、この問題については、医療者もやや不用意だったのかもしれないと自戒を込めて考えています。
除菌で胃酸が増えることに加え、ご飯がおいしくなり、体重増加から逆流性食道炎になってしまったという人が結構います。
総合的に、ピロリ菌の除菌の必要性や妥当性は現状でも揺るぎませんが、除菌はしっかりとした生活習慣の指導とセットであるべきだったのでしょう。
さて、ではそのようなリスクをはらんだ逆流性食道炎になってしまったら、どうすれば良いでしょうか。
暴飲暴食、肥満は逆流性食道炎の敵
前述したように、発症には生活習慣が深く関わっているので、まずはその見直しから始めましょう。
暴飲暴食をしない、食後3時間以上空けてから就寝する、肥満の場合はダイエットをする、などが重要になってきます。
肥満の改善には運動が有用ですが、あまりに激しいトレーニングや筋トレは腹圧をかけて、むしろ逆流を助長するので注意が必要です。
仕事が忙しくて帰宅が遅く、どうしても夕食が遅くなる人もいると思います。
その場合、本来の夕食の時間に軽く食事を済ませ、帰宅後はごく少量を追加する方がいいでしょう。
生活習慣の改善で治らなければ、胃酸の分泌を抑える薬(PPIなど)が有効です。
世界中で逆流性食道炎の患者が増え続け、今や膨大な量のPPIが処方されています。
抗がん剤など高額な薬を抑えて、金額ベースでTOP10に入ることもあるほどです。
効果があるからこそ世界中で使用されているわけですが、あくまで薬なので、副作用に注意が必要です。
長期間服用すると、骨粗鬆症(特に女性)、腎臓病、特殊な腸炎、心臓病、肺炎、認知症のリスクが上昇すると言われています。
胃酸だって、必要があるから分泌されているのです。とにかく止めればいいというわけではありません。
自然の摂理に逆らえば、必ず何らかの反動は出てきます。
症状がおさまった後も、漫然と飲み続けるというのはお勧めできません。
つまり「薬を飲んでいれば暴飲暴食しても大丈夫」というわけはないのです。
症状が強い場合、PPIの内服が必要ですが、それと並行して生活習慣の改善に努め、最終的には逆流性食道炎からも薬からも卒業するのが、一番理想的なゴールなのです。
(参考文献)
逆流性食道炎ガイドライン
Lagergren J, et al. Symptomatic gastroesophageal reflux as a risk factor for esophageal adenocarcinoma. N Engl J Med. 1999;340:825-31.
Trivers KF, et al. Trends in esophageal cancer incidence by histology, United States, 1998-2003. Int J Cancer. 2008;123:1422-8.
天野 祐二、他. 本邦におけるBarrett食道癌の疫学―現況と展望― 日本消化器病学会雑誌 2015;2:219-231