老化は目から
などと言いますけど
この記事がもし本当なら
非常に朗報です (^_^;)
老化による視力の低下は、ミトコンドリアの能力減退による、網膜細胞のエネルギー不足が原因
ミトコンドリアには、可視光の赤(650~1000nm)を吸収する性質がある
ワイヤレス式充電器の原理を使って、目のミトコンドリアに可視光を浴びせて充電すると、視力が回復した
老化は目から
などと言いますけど
この記事がもし本当なら
非常に朗報です (^_^;)
老化による視力の低下は、ミトコンドリアの能力減退による、網膜細胞のエネルギー不足が原因
ミトコンドリアには、可視光の赤(650~1000nm)を吸収する性質がある
ワイヤレス式充電器の原理を使って、目のミトコンドリアに可視光を浴びせて充電すると、視力が回復した
錬金術と言うと、ハイリスクの投資とか、現代では危ない金儲けを意味しています
本来の錬金術とは、普通の安い金属類(銅とか鉛とか)を、金・銀などの貴金属に変化させようとする術です
もちろん、そんなことは不可能なのですが、あのニュートンでさえ、これに夢中になってます
黄金の生成には失敗しましたが、近代的な化学を生み出す母体となりました
黄金づくりと共に追及されたのが、不老不死のクスリです
秦の始皇帝が全てを手に入れたあと、最後に望んだのがこれで、徐福を日本に遣わしたりしました
ブラジルの大統領じゃないけど、「人間はいずれ死ぬもんだ」という宿命には、絶対に逆らえない
人間に出来ることは、せめて生きてる間だけは、好きなことをして人生を楽しむこと
(^_^;)
むかし いま55歳
ブルック・シールズ 1965年5月31日生まれ
天皇陛下も独身時代に
ファンだったそうですが
雅子さまで良かった!
と思ってしまいます (^_^;)
むかし いま 56歳
雅子妃 1963年12月9日生まれ
ブルック・シールズ
1978年の映画「プリティ・ベビー」(→)での役どころが話題を呼び、その後も1981年の「青い珊瑚礁」などの数々のドラマに出演しましたが、学業に専念するために一時期芸能界から離れています。
菜食主義で動物愛護活動家のブルックですが、近年ではドラマ「ザット’70sショー」や「リップスティック・ジャングル」、「チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ」などに出演しています。
最近では、ドラマ「ジェーン・ザ・ヴァージン」に出演しています。
女優の安達祐実さんが4月9日、女性誌『ELLE Japan』のYouTubeチャンネルに出演して私物のバッグの中身を紹介。
ネット上で呼ばれることが多いという“ロリババア”の愛称をデザインしたスマホケースを愛用していることを明かしています。
もう公認でいいんですね!
38歳を迎えた現在も、幼少期から変わらない“ロリかわいい”ビジュアルをキープしている安達さん。
ネット上では、少女のような見た目ながら実年齢がずっと上の2次元キャラクターをロリババアと表現する文化がありますが、その条件をまさかの“3次元”で満たしている安達さんも一部ではその愛称で呼ばれています。
動画の中で私物紹介を行っている安達さんは、
「私結構ネットで、『安達祐実ロリババア』って言われることが多いので
もうこんなに言っていただけるなら、自ら名乗ろうと思って」
と“LORIBBA”と印字されたスマホケースを自作して使用していることを告白。
スペルをLORIBBA(正しくはLOLIBBA)と間違えていることもキュートですが、このエピソードを笑顔で話す懐の広さを見せており、どうやらロリババアという愛称を全く不快には思っていないようです。
優しいな!
視聴者からは、
「ロリババアって自分で書くのかっこいい 笑」
「iPhoneケースどこのブランドかなと思ったら…ロリババア 本当に可愛いです」
「ロリババア どんなことがあっても面白がれるマインド素敵すぎ」
などまさかのデザインに驚きの声があがった他、
「もう年齢不詳だな~ 少女みたいな大人の女性」
「え? 20代だよね?」
「なんなんや、、、若すぎやろ、、、」
など驚異の“ロリババア”ぶりにも大きな反響が寄せられています。
本当にかわいいな……。
最近、大学時代の研究室の友人が、心筋梗塞で急逝し、まさに「早すぎる死」を痛感しました
下の文章は、哲学者・三木清の『人生論ノート』の抜粋です。この文章を書いたとき、昭和十年代なかば、彼は40歳前後でした
戦前の平均寿命は50歳にも満たず、40歳はすでに初老でした
* * * * * * *
近頃私は、死というものをそんなに恐しく思わなくなった。
年齢のせいであろう。
以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。
思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。
この数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。
愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに従って、死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる。
生れてくる者よりも死んでいった者に一層近く自分を感じるということは、年齢の影響に依るであろう。
三十代の者は四十代の者よりも二十代の者に、しかし四十代に入った者は三十代の者よりも五十代の者に、一層近く感じるであろう。
この年齢に達した者にとっては死は慰めとしてさえ感じられることが可能になる。
死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られている、今も私の心をとらえて離さないパスカルにおいてさえも。
パスカルはモンテーニュが死に対して無関心であるといって非難したが、私はモンテーニュを読んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。
最上の死は、あらかじめ考えられなかった死である、と彼は書いている。
* * * * * * *
この場合の「東洋の智慧」とは、主に老荘のことでしょうね
モンテーニュの主著『エセー』は、私の座右の書です
次の文章は、『エセー』1-20
「哲学を極めることは、死ぬことを学ぶこと」
よりの抜粋です
* * * * * * *
足をしっかり踏まえて死を受けとめ、これと戦うことを学ぼう。
そしてまず手始めに、最大の強みを敵から奪うために、普通とは逆の道を取ろう。
死から珍しさを取り除こう。
死に親しみ、馴れ、しばしば死を念頭に置こう。
いつも死を想像し、しかもあらゆる様相において思い描こう。
馬がつまづいた時にも、瓦が落ちてきたときにも「これが死であったら」ととっさに反芻しよう。
お祭やお祝い事の最中にも、我等の境遇を思い起こさせるこの繰り返しを常に口づさもう。
そして喜びにうつつを抜かし、こうした喜びが如何に多くの死に狙われているかを忘れないようにしよう。
古代エジプト人は祝宴の最中や、御馳走の合間に、会食者への警告として、人間のミイラを持ってきた。
死はどこで我々を待っているかもわからない。
あらかじめの死を考えておくことは、自由を考えることである。
死の習得は、我々をあらゆる隷属と拘束から開放する。
* * * * * * *
死に対する覚悟を決めてから、本当の人生が始まる。そんな気がします
次の文章は、雑誌「ニューズウィーク」の掲載された、死に関する科学的研究のレポート
「死が間近に迫ると、不安や恐怖に苛まれるのではなく、愛や幸福を感じる人が多い」
ことが研究でわかったという
* * * * * * *
いつかやってくる死におびえる人は多い。
自らの死を極端に恐れる、「死恐怖症」(タナトフォビア)という症状もあるほどだ。
最近発表された研究でも、大半の人が死を恐ろしいイメージで捉えていることが指摘されている。
しかし同じ研究によると、現実に死が間近に迫っている者では事情が違い、一般に考えるよりはるかに肯定的な体験として死を捉えていることがわかった。
学術誌サイコロジカル・サイエンスに6月1日付けで掲載されたこの研究によると、死が身近に迫った人々の言葉を調査した結果、恐怖や不安に関連する言葉は少なく、意外なほど前向きに死と向き合っていることが判明したという。
ノースカロライナ大学チャペルヒル校の心理学者などからなる研究チームは、絵本作家のエイミー・クラウス・ローゼンタールが亡くなる10日前に記したコラムの言葉遣いが「愛と希望に満ちていた」点に着目したという(ローゼンタールはがんのため今年3月に他界した)。
研究論文の執筆者であるカート・グレイは声明の中で、
「死が目前に迫っている人が肯定的なのは不自然に思えるが、実際にはよくある反応だということが、今回の研究により明らかになった」
と述べている。
研究では、筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral sclerosis:ALS)の末期にある患者と死刑囚という2つの集団について、死を目前にした時期の発言内容を分析した。
ALS患者については亡くなるまでの数カ月間に書かれたブログを、死刑囚に関しては刑執行前に残した最期の言葉を調査対象とした。
研究チームは、この2つの集団の比較対象として、死期を意識していない一般の人たちを対象に、自分が末期患者になった気持ちでブログを書いてもらったほか、自分が死刑囚だったら最後にどんな言葉を残すかと尋ねた。
両者の言葉を比較した結果、一般の人たちが想像した最期の言葉のほうが、実際に死に直面した人による言葉よりも、ずっと否定的であることが判明した。
グレイはこうコメントしている。
「死が近づいたときの感情は、悲しみや恐怖が多くを占めると考えがちだ。だが実際は、一般の人が想像するように悲しくも恐ろしくもなく、むしろ幸せな気持でいることがわかった」
「心身両面において、人間の適応力は驚くほど高い。死が迫っていようと、人は日常生活の営みを続ける。想像の段階では、死は孤独で意味のないものと捉えられがちだ。しかし、実際の言葉は、愛や社会とのつながり、そして意義に満ちている」
末期患者のブログをコンピューターによるアルゴリズム分析にかけたところ、マイナスよりもプラスの感情を表す言葉が使われる割合がはるかに多いことがわかった。
「心配」や「不安」、「恐怖」といった言葉よりも、「幸福」や「愛」を使う傾向が高いという。
一般の人が書いたブログのほうが、否定的な言葉が使われる頻度がはるかに高かった。
同様に、死刑囚が刑執行の直前に残した言葉は、収監されている時期に書いた詩と比べても、肯定的な意味を持つ単語が大幅に増えていた。
一般の人と比べると、否定的な言葉が使われる頻度は低かった。
こうした結果をもとに研究チームでは、死に対する感情では想像と現実にかなりの開きがあると結論づけている。
「死は誰にとっても避けられない。だが恐れることはない。今回の2つの集団を対象とした調査で、実際の死に至る体験は、意外なほど前向きなものであることが判明したからだ」
その限界にも触れている。
今回の研究は、死が迫った人の中でも特徴的な2つの集団を対象としており、老齢により死期が近づいた人など、他の集団には当てはまらない可能性もある。
死にまつわる感情を理解することは、今後の死への対処においてカギを握る要素だと、研究チームは述べている。
同チームは、
「人口の高齢化を考えると、この研究は、緩和ケアをめぐる政治的な議論に一石を投じる可能性がある」
と、その意義を強調した。
「現在の医療制度は、可能な限り死を避ける方向に特化している。これは主に、死が恐ろしく悲劇的なものだという観点に基づいたものだ。死を否定的に捉える文化的傾向を考えると、この方針は理解できるものではある。だが、今回の研究結果を見る限り、死は一般的に考えられているよりも肯定的なものである可能性がある。死神との遭遇は、思ったほど不吉なことでもないのかもしれない」
と、研究チームは論文で述べている。
* * * * * * *
後継に道を譲らず ひたすらポストにしがみつく
醜い認知症ボケ老人もいるようですが
こうゆう清々しい引退劇も あるんですね~ (^_^;)
山梨県甲州市の田辺篤市長(74)が27日、市議会議長に辞表を提出し、受理された。
物忘れなどを理由に挙げ、来年1月末で辞職する。
市長選は2月上旬に実施される公算が大きい。
辞表提出後に記者会見し、
「年を取りしんどくなった。年には勝てない」
と語った。
特定の病気は否定したが、疲れや物忘れが目立つようになったと説明。
「30分前の話を忘れることもあり、妻から気をつけた方がよいと言われるようになった」
と明かした。
決断時期については、
「選挙のこともあり、4月までには新しい市長が誕生していないと(いけない)」
と話し、年度の区切りを考慮したという。
新年度予算については「骨格予算」との方針を示した。
現在4期目で、任期を2年近く残した辞職になる。
「自分ではそれなりのことはやってきた」
と市政運営を振り返った。後継については
「やりたい人が何人もいるので、あえて言いません」
と明言しなかった。
田辺氏は県議や旧塩山市長を経て、2005年の合併で誕生した甲州市の市長選で当選。
17年11月に4選された。
創部100年目でプロ出身者は初めてとなる。
今月、東大野球部監督に就任した井手峻監督(75)である。
同大OBの井手監督は、1966年第2次ドラフト3位で同大出身2人目のプロ野球選手として中日に入団。
10年間の現役生活を終えた後は二軍監督やコーチを歴任、さらに球団代表などフロントの要職を務めるなど、50年近くにわたり、プロの世界に身を置いた。
2015年2月に退団後、東京都立新宿高校で特別コーチとなり、このたび母校で指揮を執ることに。
指導への情熱が衰えることを知らない井手監督に、話を聞いた。
球場近くで“単身赴任”
――東大の監督になったいきさつは?
「前任の浜田監督が契約更新の時期を迎え、今回はOBから公募しようということになった。何年か前なら自ら立候補しましたが、年齢のこともあるし、立候補は控えようと考えていた。そんな中、私の同級生が背中を押してくれ、ご指名いただいた。50年間、いろいろな野球を見てきて、勉強してきたことを還元したいと考えていた。持っているもの全てを吐き出してから死のうと思ってますよ(笑い)」
――就任して2週間。監督としての1日は?
「朝8時から正午ごろまで全体練習、午後は個別練習という形で、指導しています。まずは部員たちの名前を覚えること。今は4年生が卒業したので、部員は70人ほど。名簿を見ながら、名前と顔を一致させて。主将が気遣ってくれ、部員たちは練習用ユニホームの背中にみんな名前を書いてくれました」
――監督になるにあたり奥さまにご相談は?
「一言、『やりたいんでしょ?』と(笑い)。監督をやるにあたり、誰より妻に理解してもらわないといけない。朝のことなど考えて、東大球場(東京・文京区)の近くに小さい部屋を借りました。中日に在籍時もずっと名古屋で単身赴任をしていた。退団して関東に戻り、2人で余生を……というところだったから、私のワガママを聞いてくれた妻には感謝しています。自炊ができないから、普段は外食。でも、ちゃんと栄養も取らないとと思って、時間に余裕がある時は(都内の)自宅に帰って、妻と一緒に食事をすることもあります」
――以前から母校で指導をしたい気持ちはあったと。
「中日で10年間の現役生活を終えた直後に、延べ3週間ほど東大で指導をしたことがある。当時は大した知識はなかったですが、当時の部員たちは私が話すことを砂漠に水が染み込むように聞いてくれて。その時の快感は今も残っている。もう一回、東大で指導者をやってみたいと。中日を15年に退団し、11月上旬まで約2年、都立新宿高校で特別コーチをやらせてもらい、いろんな子供たちと接した。公式戦ではなかなか勝てなかったですが、初歩からやらないといけなかった子も、体が大きくなり、野球ができるようになる。進歩の度合いはプロとは違う。そこに面白さを感じていました」
せめて80歳までは、まずは42連敗を止める
――中日には選手、指導者、フロントの要職として約50年間在籍。
「見てきたもの、教わったものをどう還元できるか、ずっと考えています。ただ、プロの一流選手がこういう意図をもってプレーしているというような話はできても、とくにプロの打撃は“神秘的”な部分が8割を占めると思っている。感覚的なことですよね。打席で投手と対峙する中で、どの球を狙って、どう打つか。相手投手の心境、心理はどうか。これは言葉で言っても理解することは難しい。まして東大生は理詰めが好きです。まずは基本を徹底的にやり、体の仕組みを理解し、ロボットのようにというか、教科書通りにというか、プレーできるようになってほしい」
――どんな野球を?
「最初のミーティングで話したのは、チーム打率・250を目指し、これを研究課題にしようと。秋季リーグは打率・165。真っすぐ、変化球、甘い球が来た時にしっかり振れるように。走塁面では例えばゴロゴー。全員が完璧にできるように。大事なのは判断。足を動かし、どうやって“見る”のか、“見た”後に行くのか行かないのか。こういうものは実際にやって覚えないとダメ。そのことを教えてくれたのが中日の先輩である中利夫さん(元中日監督)」
――どんなことを教わったのですか?
「現役引退後、一軍外野守備走塁コーチに就任した1978年当時の監督が中さん。キャンプの際、シーズン中に起こる可能性があるプレーは全部、やらせてくれと言われた。自分自身、代走で使われることがあり、スチールの練習をしたことはあっても、走塁技術に関する知識がなかった。引退した後、もっといろんなことを勉強していれば、もっといいプレーができたかもしれないと思った。あとは、権藤博さんや鹿島忠、山崎武司といった中日OBに投手のこと、野手のこと、練習方法やメニューの内容などアドバイスをもらいました」
――東大といえば、日本最高峰の頭脳集団。
「勉強は一番かもしれませんが、スポーツって、うまい人の方が頭がよさそうに見える。ただ、理解するのは速いと思うので、そこに体がついてくれば、上手になるのは早いかもしれない。東大野球部の4年間で燃え尽きてもいい、というくらいの気持ちがあってもいいと思っている。卒業後も野球を続ける人もいるが、野球を終える部員の方が多いと思う。公式戦に限れば、1年間で20試合として、4年間で80試合だけ。出し惜しみをしていたら、もったいない。4年間、基本をしっかりやっておけば、もし将来、子供たちに野球を教えるとなった時に役に立つはずです」
――75歳という年齢で監督を務める。体力維持の秘訣は?
「とくに何も(笑い)。中日を退団してからは動くことっていったら、ゴルフをちょっとやっていたくらいで。お酒はだいぶ減りましたね。毎晩飲んではいるけど、食事をおいしく食べるために少し飲む、という感じで。ビール、日本酒、ワインかな。ウイスキーや焼酎のようなロングドリンクは飲まないですね」
――5年後には80歳。
「せめて80まではやりたいですね。これまでためてきたものをなるべく早く、吐き出して。それが勝ちにつながれば最高です。まずは、17年秋から続く42連敗を止めて、1勝すること。早大や慶大など、ライバル5大学にどうにかして一泡吹かせたい」
(聞き手=藤本幸宏/日刊ゲンダイ)
“自分、年を取ったなぁ……”と思うこと、ありませんか?
若い頃には考えもしなかった心や体の変化に直面し、ちょっとブルーになることってありますよね。
でも大丈夫! 年を取るのはみんな平等。
世の中に加齢から無縁な人はいません!
TOKYO FMの生放送番組「高橋みなみの『これから、何する?』」10月23日(水)の生放送では、パーソナリティをつとめるたかみなが「“自分、年を取ったな……”と思うエピソード」に寄せられたメッセージについて答えてくれました。
明らかにアルコール依存症ですね
68歳とは思えない老け方 目が死んでる
手に持っているのは ワンカップのお酒? (;´Д`)
まずは、先日亡くなった「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)のご冥福を心からお祈りしたい。
我々は8月末日、「かつて一斉を風靡した人びとに、近況を尋ねに行く」という趣旨の取材で佐藤さんのもとを訪れていた。
佐藤さんは快く応じてくれたが、かつてから変わり果てた生き様には、「人生とはいったいなんだろうか」と、深く考えさせられるものがあった。
追悼の思いを込めて、その日のことを振り返る。
▲79歳のおじいちゃんがエクセルで描いた作品
エクセルにこんな使い方があるなんて
まったく知りませんでした
世の中にはスゴいおじいちゃんが
いるもんですねぇー (^_^;)
19年前、60歳の堀内辰男氏は、引退した後、普段から関心があったデジタルアートに挑戦することを決心しました。
しかし、彼を困らせたのは、ただ一つ、費用の問題でした。
デザインソフトやタブレットなどのツールは、総じて値段がかなり高かったからです。
その時、偶然、職場の同僚がエクセルで図形をきれいに描いていたのを思い出して、エクセルでも絵を描くことができると考えました。
しかも、エクセルのプログラムは、彼のパソコンに入っていたため、特に費用もかからなかったのです。
そのように堀内辰男氏はエクセルのプログラムで19年間、絵を描いてきました。
そして2006年、彼は日本全国からエクセルで描いた作品が出品される
「エクセルオートシェイプアートコンテスト(Excel Autoshape Art Contest)」
で優勝しました。
また彼の一部の作品は、群馬県立美術館に出品されたりもしました。