朝陽会

新宿高校100周年

100周年記念事業について

朝陽同窓会 幹事長 吉村 悟 (7回)

我が母校である東京都立新宿高等学校は、平成34年(西暦2022年)に創立100周年と言う節目の年を迎えます。この記念すべき年に向かって何かお祝いの心を行事として具現化し、100周年を盛り上げたいと思います。

昨年の7月に朝陽同窓会の役員と代表幹事41名が一堂に会し、どのようなイベントを行えば100周年を祝うに相応しい行事になるか、侃々諤々の議論を致しました。その結果、曰く興国の鐘を復元させよう、曰く朝暘会館を再建しよう、曰く女性を中心とした朝陽合唱団を立ち上げよう、曰く100周年記念音楽会を開催しよう、などなど合計48件の提案がなされました。

朝陽同窓会としてはこの数々の有意義な提案を実現すべく、直ちに100周年記念事業実行委員会を立ち上げました。そして提案に対する企画書を作成し、夢の実現に向けて一歩を踏み出しました。口に出すのは簡単ですが、これらの提案の実現には数々の困難が立ちはだかることが予想されます。しかし朝陽同窓会会員の皆様の英知と熱意があれば、母校の創立100年を飾る立派な記念事業が達成出来ると信じております。

この事業は代表幹事だけのものではありません。一般の会員の皆様からも広くご提案を頂き、朝陽同窓会全員で100周年を祝いたいと思っております。もし皆様が100周年を飾るにふさわしいご提案をお持ちなら、趣旨・目的・内容などを具体的にお書き頂き、朝陽同窓会事務局までお寄せください。事務局はその提案を実行すべく、提案者と相談して企画書を作成いたします。100周年記念事業実行委員会の承認を受けた後、事務局と提案者がプロジェクトチームを編成し、達成に向かって推進してゆくと言う段取りを考えております。

提案書の書き方や100周年記念事業の進捗状況などについては、以下の通りです。それぞれの項目をクリックして具体内容をご覧ください。記念事業としてふさわしい事業を皆様から募集しておりますので、アイディアをお寄せくださいますようお願いいたします。ぜひとも多くの方々にチームの一員になって頂き、一緒に100周年事業を成功させましょう。そして7年後の100周年記念を盛大にお祝い致したいと存じますので、大勢の皆様のご参加をお願い申し上げます。

記念事業の応募はこちらから

第22回朝陽クラブ

講演と懇親の夕べ「朝陽クラブ」第22回は11月30日(水)18:00~20:00、クルーズ・クルーズ新宿店(レインボウブリッジ9F)で行われます。

今回のショーとスピーチは22回の宇井雅人さん

現在は一等地の青山に店を構えるハンガリー料理店「カフェ ジェルボー」を経営する「パナッシュジャパン」の社長をされている宇井さんが、自称アメリカかぶれだった高校時代から旅行代理店勤務、パリ生活をへて、今日に至る変転の道筋と、折々の転機についてお話しされるとのことです。

新宿高校出身キックボクサー

o0480048013638093156

新宿高校66回生H組のベイノア君が10月10日(月)に後楽園ホールで、キックボクシングのウエルター級新人王決勝戦に出場します。

リングネームは「ブラックパンサー”ベイノア”」(極真会館所属)です。

極真空手仕込みの多彩な蹴り技とパワーを武器とする注目の逸材。

極真会館東京城北支部所属で2015年西東京大会準優勝、2014城西カップ準優勝などの実績を極真空手で持ち、キックではPETER AERTS SPIRITプレ世界大会選抜トーナメント-70kg級で優勝した。

上の写真は、今年5月のJ-NETWORKでプロデビュー。結果は見事2RKO勝ち。

続きを読む

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ 最終回

6月から3カ月にわたって連載してきた「母校をたずねる」東京都立新宿高校編。

紙面と毎日新聞ニュースサイトで募集した「私の思い出」には、多くの卒業生の読者の方からご投稿をいただきました。

最終回の今回、その一部を紹介します。

続きを読む

新宿高校管弦楽部(SPO)コンサート

こんにちは。山崎潤です。皆様。

朝陽祭 新宿高校管弦楽部(SPO)コンサートのご案内です。

部員数も昨年より増え26名になり、小数精鋭ながら皆頑張ってます。

今回は4楽章のみですが、 大曲シベリウスの交響曲第2番を演奏します。

私は初日に行くつもりですが、皆様ご都合つくようでしたらご検討下さい。

———————————

朝陽祭 SPOコンサート
●場所 : 新宿高校 3階大体育館
●日時 : 9/3(土) 開場 10:40
9/4(日) 開場 14:00
●曲目 : シューベルト : ロザムンデ
シベリウス : 交響曲第2番より2楽章

山崎さん 情報ありがとー  (^_^;)

東京校歌祭

第24回東京校歌祭が今年も10月23日(日)、杉並公会堂で行われます。

朝陽同窓会からは六声会の皆さんを中心に水泳部OB・OG、更には母校100周年記念事業の一つとして今年結成された朝陽合唱団が出演されます。

どなたでも参加できますので、我と思わん方は是非ご参加下さい。

東京校歌祭は校歌の歌詞に込められた大切な教えを後世に残し、各校の卒業生が交流する場を作ろうと、都内の旧制中学の同窓生が中心となり結成した東京校歌振興会が平成5年から毎年開催しており、今年で24回目となります。

開演時間等の全体スケジュールは確認中ですが、新宿高校の出番は7番目で13時40分ころです。

詳しいパンフレット後日掲載します。

これまでの校歌祭はここをクリック

 

館山寮見学ツアー

平成28年8月18日(木)、台風が関東東岸にあって時折強い雨に見舞われる中、22名の参加者を得て館山寮の見学ツアーが実施された。幸い見学中は雨に遭うことも無く、厳しい暑さの館山寮を満喫した。

館山寮の厨房は老朽化が激しく、換気も悪く、劣悪な環境にあり、特に夏期には厨房が40℃を超える高温となり熱中症などが心配され、改修が喫緊の課題となっていた。

これにたいし、朝陽同窓会では、新宿高校創立100周年記念募金および朝陽会の資金を元に、館山寮の厨房・食堂の改修を行った。

見学者一同、猛暑にあって、さっそくに食堂に新設されたエアコンのありがたさに感謝であった。


新宿高校前からバスで 続きを読む

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000元新宿高教師・佐藤喜一さん

新宿高校1948年度卒

 東京都立新宿高校の長い歴史の中には、多くの名物教師が存在した。新制高校第1期の卒業生で、国語教師として24年間母校の教壇に立った佐藤喜一さん (86)=1948年度卒=もその一人。「新宿高のレジェンド」が、30年にわたる母校の日々を語った。

 生まれは東京都の北区十条。池袋にあった豊島師範付属小に通い、同級生が多く行ったので新宿高の前身の旧制府立六中に進学を決めました。入学した年は 1943(昭和18)年4月の戦中期。入学式翌日は明治神宮に参拝。朝礼の時はまず皇居遥拝(ようはい)、続いて新宿御苑に最敬礼でした。

 勉強もしましたが、軍事訓練が多かった。夏休みは陸軍の兵営で行軍などの訓練。中学2年の時には勤労動員で軍需工場へ行きました。給料は月給30円。戦後に支払われたけど、物価が急に上がり、焼け石に水でした。

 終戦後、学校は一変しました。それまで「お国のために」というのに、急に「民主主義とは」なんて。不信感を持ちました。授業はあってもテキストがない。英語の木村武雄先生は小泉八雲の怪談をガリ版刷りにしてオリジナルのテキストを作ってくれました。

 戦後、部活動も始まりました。鉄道が好きだったので、仲間と鉄道研究会を作り、部品を集めて「Oゲージ」の鉄道模型を作り文化祭で走らせました。

 学校近 くの伊勢丹本店が接収され進駐軍の宿舎でした。部活で帰りが遅くなった夕暮れ、校門を出ようとすると派手な化粧をして米軍兵士を相手とする女性がたむろし ている。ちらりと横目で見ながら「負けたんだ」とつぶやいたものです。

 49年、旧制中学から新制高校に変わった都立第六高(50年に新宿高に校名変更)の第1期生として卒業し、鉄道のエンジニアになりたくて、東京都立大工 学部に入学。その後、教養課程で学んだ文学の方に興味を持って、国文学専攻で卒業、さらに修士課程まで進み、国語教師になりました。

 都立富士高を経て青山高で教えていたころ、新宿の5代目校長の沢登哲一先生が、「母校に帰って来いよ」と声をかけてくださった。そして、先生が退職され た63年春から母校で働くようになったんです。沢登校長は名物校長の誉れ高き方。豪放磊落(らいらく)でお酒好き、教員にも心酔者が多かった。

 先生方もユニークな方が多かったです。いろいろな教員がいる中でも一致していたのは、「私たちの職場は私たちできちんと運営していく」というところで す。当時教頭は教員の中から互選していました。校務分掌も、一切教師が決めました。そういう自主的な校務運営が、自主性を尊重する新宿高の校風を育てたよ うに私は思います。

 教師としての私を支えてくれた言葉があります。「学ぶとはこころにまことを刻むこと。教えるとはともに未来を語ること」。フランスの詩人ルイ・アラゴン の言葉です。必ずしも、この通りに実践したとも思っていませんが、一人一人の可能性の灯を、いかにしたら美しく燃焼させることができるか、考えながら生き てきたつもりです。

 新宿高の魅力は、御苑のみどりから知らず知らずのうちに薫陶を受けているといったところでしょうか。旧制六中校歌の一節に「木々の翠(みどり)を見やり つつ 学ぶ心の清きかな」とあります。これがとってもいい。都心の真ん中にありながら、御苑のみどりを感じながら、朝日のごとくさわやかな生徒たちと過ご せたことは、実にありがたい人生だったと思っています。

記憶に残る「名物先生」 ユニークな授業で慕われ

 新宿高校には多くの生徒が記憶にとどめる「名物先生」が多数在籍した。兼職が認められた時代は進学塾講師を兼任したり、専門性を磨いて大学の教授に転職した先生も。10年、20年と長期在籍する先生も数多くいた。

 1970年から20年間在籍した音楽担当教諭の野村満男さん(81)は、日本のチェンバロ製作・研究の第一人者としての顔も持つ。「基本はバロック音楽 にあり」との思いから、関わりの深いチェンバロを使った指導を思い立ち、試行錯誤の末、手作りで完成させたのがきっかけ。生徒に実際にチェンバロを製作さ せてバッハを演奏させ、評判を呼んだ。坂本龍一さんの教育実習の際の指導教官も務めるなど、多くの音楽家を育てた。

 50年から22年間在籍した英語担当の澤正雄さん(故人)といえば、名物「くるくるとん」。教え子の斎藤成(はかる)さん(61)=72年度卒=による と、ペンをくるくる回して出席簿に落とし、そこに名前のある生徒から当てて授業を始めたことから、この異名がついた。

 毎回、当てられた生徒の悲鳴や当たらなかった生徒の安堵(あんど)の声が教室に響いたという。慕う生徒も多く、退職後、卒業生有志が澤さんにまつわる本 を2冊自主出版した。斎藤さんは「生徒を優しく厳しく見つめてくださり、感謝している」と振り返る。=次回は最終回。26日に、卒業生の読者からいただい た「私の思い出」を掲載します


卒業生「私の思い出」募集

 都立新宿高校(旧府立六中含む)の卒業生のみなさんから「私の思い出」を募集します。300字程度で学校生活や恩師、友人の思い出、またその後の人生に 与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100−8051、毎日新聞地方部 首都圏版「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はshuto@mainichi.co.jp.へ。いただいた「思い出」は毎日新聞やニュースサイトで紹 介することがあります。新聞掲載の場合は記念品を差し上げます。


さとう・きいち

 1930年東京生まれ。東京都立大学大学院修士課程(近代日本文学専攻)修了。新宿高での教え子には芥川賞作家の絲山秋子さんもいる。退職後は駿台予備 学校講師などを務め、現在は鉄道エッセイストとして活躍。著書に「汽笛のけむり 今いずこ」(第25回交通図書賞受賞)など。

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000厚生労働相・塩崎恭久さん

新宿高校1969年度卒

  全国の高校で学生運動の嵐が吹き荒れた1969年、東京都立新宿高校も、その影響を強く受けた。生徒会長も務めた衆院議員で厚生労働相の塩崎恭久さん (65)=同年度卒=は、自由な教育を求めて学校側と対峙(たいじ)した。「自分の問題意識に、正面から全力で向かい合っていた」という塩崎さんに、“時 代の風”の真っただ中で過ごした高校生活を語ってもらった。

 部活は社会科学研究会、通称「社研」に所属しました。当時、学校の校庭の前に簡易宿泊所があり、時に犯罪者が逃げ込んだりする社会の縮図のような場所でした。四谷警察署へ実態を聞きに行き、調べた内容を模造紙に書いて文化祭で発表しました。

  一つ上の姉が交換留学プログラムで米国へ留学したのに感化され、「自分も」と2年の2学期から1年間、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ近く の高校に留学しました。制服もなく生徒は車を運転して学校に通う。何より、自分でやりたい授業を選べるというのがカルチャーショックでした。

続きを読む