圧勝でしたね
(^_^;)
世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)バンタム級タイトルマッチ12回戦が10/31、米ネバダ州ラスベガスで行われ、WBA、IBF統一王者の井上尚弥(大橋)が、挑戦者でWBA2位、IBF4位のジェーソン・モロニー(オーストラリア)を7回KOで下した。
WBAは4度目、IBFは2度目の防衛成功。
井上尚は6回に最初のダウンを奪い、7回に右ストレートで仕留めた。
圧勝でしたね
(^_^;)
世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)バンタム級タイトルマッチ12回戦が10/31、米ネバダ州ラスベガスで行われ、WBA、IBF統一王者の井上尚弥(大橋)が、挑戦者でWBA2位、IBF4位のジェーソン・モロニー(オーストラリア)を7回KOで下した。
WBAは4度目、IBFは2度目の防衛成功。
井上尚は6回に最初のダウンを奪い、7回に右ストレートで仕留めた。
株式会社nevele(代表取締役:3人制プロバスケ2019年日本代表候補-齊藤洋介)は、現役プロバスケ選手による1DAYトレーニング講座『Backside jam』を都立新宿高等学校バスケ部(男女)を対象に実施しました。
齊藤本人が理論化&監修を行ったSNSで話題のバスケスキル理論 “Back beat Attack” を、現役高校バスケ部を対象に指導しました。
革命や敗戦などで体制がひっくり返ると、旧体制の上層部も路頭に迷う
明治維新では旧幕臣の多くが、単なる失業者に転落した
江戸時代初期には、多くの藩が「お取りつぶし」になって、藩士は禄を失った
何か武士以外の特殊技能を持つことは、本物の武士にとって恥とされていたから、ツブシが効かない人も多くいたことだろう
映画「一命」では、失業した武士の一家が内職をしながら、極貧の中で細々と暮らしていて涙を誘う
(T_T)
朝ドラ『エール』の「智彦さん」(奥野瑛太)(←)は、当時のふつうの人である。
がちがちに真面目で、家でも威厳を保つ主人である。
外で起こったことを、家内では話題にしない、というタイプだった。
これは軍人にかぎらず、昭和前半の家庭風景としては、ふつうのことだったとおもう。
ふつうの血の通った人として描かれていた。
軍人だったから、戦争が終わると路頭に迷う。
軍人は「政府の役人」でもあり「戦争という特殊技術の人」でもあった。
でも戦争が終わり、軍は解体されて再軍備は禁止されたので、それまでのキャリアがまったく使えない。
過去のキャリアが何も役に立たない、ただの無職である。
職を探して苦労している姿が見られた。
すべてをもてあましてる感じが出ていて、その姿を見せる役者・奥野瑛太が見事だった。
この人は、とても身体性を強く感じさせる役者だとおもう。
セリフを言う前の存在感がきちんとしていて、その佇まいだけで見入ってしまう。
再就職のときに彼の出した履歴書が映しだされていたが、それには赫々たる履歴が並んでいた。
陸軍幼学校から士官学校に進んだエリートで(幼学校は当時の中等学校にあたる)、卒業後、騎兵隊第十九連隊の少尉に任官。
最後は中佐まで昇進している。すごいエリートである。
最後の昇進はいわゆる「ポツダム昇進」、つまり敗戦が決まってからの昇進ではないかとおもわれるが、それまででも少佐である。
すごく偉い。なんか、軍人さんの位で偉さを測るのは裸の大将をおもいだしてしまうのだが、でもそういうしかない。
履歴書が映し出されたあとに、工場の鉄屑拾いの仕事があるといわれ、そんなものができるかと、憤然と席を立つシーンがあったが、たしかにそうだろう。
陸軍中佐は、ふつう鉄屑拾いをやらない。
プライドがあまりに高い。
金閣寺放火事件を題材にした、三島由紀夫の代表作の一つ
放火犯人は吃音(どもり)に悩む金閣寺の見習僧で、彼の幼いころからの自伝調の内面告白が、三島独特の美文で淡々と語られている
見習僧の「建物フェチ」とも言えそうな、ファナティックな金閣に対する愛が全体の基調を成しているので、犯行動機に感情移入するのが難しい
ジョンレノンの熱烈なファンが、レノンを銃殺した事件を思い出す
彼はやがて浄土真宗の大谷大学に進学し、そこで足の不自由な男と出会い、言葉の不自由な自分との共通性を見出して接近し、親しく付き合うようになる
その親友が語る独特の人生哲学や女性観が面白い
時代背景が第二次大戦の前後で、その時代の空襲の無かった京都の雰囲気が伝わって来る
(^_^;)
▼消失前の金閣寺 金箔が剥げて枯れた風情だった
▼放火による消失直後の金閣寺
▼再建された現在の金閣寺 創建当時の姿に戻した
世界の命運を左右する米大統領選挙まで
あと1週間となり、泥仕合が激化しています
アメリカ国民にはキリスト教原理主義者が多いので
性的スキャンダルは命取りになります
((((;゚д゚))))
上の写真は、2013年12月5日、北京への公式訪問中に、胡同を訪れた前副大統領ジョー・バイデンと、息子のハンター・バイデン(左)、孫娘のフィネガン・バイデン(右)。
米民主党大統領候補ジョー・バイデンの次男ハンター・バイデンのわいせつビデオが米メディアによって公開され、ネット上で再び話題になった。
ネットユーザーたちは、ビデオの中の女性3人の身元を分析した。
台湾の「自由時報」によると、ハンター・バイデンのわいせつビデオに写っていた女性の1人は、ハンターの姪であり、大統領候補ジョー・バイデンの孫娘である可能性が高いという。
数日前、News Maxの報道によると、ルディ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、ハンター・バイデンのコンピューターのハードディスクの証拠をデラウェア州警察に引き渡したという。
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」で有名な佐賀鍋島藩に伝わる思想書「葉隠」を、三島由紀夫が自分流に解説している
世の中には、損得で動く人間と、そうではない人間がいる
後者でなければ大業は成し得ぬと言ったのは西郷隆盛だが、現実の社会は前者が大部分を占めている
損得で動く人間の行動は予想しやすいので安心感がある
けして無茶な行動には走らない
経済学などは、そのような合理的人間を前提として理論を構築している
しかし江戸時代、家臣が主君への忠の覚悟と生き方(死に方)を本気で貫くには、損得の感覚では具合が悪い
損得を超えた武士の哲学が必要とされ、それに応えたのが「葉隠」だった
「葉隠」は、損得勘定の武士道を、上方流(商人のようだ)と罵っている
一方、三島由紀夫(→)は天才にありがちな、かなり変わった価値観(性的嗜好と言ってもよい)の持ち主であり、「美しく高貴に死にたい」という潜在欲求(タナトス)が極めて旺盛だったように思われる
彼はそのために、自らの死を正当化し、美化し、高貴なものとするための壮大な内面世界を構築し、作品化し、行動化していった
三島にとって「葉隠」は、そのような内面世界構築の材料としては、非常に魅力に富んでいたものと思われる
「葉隠」の思想を語った山本常朝には、死を自己目的とする意識は希薄で、ただひたすら主君への忠を貫くには、生と死の二者択一の場面では、常に死を選ぶ覚悟を持てと主張しているに過ぎない
それは、三島が45歳で自決の道を選び、山本常朝が61歳(当時としては長命)で天寿を全うした違いとなって表れている
死を本気で覚悟した人間には、それまでの世間(損得勘定の世界)が従来とはまったく違って見えるのは、何となく想像できる
近松門左衛門が、死を覚悟して心中への道行(駆け落ち)に出た男女二人は「急に背が伸びた心地がする」としているのは、まことに鋭い描写だと思う
本当の人生や美意識というものは、その感覚の後に生ずるものかもしれない
(^_^;)
あのオーケストラ・ノットが法人化されるんですね
法人って、何とか法人? まさか株式会社?
第1回演奏会には、萌慧ちゃんの独奏もあります
(^_^;)
まったくヒドイ事件ですね
自殺するのは個人の自由だけど、他人に迷惑かけないで欲しいです
自殺自体は、どんなに社会が豊かになっても、けして無くなりません
むしろ豊かな先進国の方が、自殺が多いような気もします
貧しい後進国では、別な死(餓死や病死、虐殺や犯罪被害、事故死など)が多いですけどね
今の日本では過剰なコロナ自粛で、飲食業界などの倒産や失業が増えているので、その関連なら悲しいなぁと思いましたが、飛び降りたのは高校生だそうです
巻き添えになった19歳女性は、本当にかわいそう
自殺した高校生、巻き添えの大学生、双方のご両親やご家族など関係者の心情を思うと、いたたまれない気持ちになります
(T_T)
10月23日、大阪・梅田の商業施設「HEPFIVE」から男子高校生が飛び降り、路上を歩いていた19歳の女性にぶつかりました。
男子生徒はその後死亡し、女性は意識不明の重体です。
10月23日18時前、大阪市北区の商業施設「HEPFIVE」(→)で
「路上に2人が倒れている」
と消防に通報がありました。
警察によりますと、大阪府に住む17歳の男子高校生が飛び降り下を歩いていた19歳の女子大学生とぶつかったということです。
「お店の名前がいっぱい書いてある看板、
そのちょうど隣くらい(に倒れていた)。
人通りが多いのでみんな戸惑っている様子だった」
(現場にいた人)
2人は病院に搬送されましたが、男子生徒はその後死亡。
女性は意識不明の重体です。
屋上には男子生徒のものとみられるカバンが見つかっていて、警察が詳しく調べています。
【続報】10/23、阪急・大阪梅田駅近くの商業施設の屋上から飛び降りて死亡した高校生の巻き添えになり、意識不明の重体となっていた19歳の女子大学生が死亡しました。
今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました
道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい
これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです
秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます
一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている
これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい
用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです
(^_^;)
* * * * * * * * * *
世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。
都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。
地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。
この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。
現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。
東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。
にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。
実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。
荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。
そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。
現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。
また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。
この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。