歩くの大好き(^_^;)

能と東京タワー

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 2月の末、お天気が良かったので

  芝公園の周辺をお散歩していたら

 こんな案内板(↓)を見つけました

  もうすぐ桜が咲きますね

 (^_^;)

 

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▼建設中の東京タワー 1958年ころ

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散歩 荻生徂徠のお墓

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昨日2/13は天気が良かったので、散歩しました

このところ寒かったので、家の中をいろいろ断熱DIYしていたのですが、そのとき直角測定の必要性を感じ、三田にあるケーヨーD2というDIYショップ(ホームセンター)で指矩(さしがね)を買いました

プロの大工さんは、たぶんもっと大きいのを使いますが、私はアマなので30センチの小さいやつ(↓、327円)

 

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ちなみに私はDIYツール(日曜大工道具)を買う場合

1)百均ダイソーなど 超安いけど、安いなりにショボい、品揃え少ない

2)通販アマゾンなど 何でもあって割と安いけど、実物を見れない、送料かかる場合あり

3)三田のケーヨーD2(↓) 少し高いけど、たいていのものは揃う

4)渋谷の東急ハンズ 高いけど何でも揃うし、店員さんが相談に乗ってくれる

の順番で探します

 

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そのあと通りを歩いていたら、「史跡 荻生徂徠」という表示があったので入ってみました

元禄赤穂事件(忠臣蔵)では、義士を賛美して助命を願う世論に対して、徂徠は切腹論を説いた

そのお墓が、泉岳寺の近くにあるというのも歴史の皮肉

(^_^;)

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三菱創業150周年

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 上の写真の一番右のおじさんの

  首がやたら長いのが気になります

 三菱銀行のエラい人らしいです

  (^_^;)

 

2020年は、三菱が創業してから150周年の節目の年に当たる。

創業者であり、初代の社長に就いたのは岩崎彌太郎その人である。

大転換期の日本の世で、岩崎彌太郎は、どのように起業し、発展させたのか。

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 * * * * * * *

岩崎彌太郎(いわさき・やたろう)→

1835~85年(天保5~明治18年)。

三菱の創業者であり、初代社長

幕末から明治維新へ。激動の時代を生き抜き、三菱の礎を築いた。

1835(天保5)年、土佐井ノ口村(現・高知県安芸市)に生まれる。

指がやたら長いのが気になる→

 (^_^;)

『岩崎彌太郎傳』によると、幼少期の彌太郎は、

《気性は激しく、負けることが嫌いである。同じ年頃の子どもを集めて大将を気取り、敏捷で頭の回転が早い》(現代語訳)

とある。

今風に言えば“やんちゃ”だったのである。

一方で、学問に興味を持つのも早かった。

「彌太郎は15歳で、伯母の嫁ぎ先である儒学者の岡本寧浦(おかもとねいほ)の塾に入り、懸命に学びます」

と解説するのは、「公益財団法人 三菱経済研究所」の常務理事・村橋俊樹さんである。

54(安政元)年、彌太郎19歳のときにチャンスが巡ってくる。

江戸詰めに決まった儒学者の奥宮慥斎(おくのみやぞうさい)の従者として、随行が認められたのである。

「その江戸で、岡本寧浦と親交のあった安積艮斎(あさかごんさい)の見山(けんざん)塾に入り、一層、勉学に打ち込みます。ところが、折あしく郷里で父親の彌次郎がトラブルに見舞われ、重傷を負ったという知らせが届きます。彌太郎はやむなく帰郷。江戸遊学は1年足らずで終わりました」

この時、彌太郎は江戸から土佐までの約800kmを16日間で走破している。

当時、土佐藩の早馬飛脚でも14日間かかるというから、彌太郎は並外れた健脚の持ち主でもあった。

帰郷後、彌太郎は父親のトラブルの遠因で投獄される。

約7カ月の入獄の末、出獄するが、傷心の日々。

そんな中、土佐藩開明派の指導者・吉田東洋の少林塾に入り、後藤象二郎(しょうじろう)などの知遇を得る。

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平和島競艇を歩く

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競艇マニアの蛭子さんに刺激されて、12年前に訪れた平和島競艇場を、再び散歩しました

この12年間に、「競艇」の正式名称は「ボートレース」に変わりましたが、会場の雰囲気は余り変わってません

競馬場のような熱気もなく、のんびりした、おじいちゃんたちの憩いの場です

(^_^;)

今回の写真へ 12年前の写真へ

 

九州広島を歩く(詳細版)

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別府鉄輪(かんなわ)温泉の夜 道から蒸気が噴き出してる

これは詳細版(写真4833枚)です

もともと人にお見せするためのものではなく、自分で旅の見聞を反芻するためのものです

記憶力は落ちてますが、10回ぐらい見れば、記憶に定着します

そんな訳で、何でもメモ代わりに撮ってますので、非常に冗長です

お時間とご興味のある方だけ、ご覧いただければ幸いです

スマホだと通信量を食います(全体で1GBくらい)ので、WIFIをお使いください

写真の枚数を5%程度に圧縮した簡易版(写真235枚)もあります

 (^_^;)

詳細版はここをクリック

簡易版はこちら

自宅が恋しい

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ホテルは寝るだけだから安いところでいいという方針で、いつもは3000~4000円くらいの安宿に泊まっている私です

でも、今回はコロナとGOTOでホテルが激安なので、割と高級なホテルに泊まっています

上の写真は関空近くの割と高そうなホテルの部屋

普段は2万円くらいしそうだけど、今は4000円くらいで、クーポン1000円付くので実質3000円

それでも半月もホテル生活が続くと、そろそろ自宅が恋しくなってきます

(^_^;)

 

九州国立博物館

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まだ出来たばかりなので、ハコは立派ですが、展示物の不足は否めません

兄弟博物館(東京、京都、奈良)からブツを借りて、なんとかしのいでる感じです

(^_^;)

 

水郷柳川

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4時間以上も歩いて

 クタクタです  (^_^;)