2東北

なぜ45分間も校庭にとどまり続けたのか?

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▲震災前   震災後▼

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東日本大震災の津波で全校児童108人中74人が死亡となり、児童を保護していた教職員10人が死亡した宮城県石巻市大川小の避難ルートについて、教職員が北上川の堤防道路(三角地帯)への最短ルートと誤解し、行き止まりを知らずに裏道を進んだ可能性が高いことが、河北新報社の検証で分かった。

児童の足取りを巡っては「なぜ、津波に向かって進んだのか」「なぜ、県道に直接出ず、遠回りしたのか」など長い間謎だった。

(大川小事故取材班)

2011年3月11日午後2時46分の地震発生。

その直後、教職員と児童は約45分間、校庭にとどまり、津波襲来の約1分前までに校庭を徒歩で出発した=上図=。

証言によると、その後、釜谷交流会館の駐車場を横切っている際に県道から戻ってきた教頭が「津波が来ているから急いで」と叫び、児童の一部は途中で右折し、民家の間を通って県道に出ようとした。

先頭付近にいた当時5年の只野哲也さん(18)=高校3年=は県道に出る直前、津波に気付いて引き返し、裏山を約3メートル登った辺りで波にのまれた。

地元釜谷育ちの只野さんは「行き止まり」を知っており、とっさに右折するルートを選んだ。行き止まり付近では児童34人の遺体が見つかった。

地元住民によると、裏道は1976年12月に新北上大橋が開通するまで、軽トラックが通れる道幅があった。

開通後も幅1メートル弱の小道は残り、近所の住民が生活道として利用していた。商店主が震災の約10年前に高さ2メートル以上の鉄柵を設置し、通行できなくなった。

鉄柵と山裾にはわずかな隙間があり、「震災の数年前まで三角地帯に行けた」との証言もある。地元の女性は「無理をすれば通れたが、子どもを大勢連れて通る道ではない」と話す。

三角地帯は標高約7メートルで学校より6メートル近く高い。教頭は地元住民と相談し、三角地帯行きを決めた。

住民のアドバイスなどを基に、土地勘のない教職員が裏道を先導した可能性があるほか、「交通量が多い県道を避けた」との見方もある。

大川小は07年度に危機管理マニュアルを改定し、「津波」の文言を初めて盛り込んだ。10年度の改定でも校庭からの避難場所については「近隣の空き地・公園等」を踏襲し、具体的な場所を指定しなかった。

仮に三角地帯にたどり着けたとしても、付近は高さ2~3メートルの津波に襲われた。

マニュアルの不備に加え、震災当日の(1)避難先(2)避難ルート(3)出発時刻-など二重三重の判断ミスが重なり、「大川小の悲劇」につながったと言える。

<主体的決定なし/遺族らでつくる大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さん(54)の話>

先生たちは「三角地帯に行ける」と思って行ったのかもしれないが、

そもそも、なぜ45分間も、校庭にとどまり続けたのか?

学校管理下の避難行動にもかかわらず、学校側の主体的な意思決定がなかったことが原因の全てだ。

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 とりあえず様子を見る という判断が

  最悪の判断になるかも  ((((;゚д゚))))

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校庭のすぐ後ろが山だった

 

 ▲震災3年目   昨年末▼

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田んぼアート

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gozira02色とりどりの稲を絵の具代わりにして、田んぼに絵を浮かび上がらせる青森県田舎館村の「田んぼアート」が見ごろを迎えた。

24回目の今年は、29日に公開を控える映画「シン・ゴジラ」が題材。

田んぼ一面に迫力あるゴジラが姿を現した。

 縦約70メートル、横約150メートル、面積約1万平方メートルで、特別にデザインした

ゴジラが国会議事堂を襲う様子が描かれている。

ゴジラは永田町の地理に詳しいの?  (^_^;)

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聖火台と飛行機雲

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1964年の東京五輪の象徴となった国立競技場(東京)の聖火台が27日、移設された東日本大震災の被災地・宮城県石巻市で点火され、燃えさかる炎に被災者らが故郷の再生を祈った。

聖火台は直径、高さとも約2・1メートル、重さ約2・6トンで、市総合運動公園のコンクリート製台座の上に設置。

雨が降る中、アテネ五輪の陸上男子ハンマー投げ金メダリスト室伏広治さん(40)が火の付いたトーチを聖火台にかざすと、オレンジ色の炎が勢いよく空に舞い上がった。

室伏さんは「みんなの笑顔が見られてよかった。(聖火台の設置で)東北の復興に拍車が掛かってほしい」と語った。

 

空に描かれた 飛行機雲の五輪

  小学生のころ 見ましたよ  (^_^;)

 

太田くんを囲む会 温泉合宿(2)

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 今回は温泉合宿の 第10回記念大会

いつもより少し 高級な宿にしました  (^_^;)

 

太田くんを囲む会 温泉合宿 これまでの歴史

2008年12月 温泉合宿(1) 箱根 ペンションおかだ 忘年会

2009年12月 温泉合宿(2) 箱根 レイクホテル 忘年会

2010年09月 温泉合宿(3) 熱海 四季ホテルうたゆの宿

2011年01月 温泉合宿(4) 石和温泉 ホテル慶山 新年会

2011年10月 温泉合宿(5) 箱根 伊東園ホテル

2012年03月 温泉合宿(6) 鬼怒川 プラザホテル

2012年09月 温泉合宿(7) 別所温泉 上松屋旅館

2013年03月 温泉合宿(8) 修善寺温泉 ホテル滝亭

2013年09月 温泉合宿(9) 越後湯沢 ニューオータニ

 

青森ねぶた祭

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「秋田竿燈(かんとう)まつり」「仙台七夕まつり」と並ぶ東北3大祭りのトップを切り、青森ねぶた祭が2日夜、青森市で開幕した。

「ラッセラー」のかけ声とお囃子(はやし)の音色に合わせ、武将などを題材にした高さ約5メートル、幅約9メートルの大型ねぶた15台が街を練り歩き、跳人(はねと)が舞い跳ねた。

17年間の会社員生活を経てねぶた師になった手塚茂樹さん(39)は、今年初参加。

五穀豊穣(ほうじょう)の神とされる「雷神」を制作した。

皆が平和に暮らせるようにと願いを込めたという。7日まで。

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ちゃぶ台返し世界大会

岩手県矢巾町で、「ちゃぶ台返し」の世界大会が開かれました。

昭和の頑固親父をイメージしたこの大会。全国から26組が出場し、ちゃぶ台に乗ったおもちゃのサンマの飛距離や個性豊かなパフォーマンスを競い合いました。

優勝は9mの記録を出した地元の男性で、特製の金色のちゃぶ台が贈られました。

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バブルの頃の 懐かしいマンガ (^_^;)

18旅13夏 酒田

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日本最大の地主だった 本間家の本宅   意外に質素だった

   「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」 

江戸時代の米相場で 天才相場師だった 本間宗久の実家です (^_^;)