20【親睦会】

秩父SL旅と「瞬間を切り取る天才」

上の写真は昨年4/19に、たけちゃんが秩父鉄道三峰口駅近くのバンジージャンプ場で撮影したもので、まさにバンジーした「瞬間」をとらえた奇跡的な(天才的な)一枚!

実はこの写真を撮影した場所は、バンジージャンプ場から100メートル以上離れている橋の上で、肉眼ではバンジーをしていることすら気がつかないかもしれない場所

肉眼で観ると、こんな感じで、かなり離れています

私は散歩と写真が趣味なので大量の写真を撮影しますが、写真の最大の醍醐味は、上の写真のような「奇跡の瞬間」をとらえることにあると思っています

そんな「奇跡の一枚」を撮ったたけちゃんは、瞬間を切り取る天才です

下の写真は、バンジーが済んだ直後の写真、これもなかなかいいね

たけちゃんには、他にも素敵な写真がいろいろあって、下の写真は横須賀の米軍基地で撮った写真なんですけど、この星条旗のはためき具合、実にいいね!

手前と奥の船は米軍の軍艦で、今ごろイランの近くにいるのかもしれません

 

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世の中で「奇跡の一枚」と言うと、下の写真が有名

これは当時まだ無名だった橋本環奈(当時14歳)が、アイドルグループ「Rev. from DVL」の一員としてダンスしている「一瞬」をとらえた写真

これを撮影者(たぶんファンの一人?)がSNSにアップしたところ、瞬く間に世間の注目を集めてアクセス数が爆発し、それがきっかけになって橋本環奈は芸能界で大ブレイクしました

この写真が無ければ橋本環奈の大ブレイクがどうなっていたか分かりませんが、

奇跡の一瞬」をとらえた写真の持つパワー

が感じられます

 

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たけちゃんがバンジーを撮影した日(昨年4/19)、現在のサンマル会メンバーで、「秩父SL旅」をしました

秩父鉄道をSLが走るというので、みんなで観に(乗りに)行った訳です

池袋駅から西武線で秩父駅まで行って、そこから秩父鉄道で三峰口まで行ってSLを見学したり撮影したり

帰りは、そのSL列車に乗って熊谷駅まで行き、JR線で帰るというルート

当日の写真(185枚)もありますので、よろしければご覧ください

(^_^;)~♪

当日の写真(185枚)へ

 

追伸 実は当ブログ記事は、秩父SL旅の翌日(昨年4/20)にアップしたのですが、当ブログを置いているサーバーのトラブル(DBクラッシュ)で記事内容が消えてしまったので、再アップいたしました

ゴジラ・カラムーチョ

湖池屋は、世界的な人気を誇る怪獣「ゴジラ」とコラボし、「カラムーチョ」ブランドの各商品をゴジラデザインの特別パッケージに変更します

5/18より全国で期間限定発売

 

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山潤さん情報です ありがとねー

白黒袋のポテチが流行ってるみたいですけど

「ゴジラ・カラムーチョ」

まだカラー袋で良かったなぁ

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

Netflixで「ガス人間」

山潤さん情報です ありがとねー

Netflixシリーズ「ガス人間は、7/2(木)世界独占配信(全8話一挙配信)

下は初代の「ガス人間第一号」、八千草薫が主演!

(^_^;)~♪

八千草薫が主演女優「ガス人間第一号」

▲「ガス人間第一号」予告編

詳細はここをクリック

牛丼「すき家」の壁の絵

前記事(同窓会誌「朝陽」来ましたね)で、牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)に触れましたので、そのつづきを書きます

上の絵は、牛丼「すき家」のお店の壁に大きく描かれています

私は「すき家」の牛丼がダイスキなので、この絵は前からよく見ておなじみなのですが、先日の

ハマ研(横浜を研究する会)

で、実際に横浜の街を歩いて

上の絵で人々が立っている場所は「象の鼻」だ!

ということに気付きました

それで当時の絵を探したら、ありました!

もう、そのものズバリ、牛丼「すき家」の店内壁画は、この絵を元にしてるのは間違いなさそうです

遠くに高台(港の見える丘公園のあたり)があって、右に海岸通り、これは現在の山下公園のあたりでしょう

となると上の絵で人々が立っている場所は、「象の鼻」以外あり得ない!

▲開港当時の「象の鼻」

▲現在の「象の鼻」

ではなぜ、牛丼「すき家」の店内には、開港当時の横浜の絵を飾っているのか?

牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)は、石川県の出身ですが、「すき家」の第1号店は、生麦駅の近くだった

生麦駅は、川崎と横浜の中間にありますから、横浜に縁が深い

そしてここから先は、まだ十分な事実確認をしていないので、私の推理になります

若いころの小川賢太郞さんは共産主義にハマっていたので、20歳代のほとんどを

港湾肉体労働者(沖仲仕)の組織化(オルグ)

に費やしています

いまでは想像することも難しいのですが、当時(1968年ころ)は、優秀な学生が全共闘運動に参加して革命を夢見るのは「当然」のことでした

1968年、小川賢太郞さんは20歳

日本が高度成長で、どんどん豊かになっていった時代

1969年にはアポロ11号が月面着陸、1970年には前回の大阪万博があったりして、お祭り気分もあった

でもまだ日本には、多くの貧困が残っていた

小川賢太郞さんは、共産主義に見切りをつけて実業家になってからも、社会における「貧困の解決」を自分の人生テーマにしていたようです

▲アポロ11号が月面着陸 1969年

▲前回の大阪万博 1970年

▲沖仲仕

「港湾」労働者の組織化(オルグ)ですから、主な活動場所が横浜だったであろうことは容易に想像できます

青春の情熱を注ぎ込んだ地である横浜

その近くに、「すき家」の第1号店を出し、今なお「すき家」の店内に横浜の絵を飾っている

小川賢太郞さんの横浜に対する思い入れが伝わって来ます

そうなると、

彼の20歳代の活動内容を知りたい!

となるのですが、この辺の情報が意外に無いんです

ズバリ「伝記 小川賢太郞」のような本があれば一番いいけど、先月4/7にお亡くなりになったばかりで、まだ出てないみたい

wikiに経歴の概略が書いてありますが、ほとんどは牛丼業界に飛び込んだ30歳代以降で、20歳代の活動にはほとんど触れてない

共産党活動と言っても戦後ですから、それほど非合法なことはしてないと思いますが、港湾肉体労働者(沖仲仕)を雇っている荷役会社からすれば、共産党オルグは「招かざる客」で、ドロドロの戦いもあったのかもしれない

という訳で、小川賢太郞さんの20歳代についての情報を、これからWebやYoutubeなどでコマメに探していこうと思っています

(^_^;)~♪

ゴジラ-0.0

11/3公開の新作「ゴジラ-0.0」 最初の予告動画

山潤さんからの情報提供、ありがとねー

(^_^;)~♪

サンマル会 創立総会

本日、「サンマル会」の創立総会が、いつもの新宿「パセラ」で開催されました

と言っても名前が変わっただけで、母体は伝統ある特撮分科会など多数

「サンマル会」は略称で、正式名称は

「昭和30年代生まれの会」

あるいは「サン・マルク会」

だったかな?

上の写真は、たけちゃんご提供の松田聖子ライブ動画から

今は亡き神田沙也加と共演で、4K高画質の超「お宝」映像

20年以上前なので、松田聖子がまだ若い!

みんな「昭和の世界」にタップリひたりました

10日間の国際クルーズから戻ったばかりの山潤さん、幹事役ありがとー!

クルーズ中に撮った写真も見せてもらいました

うっかりして恒例の全員記念撮影を忘れちゃった

(^_^;)~♪

▲山潤さんが乗ったクルーズ船

▲おみやげのクルーズクッキー

▲クルーズ船内のラジオ体操

18時集合でしたので、通勤帰りのラッシュにぶつかり、新宿駅がすさまじい混雑!

特に埼京線ホームは、池袋方面へ向かう乗客の待ち行列がホームからあふれそうで移動困難、遭難しそうになり、18時に少し遅れてしまいました

m(__)m

詳細はここをクリック

「横浜」をつくった男

先日のハマ研(横浜歴史散歩)で知った高島嘉右衛門の伝記

高木彬光(ミステリー作家)著

「横浜」をつくった男 易聖・高島嘉右衛門の生涯

いま読み終えました

前述の通り、大実業家でありながら占い師という不思議な男の人生

■佐賀鍋島藩とのご縁

当時(幕末)の鍋島藩には、鍋島直正という名君がいて、この殿様(別名閑叟公かんそうこう)が若き日の高島嘉右衛門の人物を見抜いてチャンスを与えていきます

例えば、日本にやってきた「異人」たちが日本の焼き物(陶磁器)を好むことから、佐賀特産の伊万里焼などのお店(鍋島藩の直営店のようなもの)を横浜に出す

その店の経営を任されたのが、若き日の高島嘉右衛門で、ここで商才を発揮して実業家としての実績と人脈を築き、横浜との関係を深めていく

■裁定取引に手を出して投獄

ここで彼は、当時の金と銀の内外価格差による裁定取引(アービトラージ)に目をつけて手を出すが、これが幕府の国禁に触れて捕まります

実はこの裁定取引、「異人」が主導して、日本の金(ゴールド)が大量に国外流出するという、日本にとって巨大な損失となる大事件でした

ボロ儲けした「異人」たちはうまくたちまわってお構いなしだったり海外へ逃げたり

つられて手を出した高島嘉右衛門が罪人となるという、やや不運な巡り合わせ

総じて日本の警察検察は、日本人には威張りまくるが外国人に甘く、今でも外国人犯罪者に「不起訴」を出しまくって日本国民の怒りを買っています

■獄中で易経に出会う

結局、6年間の地獄のような獄中生活を味わう訳ですが、その獄中にたまたまあった「易経」(えききょう)の本を暗記するほど熟読して占いの世界にハマリます

江戸時代までの学問と言えば、まず四書五経で、その五経の筆頭にあるのが易経

現代人の感覚から言うと、

なぜ占いの本がそんなに重要な位置づけなのか?

フシギですが、とにかく東洋思想では占いを非常に重要視していたようです

シャバに出た高島嘉右衛門は、商才と占いの知識を活用して、明治政府要人との間に人脈を築き、大実業家への道を邁進します

政治家は先の見えない状況で重大な決断を迫られることが多いので、占いに関心が高かったようです

特に伊藤博文との関係は極めて濃厚!

伊藤博文が大陸へ行く直前、占いで凶相だと言って止めるのですが、それを振り切って旅立った伊藤博文は暗殺されてしまう

■ガス灯

先日の横浜歴史散歩で馬車道を歩いていたら、店の前に今でもガス灯を灯しているフレンチレストランがあったんです

馬車道ですから昔の「馬の水飲み場」があって、それを見ていたらお店の人が出て来て、「この街灯は今でもガスを送って光ってるんだよ」と教えてくれました

その時は予備知識が無かったので、「今でもガス灯をともしてるなんて面白い店だなぁ」なんて思っただけでした

ところがこの場所(馬車道十番館)には、かつて高島嘉右衛門の自宅があって、ガス灯の会社を運営(ガスを供給)していた場所だったようです

高島嘉右衛門は、横浜や東京に街灯(ガス灯)を広めました

街灯など無く夜は漆黒の闇、提灯(ちょうちん)をぶら下げて歩くしかなかった当時の日本人

街灯を見て「まるで昼間のようだ!」と驚いたようです

(^_^;)~♪

馬車道十番館

▲夜はこんな感じ 今でもガスの光が輝いてる