絵本「11ぴきのねこ」シリーズで知られる漫画家で、平成13年に亡くなった馬場のぼるさんが生前に描いたスケッチやアイデアなどを記したノートが、大量に残されていることがわかりました。
物語の要素になることがらを詳細に調べていたことがうかがえ、当時の担当編集者は「馬場さんの絵が膨大な情報と知識に基づいて描かれていることがわかる貴重な資料だ」としています。
馬場のぼるさんは昭和25年に本格的に漫画家としてデビューし、11匹の猫が繰り広げるさまざまな冒険を描いた絵本「11ぴきのねこ」シリーズは、累計で420万部を超えるベストセラーとなっています。
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馬場さんは平成13年に73歳で亡くなり、その後、資料整理のために馬場さんの自宅を訪れた当時の担当編集者が、膨大な量のスケッチや作品のアイデアなどを記したノートを見つけたということです。
スケッチの一部は先月発売された本のなかで紹介されていますが、資料の大半は公開されず出版社に保管されたままになっています。
このうち「11ぴきのねことあほうどり」について描かれたノートには、絵本の構想やアホウドリのイラストとともに、くちばしや羽の長さが何センチあるかなどが記されています。
また、縄文時代から現代に至るまでのヒトの顔の形や身長の変化、それに時代ごとの人々の暮らしに関するメモなど、漫画を描く際に必要となる知識やアイデアが書かれたノートも数多く残されていました。
当時の担当編集者のこぐま社の関谷裕子編集長は「馬場さんの絵が実は、膨大な情報と知識に基づいて描かれていることが資料を見てわかった。馬場さんの創作を知るうえでとても貴重な発見だと考えています」と話しています。
猫について調べ上げたメモも
絵本「11ぴきのねこ」を描いた馬場さんは、猫のスケッチや猫に関する考察も大量に残していました。
このうち、猫のスケッチは、自宅の近くに来る猫を描いたもので「しっぽだけ縞模様」といった特徴とともに、猫の愛らしい姿が描かれています。
また、「ねこ」と題されたメモには数ページにわたって猫の歴史などが記され、猫のイラストとともに、「洋ネコは14世紀にエジプトからヨーロッパに渡来。珍重された」「文献にあらわれるのは宇多天皇の御代」「平安時代、日本のネコはうす黒いトラネコ(キジネコ)が多かった」などの記述があり、作品づくりの参考にしていたことがうかがえます。
自身の年表には特攻隊の記録も
見つかった資料の中には、馬場さんがノートにまとめた自身の年表もあり、戦時中の様子などが詳細に記録されています。
それによりますと、昭和2年生まれの馬場さんは、岩手県の中学校を卒業したあと、昭和19年に海軍飛行予科練生として航空隊に入隊しました。
馬場さんは特攻隊員として出撃することなく、18歳で終戦を迎えました。
年表は平成元年までは毎年の分が残され、親友だった漫画家の手塚治虫さんとの交友の様子がたびたび書かれているほか、自分の作品がいつ、どの雑誌に掲載されたかも事細かに記されています。
こぐま社の関谷裕子編集長は「馬場さんがこんなにきっちりとメモや記録を残していることにとてもびっくりしました。また、戦時中の記録を見て、馬場さんが特攻隊員として赴任するタイミングが少しでも違えば、今ある作品たちは存在していなかったことになり、戦争というものはすべてを破壊してしまうんだということを改めて感じました」と話していました。
所在不明だった原画も発見
今回見つかった資料の中には、馬場さんが出身地の青森県から依頼されて描いたものの、その後、所在が確認できていなかった絵の原画もありました。
この絵は馬場さんが平成10年に描いたもので、青森市にある三内丸山遺跡を会場に、県の特産品や伝統行事が所狭しと描かれていて、リンゴやイカを販売している人や縄文土器を作っている人、ねぶた祭の様子などが描かれています。
青森県立美術館などによりますと、この絵は完成したあと、県が作成したパンフレットに掲載されたほか、パネルにして三戸町立図書館に展示されているということですが、関係者の間では原画がどこにあるか確認できていなかったということです。