71【事件事故】

無法地帯レバノン

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▲銀行を襲うデモ隊(1月14日、レバノンの首都ベイルート)

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 日本の司法制度を批判して

  無法地帯レバノンに逃げたゴーン

 親イスラエルだったことがバレて

  反体制派に命を狙われています

 身の危険を感じたら また箱に入って

  日本に逃げて来るかも~  (^_^;)

 

日産元会長のカルロス・ゴーンの逃亡先レバノンが、政治・経済危機に揺れている。

1月15日、首都ベイルートでデモ隊が治安部隊と衝突し、多数の負傷者が出た。

その前日には、ドルの預金引き出し制限に激怒した抗議者たちが、銀行を襲撃したばかりだった。

1月18日、19日にもデモ隊と治安部隊の衝突があり、2日間で負傷者が490人超となっている。

反体制デモは10月半ばから続いているが、国民の怒りは銀行にも向けられている。

金融危機を回避するため、多くの銀行が引き出しを月約1000ドルまでに制限しているからだ。

預金者は自国通貨レバノンポンドでの取引を余儀なくされているが、同通貨は対ドルで急落している。

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男は弱いよ 金ピカ先生

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派手な格好で羽振りのいいイメージが強かった「金ピカ先生」が孤独死したというニュースは、日本中に衝撃を与えた。

それは、多くの人にとって彼の死に様が他人事に思えぬものだったからに他ならない。

話が嚙み合わない

「ハァ、ハァ、ハァ……早く死にたい」

8月下旬のまだ暑い日、本誌は生前の「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)を取材し、9月7日号の特集でその変わり果てた姿を伝えていた。

かつて築いた財産をすべて使い果たし、生活保護と、週に2回のデイケアサービスだけを頼りに生きていた佐藤さんの家は電気もガスも止められ、熱気がこもる寝室には、異臭が充満していた。

骨と皮だけのようになった身体にパンツ一枚の姿で、ガラス玉のような両目は、遠くを見つめたまま動かない。

口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。

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「山城(新伍)、梅宮(辰夫)、(菅原)文太、あの頃の東映ヤクザ映画は楽しかったですね……」

頭がもうろうとしているのだろう。予備校講師時代の思い出を尋ねても、会話が嚙み合わない。

取材中、佐藤さんの口をつくのは「自分は生きる屍」「何にも関心がない」「早く死にたい」という、絶望に支配された人間の言葉ばかりだった。

そして、この取材からわずか1ヵ月足らずで、佐藤さんは誰にも看取られることなく、たった独りでこの世を去った―。

バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さんは、なぜこれほどまでにも哀しく、孤独な最期を迎えなければならなかったのか。

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佐藤さんは、’90年代前半にはすでに講師を引退。その後は、知名度を活かしてタレントとして生活していたが、ブームはあっという間に過ぎ去り、収入は講師時代の100分の1以下に。

それでも、かつては毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった佐藤さんの放蕩ぶりは一向に収まらなかった。

「貯金はあっという間に減っていきましたが、決定打になったのは、なけなしのおカネを元手に出馬した’01年の参議院選挙でした。自民党から出馬したものの、落選してしまった」(佐藤さんの友人)

穴埋めのため、予備校講師時代に建てた「豪邸」も売り払った佐藤さんが、中野区内にある実家に妻と共に越してきたのは、いまから5年ほど前のことだった。

「もともと、あの家には佐藤さんの母親が住んでいました。お母さんはハデな人で、ヒラヒラのフリル傘を片手に真っ赤な帽子をかぶったりしていて、佐藤さんの独特のファッションセンスは母譲りだったと思います。

そんな母親が亡くなって間もなく、佐藤さんと奥様が引っ越してきた。あの頃はまだ元気で、『いくらの時計を買った』とか『収入がウン千万円あった』とか、昔の自慢話をよくしていました。でも奥様は常識人でね。いつも腰が低い人だった」(近隣住民)

そして妻は去った…

金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さんだが、人柄については見た目とは裏腹に穏やかで、人を怒鳴るようなことは一切なかったという。

そして、周囲の人が口をそろえるのは、「人一倍仲の良い夫婦だった」ということだ。

「先生は温泉が大好きで、羽振りの良かった時代はいつも夫婦で伊豆や箱根に出かけていた。そういう旅行も、外食するときも、先生は絶対に奥さんを連れていました。

奥さんはお嬢様育ちで、実家は相撲部屋の後援会会長をしていたほど。先生とは対照的に常に地味な服装で、とても出来た人でした。旦那さんを常に立てていて『うちの佐藤がすみません』というのが口癖でした。

先生はおカネの管理がまったくできない人なので、カネ回りの世話は奥さんがぜんぶやってあげていました。誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。

先生が、講師を辞めてあまりおカネがなくなってからも、奥さんが先生のもとを離れることはありませんでした。10年ほど前に先生が脳梗塞で倒れた直後も、奥様は献身的に世話をして、きっちり断酒を成功させていました」(前出・佐藤さんの友人)

仕事以外のことはまるで何もできない夫と、半歩後ろを歩きながら身の回りを甲斐甲斐しく世話する妻。

典型的な「昭和のおしどり夫婦」の関係に亀裂が走ったのは、実家に移ってから2年ほどが経ち、夫婦の生活が本格的に困窮してからのことだった。

相変わらず近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶりに妻は呆れ果て、二人の間には喧嘩が絶えなくなった。

ついには「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした佐藤さんに妻の怒りは限界に達した。’17年のある日、突然家を出ていってしまう。

そこから、佐藤さんは死に至る孤独な日々を過ごすことになる。

〈もう女房に未練ないし〉
〈(独りで生きる余生は)バラ色ですよ、ずっと〉

昨年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けた際には、以前の威勢の良さがまだ残っていた。だが、それは精一杯の強がりだった。

プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。

そんな佐藤さんにとって、妻はありのままの姿をさらけ出すことのできる、唯一の相手だった。

その「たった一人」を失った瞬間から、佐藤さんの本当の苦しみが始まった。
誰もいない部屋で、話し相手もなくタバコをくゆらせながらぼんやりと過ごす毎日。

「過去の人」になっても、カネがなくなっても、病気になっても、多くの人が離れていっても、それでもそばにいてくれた妻が、ついにいなくなってしまった。

〈自分の人生には、もうなにひとつとして残されていない〉

決して取り返すことのできない過ちに気づいたとき、佐藤さんが感じた絶望はいかばかりだっただろうか。

「全部オレが悪い」

気づけば、すっかり自暴自棄になり、心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで大量の酒をあおるようになった。

そして、昨年の秋には、デイケアサービスがないと生活できないところまで体調が悪化した。

デイケア施設の関係者が言う。

「地域包括支援センターの職員が様子を見に行った結果、『もう一人では生きられないから、サービスが入ったほうがいい』という判断になりました。

担当のヘルパーが佐藤さんの家に初めて足を踏み入れたとき、中は荒れ放題で、床のそこかしこに落ちたゴミが異様な臭いを放っていた。

できる限りのことはしようと思いましたが、当のご本人が生きる意欲をまったく持てなかった。当初はコンビニでサンドイッチなどを買っていましたが、次第に食べることすらやめてしまった」

電気もガスもつかない真っ暗な家のなかで、服をまとわぬ佐藤さんはじっと虚空を見つめ、微動だにしなかった。

このときの様子を「恐らく、完全な『自己放任』状態だったのではないか」と語るのは、遺品整理業「あんしんネット」の石見良教氏だ。

「『自己放任』は社会から孤立していた人が、死別や離婚で唯一の心の拠りどころだった人を失ったり、病気などの負の出来事に見舞われたりして、孤独に耐えられずに自暴自棄になってしまうことです。

とりわけ、佐藤さんのように子供のいない高齢男性はその傾向がより顕著になる。普通、人間は生ゴミの臭いに耐えられず片付けたくなるものですが、毎日ボーッと過ごしているうちに感覚が麻痺して、それが異常であることにすら気づかなくなってしまう」

すでにほとんど会話することさえままならなくなっていた佐藤さんだが、時折、妻への気持ちをこぼしていたという。

「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。

自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」(前出・施設関係者)

男は弱い

羽振りが良かった時代を忘れられず放蕩を続け、すべてを頼り切っていた妻に愛想を尽かされる。

佐藤さんの辿った末路を、「自業自得」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、どんな形にせよ、すべての夫婦に離別のときはやってくる。佐藤さんが襲われた絶望は、誰にとっても決して他人事ではない。

「連れ合いと離れた後、女性は『独りで生きなきゃ』と覚悟を決めて強くなる場合も多いのですが、男性の場合は、一気に弱ってしまう人が少なくありません。

近所付き合いや友人付き合いの多い女性にとって、夫は『たくさんある人間関係の一つ』に過ぎませんが、定年後に仕事関係のお付き合いがなくなった男性にとっては、奥さんとの関係は唯一無二のもの。

死別や離婚でそれが失われると、どうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのです」(ケアマネージャーオフィス「ぽけっと」代表の上田浩美氏)

自分では何もできない男が独りになったときに襲われる、どうしようもない孤独。
人知れず最期を迎えた瞬間、佐藤さんがせめて絶望から解放されたことを願ってやまない。

「週刊現代」2019年10月12・19日合併号より

 

中国人122人逮捕 ネパール

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 毛沢東時代の集団ヒステリー(文化大革命)で

  知識人を大量虐殺した中国は 民度が劇的に低下し

 ウソと裏切りが日常化してしまった  ((((;゚д゚))))

 

ネパールの首都はカトマンズ、昨今は中国人が闊歩し、日本食レストランや居酒屋も日本人は見かけない。

大声で騒いでいるのは中国人たちである。

カトマンズは地震に襲われて一時、中国人ツアーが姿を消し、ネパールに平穏が訪れていたが、またもや中国人が舞い戻ってきた。

カトマンズと中国の幾つかの都市とは直行便で結ばれており、店舗の看板も中国語表記が増えた。

12月23日、カトマンズ警察が中国人ハッカー犯罪者集団のアジトなどを一斉に捜索し、122人を逮捕した。

かれらはVISAカードの偽造や、盗んだ個人データを売りさばいていた。

インドネシアで85名、カンボジアのシアヌークビルでも大がかりな中国人のハッカー犯罪者集団が捜索され、拘束される事件が相次いでいる。

一方、米国ではハッカー「ゴールドサン」(黄金の太陽)という暗号名で知られた中国人(本名ユピンアン、音訳=愈平安)が2017年8月にロサンゼルス国際空港で逮捕された。

一年八ヶ月、サンディアゴ連邦拘置所に収容され、2019年二月に釈放された

凶悪な中国人犯罪者・愈平安のハッキングで被害を受けた企業はクアルコム、航空・防衛企業のパシフィック・サイエンティフィック・エナジェティック・マテリアルズ社やライアットゲームズがある。

凶悪な中国人犯罪者・愈平安はマルウェアのブローカーで、コンピューターを遠隔操作できるマルウェア「Sakula」をハッカーに提供していた容疑を認めた。

マルウェア「Sakula」は数千万人の個人情報が漏えいした米健康保険大手アンセムへのハッキング、連邦人事管理局(OPM)へのハッキングで悪用された。

中国人民解放軍ならびに中国国家安全省が、日米欧企業のハイテク技術を盗むため、中国人ハッカー犯罪者集団と共同で、サイバー攻撃を行っていた。

中国外務省は「関知していない」としらを切り、「我々はいかなるサイバー攻撃にも断固として反対する」などとすっとぼけている。

日常的にウソをつく中国政府の言い分を信じる人はいない。

 

強姦魔・初鹿明博 立憲民主党

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立憲民主党の衆院議員、強姦魔・初鹿明博は20日、強制わいせつの疑いで書類送検されたことを受け、同日付で離党届を提出したと発表した。

報道各社宛ての文書で強姦魔・初鹿明博は「捜査機関の判断を待つ身でありますが、このような事態を招いたことに鑑み、離党届を提出しました」とした。

強姦魔・初鹿明博を巡っては2015年5月、タクシー内で知人女性にわいせつな行為をしたとして、警視庁葛西署が今月10日に書類送検した。

 

岡崎公栄 逃走中の凶悪犯の女 

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大阪地検の岸和田支部で、刑事施設に収容されることを告げられた岡崎公栄(49)が、男が運転する車で逃走しました。

その際、検察事務官が車にひかれ、軽傷を負いました。

この事件で大阪地検は逃げた岡崎公栄の顔写真を公開しました。

10月30日午前11時前の防犯カメラの映像に映っていたのは、男性らと共に止められた車に乗り込む岡崎公栄。

乗り込んだ瞬間、車が急発進し、一人の男性をひいて、走り去っていきます。

逃げた女は無免許過失運転傷害などの罪で公判中に保釈されていた岡崎公栄(49)です。

大阪地検によりますと、保釈決定を取り消され、岸和田支部に出頭してきた岡崎公栄に対して、収容手続きについて説明していたところ、「車に荷物を取りに行きたい」と申し出たということです。

検察官事務官と共に出てきた岡崎公栄は車に乗り込むと、そのまま男が運転する車で逃走しました。

その際、制止しようとした検察事務官が車と接触し軽傷を負いました。

大阪府警によりますと、逃走に使われた車はあずき色の軽乗用車で、岡崎公栄は身長約160cm、細身で黒とカーキ色の帽子を被っていたということです。

 

金田寛教授 逮捕 ストーカー

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 68歳でも スゴイ情熱

  元気だなぁ~  (^_^;)

 

風俗店に勤める20代女性の自宅前で待ち伏せし付きまとうなどしたとして、警視庁町田署は29日までに、ストーカー規制法違反容疑で九州工業大特任教授の金田寛容疑者(68)=北九州市戸畑区仙水町=を逮捕した。

金田寛教授は「姿を見るつもりだった」と容疑を認めている。

同署によると、金田寛教授は昨年6月に客として女性と知り合った。

金田寛教授は、愛人関係を迫ったため今年2月に店から出入りを禁止されたが、それ以降数十回にわたり、女性に「会いたい」などとメールを送り続けたという。

女性は今月27日、金田寛教授に車で付きまとわれて交番に駆け込み、町田署員が金田寛教授に職務質問し、付きまといを認めたため逮捕した。

 

出所祝い

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 右目は抗争で失ったそうです

  この業界では 名誉の勲章

 なのでしょうか?  ((((;゚д゚))))

 

18日朝に出所した指定暴力団山口組のナンバー2、高山清司若頭(72)が入った名古屋市内の組事務所には、重箱などが次々と運び込まれた。

山口組の篠田建市(通称・司忍)組長(77)らと出所祝いをしているとみられる。

高山若頭は同日午前6時前、府中刑務所(東京都府中市)を出た後、JR品川駅から新幹線に乗り、午前9時前に名古屋駅で下車。

迎えのワゴン車で同10時15分ごろ、名古屋市内にある出身団体・山口組弘道会の傘下組織事務所に入った。

約15分後には、篠田組長を乗せた車も事務所に到着。

その後、組関係者とみられる男性らが、風呂敷に包まれた重箱などを運び込んでいた。

名古屋市南部の住宅街にある事務所前には雨の中、約40人の報道陣が集まり、警察官も30人ほどが警戒にあたっている。

 

髙山清司若頭の出所

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▲73歳ですが「若頭」です

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 関西ヤクザの抗争ですが

  系列組織は全国に分布しています

 流れ弾に当たらないように

  気を付けましょう  ((((;゚д゚))))

 

京都の建設会社オーナーを恐喝したとして6年の実刑判決を受け、服役していた

髙山清司・六代目山口組若頭が、10月18日午前6時、府中刑務所を出所する。

その直前の、髙山若頭の出身母体である名古屋の弘道会に所属するヒットマン丸山俊夫容疑者が、対立する神戸山口組系山健組の本部前で2人の組員を射殺

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▲68歳にもなってヒットマン ヤクザも高齢化?

両山口組には緊張が走っており、他の刑務所への移送、時間の変更などは考えられるが、出所に変わりはない。

髙山若頭が恐喝事件で逮捕されたのは2010年11月。

その後、山口組は篠田建市(司忍)六代目のもとを井上邦雄・山健組組長が去って神戸山口組を設立。

その井上組長の側近だった織田絆誠・神戸山口組若頭代行が、組を割って任侠山口組を立ち上げた。

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▲暴力団対策法の締め付けで、暴力団員は激減している

髙山若頭は、極道の筋を通す正統派のヤクザである。

極道の筋とは、

「親子」「兄弟」の盃の重さを大事にすることであり、

組の「代紋」のためには体を投げ出す覚悟であり、

襲撃されたら「返し(反撃)」を行なう強さであり、

「絶縁」した者が稼業を続けていれば、許さず潰してしまう非情さである。

六代目山口組二次団体の幹部は言う。

カシラ(髙山若頭)の情報収集力と危機管理能力はたいしたもの。

 三分裂は、カシラ不在ゆえに起きたことだ。

 カシラが出てきたら、時期を見て綱紀を粛正、組織を立て直し、

 分裂の解消に乗り出すだろう」

その変化を見越した動きが始まっている。

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女帝 いじめ教師

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 教育業界は学区制というカルテルで保護された

  顧客獲得競争の無い無競争業界ですので

 腐り出すとトコトン腐る可能性があります  (;´Д`)

 

神戸市立東須磨小学校で起きた「教師による教師へのいじめ」事件で、新たに事実がわかってきた。

加害4教師の中で主犯は40代の女教師だが、前任の校長が気に入った教員を自分の学校に招き入れる「神戸方式」のシステムでやってきた。

この女教師は現校長より長く学校にいて、

「校内ですごい発言力を持つ、ある種女帝で、いじめの標的定めをやっていた」

(市議会でいじめ問題を話し合う委員会の岡田ゆうじ市議)という話もある。

加害教師の1人は激辛カレーを食べさせるなどのいじめ行為を授業中、児童に「おもしろかった的な話をしていた」(卒業した元教え子)ともいう。

市教育委員会は処分を検討しているが、教育評論家の石川幸夫さんによると、依願退職の可能性はあるが、「教員免許はく奪はない」そうだ。

加害教師が後日、他の学校で教えることもあり得るらしい。

鴻上尚史(演出家)「暴行傷害だ。刑事事件にしないと教員免許はく奪には至らないだろう」

学校は被害教師が休職したことで、学校は今月3日(2019年10月)に保護者説明会を開いたが、出席した保護者は「足を踏んだぐらいしか語られず、翌日に新聞でいじめの内容を知りました」という。

司会の国山ハセン「それが学校側の保身なのだろうな」

 

正義マン

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消費税10%払って店内で食べるべきか、8%払って持ち帰るべきか…。

軽減税率の対象商品はイートインで食べるかどうかの項目が書いてあり、自己申告制にして会計を行っています。

しかし、自己申告だと商品持ち帰りを申告していながらイートインで食べる人たちも増えるのではないかと予想されています。

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そんな人たちの行為がイートイン脱税といわれているのです。

イートイン脱税のようにテイクアウトとして買っておきながら、イートインスペースで食べている人がいたとします。

それを見つけた時に、店員に告げ口するような人のことを正義マンと呼ぶそうです。

正義マンが増えると、告げ口される店員さんも対応に困りそうだ、などと心配の声も上がっていました。