ロサンゼルスで育った僕は、まったく世界を理解していなかった。
ラテン系が大半を占める地域に住んでいて、「カウチサーフィン」というサイトを通じて母が他の国からの旅行者を家に泊めていたから、多様性は意識していた。
好奇心をもって、世界中の国々についていろいろな話に耳を傾けたけど、そこにリアルな実感はなく、ただ言葉だけが頭の中を駆け巡っていた。
僕が9歳だった2008年頃、経済危機(リーマンショック)が起きてアメリカ中がずたずたに引き裂かれ、すべてが変わった。
経済学者によると、大恐慌以来最大の経済危機だったという。
今にして思うと、それが母と僕が本当に必要としていた変化のきっかけになった。
僕たちは悲惨な状態だった。
僕は学校が嫌いで、母とのつながりが感じられていなかった。母子家庭で、多いときには週80時間働くくらいワーカホリックだった母も、同じように感じていた。
世の中の基準からすると、母は僕のためにできる限り頑張ってくれていたけれど、母は子供時代の僕と過ごす時間を完全に失ってしまったように感じていた。
経済危機が起きる前の僕たちは、恵まれていながらも不幸で、2人ともそうしたことにうまく折り合いをつけられずにいた。
母は広告代理店を経営していたが、経済危機が起きると真っ先にクライアントが消えていった。母は会社をたたむことになるだろうと考えていた。
そしてある晩、空っぽのオフィスに座っていた母は僕に驚くようなことを言った。
「さあ、どこかへ行こう。何もかも捨てて、冒険の旅に出よう!」
それが始まりだった。
人生には いろいろな選択肢がある
ということのようですね (^_^;)
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