真っ赤なトウガラシが、遠く離れた新宿区とフランスを結び付けた。
江戸時代、内藤新宿(現在の新宿区)の名産品だった「内藤とうがらし」を復活させたプロジェクトチームが、トウガラシの産地、フランスのエスプレット村で今月二十六、二十七日に催される「トウガラシ祭」に遠征する。
区内の大学生も同行、「内藤とうがらしを広めてきます」と意気込んでいる。
内藤とうがらしは、江戸時代、内藤家下屋敷(現在の新宿御苑)で栽培が始まった。
近隣の農家にも広まり、宿場で飛ぶように売れたが、都市化などで明治以降は姿を消したとされる。
それを、二〇一〇年発足の町おこし団体「内藤とうがらしプロジェクト」が復活させた。
今では区内の小学校などで栽培され、毎年十月には区内各地で「とうがらしフェア」が行われている。
内藤とうがらしプロジェクトのリーダー成田重行さん(77)は
「活動を始めた時からエスプレット村は新宿のお手本になると注目していた。特産品を町の文化として発信する力がある」
と話す。
▲収穫期になると家の軒先にトウガラシが飾られる仏エスプレット村
一方、エスプレット村はフランスとスペインにまたがるバスク地方の人口二千人の村。
新宿とは比べものにならない山あいの村だが、欧州では「エスプレット」がトウガラシを指すほど有名で、たった一品での町おこしに成功している。
村との縁を結んだのはプロジェクトメンバーの川副剛之さん(59)。
フランス在住で、昨年、ふとしたきっかけでエスプレット村のトウガラシ祭を訪れた。
家々の軒先に飾られたトウガラシ。
観光客でにぎわうマーケット。
「二千人の村に二万人が押し寄せていた。ピーマン(現地でのトウガラシの呼び方)祭という名前も面白い」
と感じ、帰国した際に知り合った成田さんに報告。プロジェクトに加わった。
▲多くの観光客でにぎわった昨年のトウガラシ祭
内藤とうがらしと、エスプレット村のトウガラシは、どちらもマイルドな辛さで、うまみ成分が多いという。
内藤とうがらしの名前の由来が徳川家康に新宿を与えられた内藤家、エスプレットも、かつての領主エスプレット男爵から来ているという共通点も。
遠征隊は約二十人。
うち六人は同区の学習院女子大学国際コミュニケーション学科で内藤とうがらしを栽培・研究している四年生だ。
現地ではフランス人にワサビなどを食べてもらい、辛さの感じ方を調べたり、七味作りのワークショップを行う。
渡辺瞳子さん(21)は
「エスプレット村ではチョコレートにトウガラシを入れるそうなので、参考にしたい」
トウガラシが大好きな星野冬帆さん(21)にとっては夢の村で「現地の人の生の声を研究に生かしたい」と目を輝かせる。
二十万円以上かかる旅費は自腹だけに物見遊山では済まされない。
前田理菜さん(21)は「目的意識をしっかり持ち、卒論の材料を集めてきます」と気合を入れた。
トウガラシ祭ではトウガラシの普及に貢献した人が表彰され、日本人で初めて成田さんが真っ赤なガウン姿でステージに立つ。
「新宿は多文化共生の町。内藤とうがらしで世界とつながる第一歩にしたい」
プロジェクトも豊かな収穫期を迎えたようだ。
彼女らには現地での撮影という使命もある。
それを今年から新宿区にキャンパスを構えた桜美林大学の学生が記録映像に仕上げ、十二月に新宿武蔵野館などで上映する。
製作費約五十万円はクラウドファンディングで調達予定。
同大の太田万葉(まほ)さん(20)は「映像を内藤とうがらしを広めるきっかけにしたい」と抱負。
青木伸之介さん(20)は「町おこしに興味がある人、頑張っている大学生を応援したい人に、ぜひ協力してほしい」と呼び掛けた。
▲新宿高校のとうがらし畑で意気込む(左から)
学習院女子大学の渡辺瞳子さん、星野冬帆さん、前田理菜さん、
桜美林大学の太田万葉さん、青木伸之介さん
▲新宿の都庁の前で内藤とうがらしを手にする
プロジェクトリーダーの成田重行さん
(10月21日東京新聞朝刊「TOKYO発」面に掲載)