20【親睦会】
日本酒情報検索アプリ
(株)エムティーアイは、元サッカー日本代表の中田英寿氏と共同で、スマートフォン向け日本酒情報検索アプリ『Sakenomy(サケノミー)』 を開発しました。
約1,000種類もの日本酒の情報を簡単に検索でき、自分好みの日本酒をレコメンドしてくれる本アプリは、本日よりiPhone版を、 2015年1月(予定)よりAndroid版の提供を開始します。
『Sakenomy』は元サッカー日本代表の中田英寿氏が監修。
日本を旅する中で全国各地の酒蔵を巡り、日本酒の価値を再発見した中田氏が、これを“世 界にアピールしたい”という想いに至ったことから生まれました。
初めてアプリの監修に携わった中田氏は、2012年にロンドンで日本酒を世界の人々に紹介 するイベントを行った経験を活かし、アプリのコンセプトや使い勝手、ネーミング、デザインに至るまでアドバイザーとして制作に参画しました。
いなオタの皆さん
さっそく インストール しましょう (^_^;)
いな吉の近くに新駅
都市再生機構と東京メトロは、2020年の東京オリンピックに合わせて、
地下鉄日比谷線の霞ケ関駅と神谷町駅の間に新しい駅を作ると発表しました。
東京メトロが営業中の地下鉄で新駅を作るのは、1997年の銀座線溜池山王駅以来です。
約240億円の総事業費は国の補助金などで賄い、早ければ来年度にも着工する方針です。
虎ノ門周辺では、五輪の競技会場が集中する湾岸地区とを結ぶバスターミナルなど、交通インフラの整備計画が相次いで明らかになっています。
新しい駅の名前は
「いな吉前」にして欲しい (^_^;)
特撮分科会9/30
ディープな世界です (^_^;)
純金製ゴジラ
約15キロの純金を用いて作られた怪獣ゴジラ「純金GODZILLA」が3日、福岡市・天神の貴金属店「GINZA TANAKA福岡天神店」に登場した。7日まで展示される。
東宝映画「ゴジラ」の初公開から60周年を迎えた今年、同店を運営する「田中貴金属ジュエリー」(東京)が、東宝の許可を得て制作。特撮監督川北紘一氏の監修の下、職人5人が3カ月をかけて完成させた。
同ジュエリーによると、高さ24センチ、幅19センチで、販売価格は1億5千万円。
1989年の映画「ゴジラVSビオランテ」に登場するゴジラをモデルに「筋肉を増強した」という。
九州には“初上陸”。片山竜也店長(47)は「ゴジラファンは世界中にいる。お買い上げいただければ、どこへでも、お届けに上がります」。
ゴジラ人形で型をとって 金を流し込むだけ
売れなかったら また溶かして延べ棒に戻す
お手軽な客寄せ手段かもね (^_^;)
ゴジラ一日警察署長
今年生誕60年のゴジラが20日、高知県警香美署の一日警察署長に任命された。
高知県香美市土佐山田町の商店街で開かれているイベント「えびす昭和横丁」に“上陸”し、交通事故や特殊詐欺被害の防止を訴えて回った。
高知県警音楽隊の演奏とともに登場。
清藤益男署長から「振り込め詐欺など、悪いことをたくらむ人物を我々とともにやっつけましょう」と委嘱状を受け取ったあと、署員らとともに商店街を練り歩いた。
高知市から遊びに来た黒沢琉衣(るい)さん(9)は「テレビでも見たことない。黒くてしっぽが長くて、ちょっと怖かった」。
21日も商店街に登場する予定だ。
伊福部昭の芸術10、11、12
今年生誕100周年を迎えた日本音楽界の巨匠、伊福部昭。
彼の生前よりその作品を取り上げてきたキングレコード『伊福部昭の芸術』シリーズに最新作が一挙3タイトル登場します。
100周年を記念して様々なライヴ、演奏会が組まれた中から、5月30日、31日(氏の誕生日)に行われた「札響ライヴ」や7月の「ゴジラ生誕60周年記念ライヴ」を、そして音源の珍しい“寒帯林”を収録した、ファン必携の内容です。
ゴジラは 27会と ほぼ同世代 (^_^;)
ゴジラの中の人
CGで作られたゴジラがアメリカで暴れ回るハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』(公開中)。
その60年前に公開された、第1作の映画『ゴジラ』では、CGではなくゴム製の着ぐるみが使われていた。
中に入って演じていた「スー ツアクター」(着ぐるみに入って演技する俳優)が中島春雄さん(85才)だ。
東宝所属の俳優だった中島さんは1954年、上司から突然、一冊の台本を手渡された。
「表紙に『G作品』と書いてあって“ゴジラという怪物の役をやれ”と言われました。何を演じるのかまったくわからなかったけど、仕事を選り好みしない信条なので、よろしくお願いしますと引き受けました」
撮影前、役作りのために東京・上野動物園に通った。
「そのころ、インドから贈られたインディラというゾウがいたんです。インディラは足の裏全体を地面に押しつけながら、ゆっくりと進む。
ゴジラの歩き方はゾウを参考にしました。他にもクマの腕の使い方、ハゲタカの首の動かし方などを観察するため1週間ほど通い詰めました」
そして、その年の夏に東宝の撮影所で3か月間の撮影が始まった。着ぐるみの重さは約100kgもあった。
「私が片方ずつ足を入れた後、スタッフが後ろのジッパーを閉めて準備完了です。ゴジラの足には下駄が入っていて、それを持ち上げて動かすんですが、重いのなんのって。海軍で鍛えた体がなかったら動かせなかった(笑い)」
きつい撮影の連続だったが、今でも中島さんが思い出すことは暑さだ。当時はエアコンはもちろん扇風機も珍しかった時代、中の温度は60℃に達したという。
「1カット7秒の撮影が終わると休憩になるんですが、シャツをしぼると汗が滝のようにジャーって出ました。ゴジラの中は自分の汗のにおいで充満していました。くさかったです」
ギャラは1作20万円。
サラリーマンの給料が月3万円の時代に破格の値段だった。
妬みや軽蔑した目で見る俳優仲間は少なくなかった。
「当時はスーツアクターなんて格好いい言葉はなかった。“中に入って演じるなんて俳優の仕事なんかじゃない”と陰口を叩かれることがありました。でもね、ゴジラをゴジラらしく演じられる俳優は私しかいない。そう誇りを持ってやり続けました」
中島さんは、1972年『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』までの12作品でゴジラを演じ続けた。
CG全盛時代になった現在でも中島さんのゴジラを賞賛する声は多い。
※女性セブン2014年10月9日号
六本木寿司会9/12
今回のスペシャルゲストには
熊さんの大学時代のご友人の
江角さんにご参加いただきました (^_^;)
六本木のゴジラくん