先日、「勝海舟記念館」を歩いたので、久しぶりに「氷川清話」を読みました
幕末明治の英雄である勝海舟が、その晩年に自らの人生を振り返って話した内容の談話録ですから、口語体で非常に読み易い
ちゃきちゃき江戸っ子言葉で、歯切れが良いが、少し話しを盛る(大げさに言う)クセがある
「氷川」というのは、晩年の海舟が住んでいた屋敷が赤坂氷川神社の近くにあったからで、現在の六本木ミッドタウンの裏あたり
昔のお屋敷街の雰囲気が現在も残っていて、私はこのあたりをよく散歩します
晩年の海舟は、この屋敷の中の自分の書斎を「海舟書屋」と呼び、ものを書いたり、人を招いて談話をしたりして過ごしていました
海舟書屋の名付け親は佐久間象山で、象山が海舟に贈った上の額にちなんでいます
象山と海舟は互いを高く評価し合い、象山は海舟の妹を妻にしている
象山はかなりの変人ですが、幕末の日本では一二を争う国際事情通で、早くから開国を説いていたために攘夷派から憎まれ、最後は53歳で暗殺されてしまいました
海舟も開国派でしたから常に命を狙われていて、九死に一生を得たような話が「氷川清話」にはたくさん出てきます
海舟が77歳(満75歳)と、当時としては長寿を全う出来たのは、まさに奇跡!
晩年の海舟は、この海舟書屋から、自らを「海舟」と名乗ります
海舟は若いころから非常に筆まめな人で、大量の書き物を残しており、また人を招いて談話するのも好きだったようで、海舟書屋には海舟の話を聴こうとして毎日のように客が来ていました
夏目漱石もその書斎に毎日のように門下生(芥川龍之介など)がやってきて談話に花が咲いていたようですから、政治家と文学者という違いはあるにせよ、似たような雰囲気だったのかもしれません
むやみに威張ったり、人を叱りつける人のまわりに人は集まりませんから、海舟も漱石もよくしゃべり、人の話も素直によく聴く人柄だったのでしょう
「氷川清話」は、そんな雰囲気の中での海舟の談話をまとめた本です
文庫にもなっていますが、今回は中央公論社「日本の名著」シリーズの「勝海舟」で読みましたので、その冒頭に江藤淳さんの紹介文「海舟論」もあり、これがなかなか素晴らしかった
さすが文芸評論の第一人者だけあって、非常に格調高い文章で、単なる紹介文の域をはるかに超えています
江戸っ子言葉で歯切れが良かった海舟ですが、少々人を食ったような皮肉っぽい軽口も多く、そのために敵を作ることもあったようです
福沢諭吉から嫌われたのも、そのせいかもしれません
海舟が咸臨丸の艦長として米国から戻ったころ、江戸幕府の老中が
「米国が日本と異なる点は何か?」
と質問します
海舟は「同じ人間だから、さほど異なる点は無い」と答えると、老中はなおも「そんなことはあるまい」と続けるので、海舟は
「強いて言えば米国では
人の上に立つ者は皆それなりに優秀でした
こればかりは日本とは正反対でした」
と答えたので、老中は「無礼者め!」と怒った
という話が「氷川清話」の中にあります
(^_^;)~♪









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