読売新聞夕刊に月に2度程連載されている池辺晋一郎さんのコラム「耳の渚」。
6・18の夕刊には、金沢での全国公立文化施設協会の大会の話が掲載されていました。
文化庁長官・青柳正規氏との対談のようすが語られています。
両氏とも新宿高校OBです。
コラムの最後の方に「青柳氏と僕は、年ごとにクラス替えがあったにもかかわらず高校3年間同級という間柄だ」と語られています。
池辺氏は作曲家。
青柳氏はギリシャ・ローマでの美術に造詣が深く、現在、西洋美術館館長という職にあります。
日本の文化を両面から支える方々が、新宿高校の先輩で、同時に現在も親交があるのはすばらしいことですね。
青柳正規
新宿高校OB(朝陽同窓会の元会長)
国立西洋美術館館長、東京大学名誉教授。古代ギリシャ・ローマ美術史研究の第一人者として、30年以上にわたり、地中海各地の遺跡を発掘調査。2003年 イタリアで、ローマ帝国初期の大理石女性像をほぼ完全な形で発見した。2006年紫綬褒章。2011年NHK放送文化賞受賞。
番組では、NHKス ペシャル「大英博物館」(1990)、「ローマ帝国」(2004)、TBS「世界史上空前の謎、古代ローマ・幻の都市ポンペイはなぜ19時間で消えたの か」(2004)に出演。著書に、『エウローパの舟の家』(地中海学会賞)、『古代都市ローマ』(マルコ・ポーロ賞、浜田青陵賞)、『皇帝たちの都ロー マ』(毎日出版文化賞)、『トリマルキオの饗宴』(小学館)など多数。
ローマ大学に留学したのは,二四歳のときなので四四年前になる。
イタリア政府奨学金留学生の試験に受かったとはいえ、当 時の私のイタリア語はひどいものだった。そのことはローマ大学での授業を聞くようになって、さらに明々白々となった二、三割しか聴きとれなかったが、とも かく耳の訓練と考え出席を続けると、半年もたたないうちにどうにか内容を把握できるようになった。
古代ローマ文化を研究する最低限の資格を手に入れた。し かし、研究者として認めてもらうにはそれから四~五年かかった。何本かの論文をイタリアやドイツの学術雑誌に発表することができたからである。
論文の内容はおもに発掘から得た知見で、できることなら二○~三○ページの論文として纏めたかったが、駆け出しの若手研 究者であるからその三分の一のスペースを確保するのが精一杯だった。いつの日か、自分自身が編集主幹を務める学術雑誌を、イタリアで発行したいと思うよう になったのはそのころである。
日本に帰ってからも、毎年数ヶ月、発掘調査のためにイタリアで過ごした。
最初の五年はポンペイを中心として、三十代半ば から十年近くはシチリア島のアグリジェントで、そして、40代半ばからはローマの北約一二○キロのタルクィニアという町の近郊においてである。
この間、発 掘調査の成果は報告書としてイタリア語や英語で発表すると同時に、英独伊の学術雑誌にも寄稿した。
自前の学術雑誌を持ちたいという気持ちに変わりはなかっ たが、発掘調査に追われて具体的な行動にまでつながることなかった。
ところが、ソンマ・ヴェスヴィアーナでの発掘調査を始めた十年前から、再び学術雑誌を 発行したいという気持ちに火がついた。
三十年近くイタリアで調査研究を続けてきたため、古代ローマの別荘研究に関しては一定の評価を受けるようになり、そ のおかげで地元ではローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの別荘かもしれないという重要な遺跡の発掘許可をイタリア政府から得ることができた。
同時に日本から も毎年二億円近くの研究費を獲得する目処が立った。
日本隊がナポリの東約二○キロのところで発掘を行っており、ディオニュソスの大理石像などが出土してい るというニュースがテレビなどで発表されると、さまざまな国の考古学者で来てくれるようになった。
彼らと意見交換をしたり、どこそこの遺跡では誰が発掘を しているといった情報が数多くもたらされるようになり、とくに古代ローマ時代の別荘文化に関する学術雑誌がないこと、そして、そのような雑誌を発行すれば 学界に貢献できることが分かってきたので、今度は是非とも実現しようと考えた。
友人の考古学者たちに相談すると、印刷技術のたしかなイタリア国立印刷造幣 局から出版するのがいいのではないか、という意見をもらった。
たしかにイタリアで代表的な遺跡であるポンペイやオスティアの見事な報告書を出版していると ころである。
イタリアで重きをおいている何人かの考古学者たちが推薦してくれたので、案外簡単に国立印刷造幣局は学術雑誌の発行を引 き受けてくれた。
もちろん私が編集主幹として全体を統括することも含めてである。
二○一○年に第一号の刊行にこぎつけ、第二号が最近ようやく上梓された。
イタリアに初めて渡ったころに思い描いた夢が、六十歳を過ぎてようやく実現した。
その間、さまざまなことがあったが、同じ夢を見続けるといつかは実現する ものだという実感を、最近、ひしひしと感じている。