ドイツオーストリア

小澤征爾さん ベルリン・フィル降板

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ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は20日、小澤征爾さん(82)が来年1月19日と21日にベルリンで予定していたコンサートを降板すると発表した。

共同電によると、航空機での長い移動時間が負担になるとの医師の助言があったためだと説明している。

小澤さんは2010年の食道がん摘出手術後に活動を一時休止したが、16年4月に約7年ぶりにベルリン・フィルを指揮して話題になった。

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政府専用機を 特別にお借りして

ベッドで横になって移動したらどうでしょ  (^_^;)

 

 

元気な91歳

老化とは 要するに 持てる能力を

 使わなくなった結果のようですね (^_^;)

ベルリン・フィルとパナソニックが協力

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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、ベルリン・フィル)とパナソニック株式会社(以下、パナソニック)は、4K・HDR・ハイレゾ技術を用 いて、コンサートホールでのライブ体験を、高品位かつリアルにご家庭や車室内に届ける可能性を追求すべく、技術開発の協業を進めることで基本合意しまし た。 続きを読む

小澤征爾ベルリン・フィル

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世界的指揮者の小澤征爾さん(80)が4月8日、世界最高峰のオーケストラの一つ「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」と7年ぶりに協演。

魅了された聴衆約2000人が喝采を送った。

今回の出演は、予定されていた指揮者の演奏会中止を受け、2015年12月に急きょ決定。

ベートーベン作曲の「エグモント序曲」などを指揮した。

冒頭で小澤さんが、自らに気合を入れるように一度手をたたいてステージに上がると、演奏前にもかかわらず聴衆から「ブラボー」と歓声が上がったという。

エグモント序曲では時に鬼気迫る表情を見せながら、導入部の重厚で悲壮感に満ちた響きやクライマックスの輝かしさを巨匠ならではの統率力で印象的に紡ぎ出した。

親交が深い作家の村上春樹さんも駆けつけ、演奏後に舞台裏で労をねぎらったという。

今回の公演を受けて、ベルリン・フィルは公式サイト上で「小澤征爾の帰還」と銘打ち、「病気のため長らく協演できなかったが、客演指揮者となった1966年から50年目となる記念の年に、ベルリン・フィルの指揮台に戻ってきた」と伝えている。

 

引退 アーノンクール

2015120601001830世界的な指揮者で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の公演などで来日したこともあるニコラウス・アーノンクールさん(86)が6日までに引退を表明した。

自身のホームページで明らかにした。

アーノンクールさんはベルリンで生まれ、オーストリア南部グラーツで育った。

ウィーン交響楽団のチェロ奏者として活躍した。

ホームページでは「体力的な問題で今後の予定をキャンセルした」と引退の理由に言及。

「舞台に立つ私たちと客席の皆さまの間で特別な深い関係が生まれ、一緒に幸せな発見をしてきた」と感謝の気持ちを表した。

自筆メッセージ

親愛なる聴衆のみなさま。

私の身体の力が及ばないため、今後の計画を断念いたします。いま、大きな思いが湧き起こってきます。舞台上の私たちと、会場にいらっしゃるみなさ まとの間には驚くべき深い関係が生まれました。私たちは幸せな発見共同体となったのです! この先も、その多くが残り続けるでしょう。今年のチクルスは、 今までと同じく、私の意志通りに行われますので、みなさまの変わらないご支援をお願いいたします。

ニコラウス・アーノンクール

 

キリル・ペトレンコ ベルリン・フィル次期首席指揮者、芸術監督

 

クラオタの皆さんには、旧聞に属するかと思いますが・・・ (^_^;)

 

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルによるスクリャービン“法悦の詩”より

 

6月22日(月)(日本時間午後8時)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、サー・サイモン・ラトルの退任に伴う次期首席指揮者、芸術監督にロシ ア(オムスク)出身のキリル・ペトレンコを選出したと発表しました。

僅か3回の共演で世界最高のオーケストラの楽員たちの心を捉えた、指揮者としての優れ た手腕や豊かな音楽性が注目されます。

キリル・ペトレンコは現在はバイエルン州立歌劇場の音楽監督を務めており、ミュンヘンでの公演ではかのカルロス・クライバーと比較された(フォーブス誌の速報記事より)ほどの天才肌で、今後の活躍が期待されます。

昨日のオーケストラの集会で、キリル・ペトレンコがメンバーの大多数により首席指揮者、及びベルリン・フィルハーモニー財団の芸術監督に選ばれました。

彼は、2018年8月にオーケストラを去るサー・サイモン・ラトルの跡を継ぎます。

ベルリンフィルの現首席指揮者サイモン・ラトル氏は今年初め、18年での退任を表明し、誰が後任となるかがクラシック音楽界での大きな話題だった。

ベルリンフィルは団員が首席指揮者を投票で選ぶが、5月に行われた投票では議論が11時間にも及び、異例の先送りとなっていた。

楽団員による首席指揮者選びは、カラヤン氏の後任を選んだ1989年に始まり、今回が3回目。

 

キリル・ペトレンコは以下のように述べました。

「私の感情を言葉で言い表すことができません。

それは幸福感とものすごい喜び、そして畏怖と信じられない気持ちまでの全てです。

私は責任と私への高い期待 に気づいています。

そして、 私はこの偉大なオーケストラにふさわしい指揮者となるよう全力を尽くします。

しかし、私はとりわけ、われわれの激務に報い、意味のある芸術家としての命を 満たす、われわれの音楽作りにおける多くの芸術的な幸福の瞬間を望みます。」

http://www.berliner-philharmoniker.de/en/titelgeschichten/2014-2015/kirill-petrenko-2015/)より抄訳

 

キリル・ペトレンコ(Kirill Petrenko, 1972年~)

ヴァイオリニストの父と音楽学の講師を務める母のもと、ロシア・オムスクに生まれる。

同地の音楽院でピアノを学び、僅か11歳でオムスク交響楽団のソリス トとしてデビューした。

1990年、父親がオーストリア、フォアアールベルク州のオーケストラと音楽講師の職を得たため一家で移り住んだ。

ペトレンコは始 めフェルトキルヒで音楽を学んだが、ウィーン音楽大学に移り指揮法をウロス・ルトヴィチに学び、1991年に卒業した。

1997年にウィーン・フォルクス オパーのアシスタント、リハーサル伴奏者に就任。

1999年から2002年にマイニンゲン歌劇場の音楽総監督に任命され、ショスタコーヴィチの“ムツェン スク郡のマクベス夫人”でデビューした。

2002年から2007年までベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽総監督。

2013年よりケント・ナガノの後 任として、バイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任した。

2015年6月22日、サー・サイモン・ラトルの後任として、2018年からベルリン・フィル ハーモニーの首席指揮者・芸術監督に就任する事が発表された。

 

【ベルリン・フィル歴代常任・首席指揮者】
ルートヴィヒ・フォン・ブレナー(1882年~1887年 常任指揮者)
ハンス・フォン・ビューロー(1887年~1892年 常任指揮者)
アルトゥール・ニキシュ(1895年~1922年 常任指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1922年~1945年 常任指揮者)
レオ・ボルヒャルト(1945年 常任指揮者)
セルジュ・チェリビダッケ(1945年~1952年 常任指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1952年~1954年 終身指揮者)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1955年~1989年 終身指揮者・芸術監督)
クラウディオ・アバド(1990年~2002年 首席指揮者・芸術監督)
サイモン・ラトル(2002年~2018年[予定]  首席指揮者・芸術監督)
キリル・ペトレンコ(2018年~[予定]首席指揮者・芸術監督)

 

2018年からなのに 2015年のいま決めるとゆーのは

じっくり心の準備をしておけ とゆーこと?  (^_^;)