牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショーホールディングス(HD)の創業者で、会長の小川賢太郎(おがわ・けんたろう)氏が4/6、死去した。
77歳だった。死因は心筋梗塞。
小川氏は初代の社長で、昨2025年6月から代表権のある会長に就いていた。
以下、wikiから経歴:
石川県出身。都立新宿高校を経て、東京大学に進学するが、全共闘運動に関わり中退[1]。
港湾労働を経て、ベトナム戦争から「資本主義のもとで貧困をなくす」ことに目覚め、通信教育で中小企業診断士の資格を取得[2]。
1978年、吉野家に入社。同社の倒産などをきっかけに独立し、1982年にゼンショーを創業。
社名は創業時に「全勝」「善意の商売」「禅の心で商売を行う」の3つの意味を込めて命名した[1][3]。
横浜市鶴見区の京急本線生麦駅前で、持ち帰り弁当店「ランチボックスすき家」を開店した[4][5]。
その後、M&Aで外食チェーンを次々と傘下に収め、強力なリーダーシップを発揮した。
2011年3月期連結決算では、連結売上高が日本マクドナルドホールディングスを上回り、外食チェーン国内最大手に成長した[6]。
▲毎年百億円単位で売上を伸ばしている
直近2025年3月期は、連結1兆0136億円
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私は牛丼ダイスキなので、近所の「すき家」へよく行きます
1948年生まれですから、坂本龍一より3学年上、まさに全共闘世代で、70年安保のとき22歳(朝陽27メンバーは、まだ中学生)
現在では想像も出来ませんけど、当時の優秀な学生はみんな共産主義に洗脳され、革命を目指して赤旗を振った
当時の若者たちの、革命に向けた熱っぽい心情は
柴田翔「されどわれらが日々」
を読むと伝わって来ます
学生運動の流れで港湾労働者の組織化に飛び込んで、30歳くらいまでオルグ活動
やがて日本は高度成長期を終え、自由で平和で豊かな先進国となり、日本の共産主義運動は衰退しつつあった
しかも物流業界にコンテナ輸送が広がり、社会から港湾労働者は激減する
▲かつての港湾労働者
それから心機一転、頭を切り換えて、ビジネスの世界に飛び込む
バイトで入った吉野家で外食産業を現場から学び、わずか4年で独立し、やがて大躍進という波に乗った人生
日本の外食産業で立志伝中の人物、すさまじい人間力(パワー)を感じます
経営者になってからは、有名な「ワンオペ」の過重労働で社会から叩かれたり
たぶん本人の頭の中では「資本主義のもとで貧困をなくす」というかつての理想と、経営者としての企業効率追求の間で、いろいろ煩悶することもあったかも
趣味は筋トレ(特にベンチプレス)
「(日本人は)ベンチプレスやって体鍛えて
牛丼食ってれば戦争に負けなかった」
が持論だったそうです
昭和23年生まれですから、高度成長以前の「肉はゼイタク品」という貧しかったころの戦後日本をよく知ってる世代
日本で食肉の輸入が自由化されたのは1991年で、それから肉が安くなって牛丼業界も急成長だったはず
ご冥福をお祈りします
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チャーチルの有名な言葉
20歳の時に自由主義者でなければ情熱が足りない。
If you are not a liberal at 20, you have no heart.
40歳で保守主義者でなければ知能が足りない。
If you are not a conservative at 40, you have no brain.
正反対の意味で、小川賢太郎さんの人生そのもの!
持てる情熱と知能を、発揮し尽くした一生













★いな吉
昭和音曲同好会
中島ジャズ
おにゃんこ ^ↀᴥↀ^
ラブクラフト