補陀落船(ふだらくせん)って何だろうと思って読み始めた
熊野の海岸から船に乗り、死を覚悟して阿弥陀浄土をめざした補陀落渡海という捨身行
熊野には常に死がつきまとう
後白河を始めの院政期の歴代法皇が狂ったように参詣した熊野
やがて下々の民衆まで熊野に押し掛けるようになり「蟻の熊野詣で」と言われるほどに盛況となる
江戸時代になって民衆の行き先は伊勢になり、お祭り化、観光化してゆく
寂れた熊野は、純粋な信仰の場として残っていく
今でも熊野三山など紀伊山地は、修験道など日本の原始信仰を守り続ける聖地となっている
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▲那智参詣曼荼羅 一番下に見えるのが補陀落船