なんだか妙にカワイイ
対戦表ですね
(^_^;)
なんだか妙にカワイイ
対戦表ですね
(^_^;)
とても人間ワザとは思えません
まさに神ワザです!
(^_^;)

都立新宿高校サッカー部の新エンブレム及び新ユニフォームをデザインしました。

また、4月末ごろよりスタートするインターハイ予選から袖を通す新ユニフォームのお披露目会が、4月15日に実施されました。
都立新宿高校サッカー部を普遍的に形作るものとして、これまで伝統ある新宿高校の先輩方が大切にしてきた「興国の鐘」(→)、日々の学校生活の象徴である「正門前のアーチ」、大都会新宿の真ん中にある「三角形の校庭」をモチーフに制作しています。

▲新宿高校(旧制六中)の興国の鐘

▲日本海海戦(日露戦争)における戦艦三笠と東郷平八郎 左上はZ旗


クリアソン新宿の岡本達也(#50)は、3月13日(土)、東日本大震災の復興支援で交流してきた高校の卒業生らによる
「スポーツを通じて、今何ができるのか」
を考えるオンライン討論会に参加します。
当オンライン討論会では、
「人と人との繋がりの大切さ」
を理解してもらうことを目的に、2012年から継続的に行われてきた復興支援フットサルイベントの卒業生が、交流の意義を振り返り、コロナ禍で苦しむ今の高校生のためにできることを議論します。
クリアソン新宿とも親交の深い、東京都立新宿高校の現役生を交え、改めてスポーツの価値を考えます。

▲岩舘 直(#26)と新宿高校サッカー部の生徒たち
新宿区サッカー協会代表チームCriacao Shinjuku(クリアソン新宿)は、都立新宿高校サッカー部と、昨年から連携を開始。
クリアソン新宿の岩舘 直(#26)の継続的なGKトレーニング、 井筒 陸也(#3)はキャリアに関する授業を実施しました。
また、サッカー部員全員で参加いただいた関東サッカーリーグの 運営協力や、合同で新宿御苑の休園日に清掃活動をするなど、多岐にわたる領域で活動を共にしています。
クリアソン新宿
新宿区サッカー協会代表チームとして、世界一のクラブを目指している。
2005年、大学サッカーサークルのメンバーを中心に 創設。
2009年に東京都社会人リーグに加盟。
2014年に都リーグ1部に昇格後、2018年に4度目の挑戦で関東大会 を優勝、関東リーグへ。2019年は関東リーグ2部を1年目で優勝し昇格。
2020年11月には新宿区との 包括連携協定を締結し、地域社会の発展、多文化共生の推進などで連携。
「Enrich the world.」を掲げ、サッカーを通じて 社会を豊かにすることをミッションとする。
運営は株式会社Criacao。
あくまでも構想段階ですので
100%必ず実現する
とは限りません (^_^;)
東京・渋谷区の外郭団体の一般社団法人「渋谷未来デザイン」は13日、同区で行われたイベントで、民間主導で都立代々木公園内に多目的に使えるサッカースタジアムの建設を目指すことを発表した。
「スクランブルスタジアム」と名付けられた構想では、サッカーだけでなく、ライブやイベント会場、さらには防災拠点としての機能も備える。
パネリストとして出席した日本サッカー協会相談役の川淵三郎氏(81)も賛同した。
渋谷区が出資する「渋谷未来デザイン」は主催するイベントで、スクランブルスタジアム構想を発表。
渋谷の象徴・スクランブル交差点をヒントに、多様な人が行き交い、多用な使い方ができるスタジアムを民間の力でつくることを目標に掲げた。
建設地は複数駅から徒歩10分前後でアクセスできる代々木公園内の南部で、球技場や野外ステージなど既存施設がある付近。
緑地を削る必要はなく、3~4万人規模を想定している。
イメージ図は、12年11月の最初の新国立競技場のコンペで最終選考まで残った建築家・田根剛氏(39)が作成。
公園の自然と調和したデザインになっている。20年東京五輪後の着工を目指す。
実現すれば、東京23区内初の大規模サッカースタジアムとなる。
客席とピッチの距離が近いことで、より臨場感を味わうことができる。
出席した川淵氏も「これまでの日本にはない、世界に冠たるスタジアムができることを願っている。全面的に協力していきたい」と支援を約束。
どのクラブを誘致するかは未定だが、東京都がホームタウンのFC東京であれば集客も見込める。
ライブやイベント会場としても活用していく方針で、スポーツとエンタメの発信地となる。
防災拠点としても意義は大きい。同公園は災害時の避難場所に指定されており、最大10万人の受け入れが予想される。
発案者の金山淳吾理事は「災害時にはトイレの確保にもつながるし、VIPルームやビジネスルームを開放して、被災者を受け入れることができる」と効果について話した。
まだ構想段階だが、渋谷区民、東京都民の意見を積極的に取り入れながら実現を目指していく。
日本の鉄道は 本当に素晴らしいんですけど
地方の各駅停車が だんだん減ってきているのが
青春18きっぷファンとしては 少々残念です (^_^;)
日本を定期的に訪れている筆者(英国人 Colin Joyce)は数年前、都内に「上野東京ライン」という新しいJRの路線ができたことに気がついた。
上野駅と東京駅はすでに結ばれていなかったか? そう思い、やや困惑した
なるほど、それは都心を走り抜け、5つの都県を一度も乗り換えることなく縦断できる路線であることが分かった。
複数の路線を結ぶ難しい事業を見事に成し遂げたことで、乗客の利便性は高まり、世界最先端の日本の公共交通はさらに良くなった。
南北270キロメートルにも及ぶ鉄道路線の名称に、徒歩で行き来できる都心の2つの駅名を使うのは、かなり控え目な名称に思えた。
しかし、それこそ日本人が自分たちの大きな業績を正しく評価しない、「平成」という時代の典型だった。
平成で成長した日本サッカー
同世代の日本人と違い、筆者は平成以外の日本を知らない。
1992年に英国から来た私には、バブルの記憶も、昭和への郷愁もない。
平成時代に対して日本人の多くが抱く「停滞」さらに言えば「後退の時代」という見方を理解しつつも、自分でそう感じることはなかった。
私は、自分が出会ったこの国に深く感銘を受け、特筆すべき改善する力や、遅れを巻き返す能力に目を見張っていた。
後者の例として挙げられるのはサッカーだ。
私が学生として神戸に初来日した当時、日本はサッカーの「へき地」だった。
しかし、1993年のJリーグ発足は日本を強豪国へと押し上げた。
日本代表は実力をつけ、国内リーグの人気は高い。
スタジアムは素晴らしく、サポーター層も磐石。
欧州に渡ってトップリーグでプレーできるようになった選手もいる。
関西を代表するクラブチームといえば「ガンバ大阪」。
1993年当時、そう思っていたことを覚えている。
大阪にもう1つ、さらに神戸、京都にもクラブができる余地があるなど想像もしなかった。
これはすべて一世代の間に起きたことだ。
おっと、2002年に日韓が共催したワールドカップ(W杯)の成功に言及し忘れるところだった。
複雑な直通運転の謎
日本について語り出すと、申し訳ないが鉄道の話が止まらなくなる。
運賃が高く、時刻表は当てにならず、腹立たしいほど遅れがちで、運休することもある(そして休暇シーズンには代行バスに切り替わる)英国に比べ、日本の鉄道の旅がどんなに素晴らしいか、皆に伝えたくて仕方がない。
来日当時、この国の鉄道システムはすでに十分素晴らしかった。
北は盛岡、南は博多までしか新幹線が延びていないのは当然のことと受け入れていた。
日本の大部分がカバーされていると感じたし、そこから先に行きたければ、特急列車に乗り換えるか、最初から飛行機を利用すればいいと考えていた。
都内を電車で移動するにも、JR山手線を乗り降りして私鉄のターミナル駅間を行き来するのをわずらわしいと思ったことはなかった(何しろ山手線は3分おきにやってくる恐るべき電車だ)。
しかし、そこに「上野東京ライン」が登場した。
他にも直通運転の路線が増えた。
電車に乗ったら途中で別の会社が運行する路線に変わり、その先はおそらくまた別の会社が運行している。
技術的な問題をどう解決したのかは言うまでもなく、運賃をどう分け合っているのか、どの会社が運転手に給料を払っているのか、私にはまったく見当もつかない。
1つではなかった本州と四国を結ぶ橋
1988年に開通した瀬戸大橋も偉業だと感じた。
行きは電車、帰りは大型トラックをヒッチハイクして橋を往復した。
そして英国に住む家族に、5つの島にまたがるこの驚くべき「2階建て橋」について手紙を書いた。
日本は本州と四国を結ぶ橋を完成させた──。
当時はそれで終わりだと思い込んでいた。
もう1つの連絡橋プロジェクトが進行していた事実に気づかなかったのは、そのせいだろう(後に3つ目の橋建設も始まる)。
恥ずかしいことに、神戸から四国まで、岡山を通らずバスで行けたことに驚いたのはそれから10年後のことだ。
同じく東京湾アクアライン連絡道の建設も、2003年ごろ飛行機から見るまで気づかなかった。
橋梁部がトンネルに変わって海中にもぐる部分が、なぜ水であふれないのかはいまだに謎だ。
「平成日本」は総じて安定
平成の30年間に日本が直面した深刻な問題を、軽んじるつもりはない。
自然災害、政財界のスキャンダル、増大する政府債務、終身雇用の崩壊と非正規労働者の増加、高まる自殺率、少子高齢化など枚挙にいとまがない。
いずれもこの国が解決しなくてならない重大な問題であり、日本で記者をしていた頃は、深く憂慮しながら取材をした。
しかし、平成日本に暮らした1人として、この国の社会は総じて安定しており、回復力と対応力を備えているとも感じていた。
経済危機が、ロンドンで起きた暴動のような社会の不安定化につながらなかったことをうれしく思っていた(私が物心ついてから、大きな暴動だけでも4回起きている)。
最後にもう1つ、日本で不思議だったのは外国人観光客が少ないことだった。
英国は、1990年代初めまでに年間2000万人の観光客を受け入れていた。
卓越した観光資源と交通インフラを備えた魅力的な国であるにもかかわらず、日本の実績は明らかに実力を下回っていた。
今はそれがどうなったか。私がここで話すまでもないだろう。
筆者 コリン・ジョイス(Colin Joyce)
英エセックスを拠点に活動するジャーナリスト。
オックスフォード大学卒業後、日本語を学ぶため1992年に来日。
埼玉県の高校で英語を教えた後、週刊誌ニューズウィーク日本版に4年間、英紙デイリー・テレグラフ東京支局に7年間勤務した。
15年に及ぶ日本での生活をもとにした「『ニッポン社会』入門──英国人記者の抱腹レポート」(NHK生活人新書)、「マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>」(同)などの著書がある。
*本コラムは、ロイターに掲載され、筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
英国人でコリンと言うと
どうしても、コリン・ウィルソンを
思い出してしまいます (^_^;)
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タイ北部の洞窟から救出された少年たちが4日、一時的な出家を終え、日常生活に戻りました。
タイ北部チェンライ県の洞窟で6月下旬からおよそ2週間ぶりに救出されたサッカーチームの少年12人とコーチの合わせて13人のうち、キリスト教徒の少年1人を除く12人が先月25日から地元の寺院に入り、一時的に出家していました。
出家の期間は今月4日までの11日間で、この日、少年らは予定どおり出家を終え、白いTシャツに着替えて日常生活に戻りました。
少年らは寺をあとにしましたが、コーチはもうしばらく残るということです。
少年たちの救出では、元タイ海軍のダイバーが洞窟内に酸素タンクを設置する作業中に死亡していて、出家の期間中、少年たちはダイバーの冥福を祈りました。
期せずしてタイを代表するスーパースターに
なってしまった子どもたち (^_^;)

▲ワールドカップでフランスが優勝した時のフランス国内の状況
先日のワールドカップのメンバーを見ても感じましたが
フランスは既に黒人の国になったのでしょうか? (^_^;)

今夏ヴィッセル神戸に加入した元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタが、全体練習に合流した。
練習後、同選手は会見を行い、感想などを述べている。
イニエスタは神戸の選手たちに対して、「まず初めにこのチームに合流してみんなとプレーし始めることに対するワクワク感というものをみんなに伝え、共有した」という。そのうえで、自身の状態については「ものすごくコンディションは良いと感じている。もちろん休暇から戻って練習のフィット感を上げていくというのは大変な作業ではあるけど、これからチームに合流していくことに対する期待とコンディションというのはすごく良いと思っている」と話した。また日本の気候については「気温に関しては、本当に暑いなと思っている」と印象を口にしている。
22日には、2018明治安田生命J1リーグ第17節で湘南ベルマーレと対戦する。この試合でデビューを飾る可能性については、イニエスタは次のようにコメントした。
「日曜日の試合(湘南戦)に出る可能性はあると思う。コンディションが100パーセントというわけではないけれど、2日間の練習を通してさらにコンディションを高めて、できるだけベストな状態で挑めるように準備していきたい」
イニエスタにとっては、これが初めての移籍となる。生活環境は大きく変わるが、「それを分かったうえで考えて決めた決断なので、自分としては期待と大きな挑戦の意識を持ってこの国にやって来ている」とポジティヴに捉えていることを強調。「もちろん適応していくために難しいことは出てくると思うけれど、そういったことにも期待をもって向き合っていきたい」と語った。
そして、最後には日本語に関する質問も飛んだ。
イニエスタは初練習でさっそく“ある単語”を覚えたようだ。
「日本語を今後いろいろと覚えたい気持ちはあるけど、もちろん最初は1つずつ覚えていきたい。今の段階でいろいろある中で1つ『アツイ』という単語は覚えたよ(笑)。これから練習に参加して選手やスタッフにいろいろと教えてもらって、これから1週間後、1カ月後にはもっと話せるようになりたいなと思っている」