岡山から京都へ戻り、東山の永観堂で紅葉のライトアップを鑑賞しました
またしても、息を飲むような美しさ!
夜の紅葉の美しさは、写真に捉えきれないのが残念です
京都で一番の紅葉ライトアップを調べたら、永観堂だったのですが、評判に違わぬ美しさでした
メチャ混んでいるかと思ったら、意外に空いてましたよ
(^_^)
岡山から京都へ戻り、東山の永観堂で紅葉のライトアップを鑑賞しました
またしても、息を飲むような美しさ!
夜の紅葉の美しさは、写真に捉えきれないのが残念です
京都で一番の紅葉ライトアップを調べたら、永観堂だったのですが、評判に違わぬ美しさでした
メチャ混んでいるかと思ったら、意外に空いてましたよ
(^_^)
秋の紅葉を楽しもうと思って
京都を中心に、西日本を旅しています
上の写真は、嵯峨嵐山の近く、保津峡の紅葉です
息を飲む様な美しい紅葉が広がっているのですが、
観ているのは私一人で、貸し切り状態
申し訳ないような気分です
(^o^;)
初戦を制した藤井三冠、このまま連勝するのか?
将棋オタクさんたちの関心は、盤面だけでなく
お昼やおやつに何を食べたか?にも集まっています
(^_^;)
▲ライブビデオ▼
豊島将之竜王に藤井聡太三冠が挑戦する、第34期竜王戦七番勝負の第2局が、10月22・23日(金、土)に、京都府京都市「総本山仁和寺」で行われています。
「京都の金銀銅めぐり」
とかやればいいのにと思いますけど
残念ながら銅閣寺、通常は非公開
だそうです
(^_^;)
京都には金閣寺、銀閣寺のほかに銅閣寺(どうかくじ)があります。
銅閣寺の正式名称は、龍池山 大雲院(だいうんいん)。
1587(天正15)年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために、正親町(おおぎまち)天皇の勅命により建てられました。
1973(昭和48)年に、現在の祇園・東山界隈の位置に移転しました。
この場所は、もともと大倉喜八郎(→)の別荘でした。
大倉喜八郎は一代で巨万の富を築き、大成建設や鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテルの創始者でもある人物です。
大倉喜八郎氏は、
「金閣も銀閣もあるんだから、銅閣も作る!」
と京都の名物にすることを考えて銅閣を建てました。
銅閣寺のモチーフは「祇園祭の山鉾」(↓)です。
ネットで見つけた写真です
場所は関西の某西成区だそうです
このくらいの価格で、十分に利益が出ます
中身の原価なんて、せいぜい2~3円
パッケージが5~10円くらいかな
一番カネかかるのが、ボトルを販売機に補充する人件費
あと場所によっては、地主に払う利益分配金
空気や水を売る商売は、儲かります
(^_^;)
▼某西成区の路上住宅街
アメリカみたいに爆破解体すれば
安く済みそうだけどね~
(^_^;)
廃虚マニアの間で“むち打ち観音”と呼ばれる「世界平和大観音像」(兵庫県淡路市)が解体される。
首部分に設置された展望台が、まるでむち打ち治療用のギプスのように見えるため、この異名がついた。
1982年に建設、高さ約100メートル。
当時、“世界一の高さを誇る観音像”として知られ、人気観光スポットになった。
ところが次第に物珍しさがなくなり、来場客は激減。
所有者で地元出身の資産家だったオクウチグループの創業者、奥内豊吉氏の死後、運営を引き継いだ妻が死去した2006年、経営が行き詰まり閉鎖。
この十数年、管理が行き届かず廃虚化。
2020年からは国が所有者となり解体を検討していた。
今回、解体工事を請け負うのは大阪市にある建設会社。
8億8000万円で落札し、早ければ6月上旬にも工事に着手し、撤去完了まで1年8か月かかる予定。
愛媛県在住の廃虚マニアの男性は
「もう5年くらい前のことになります。友人と館内の探索をしたことがあります。
目的は、首の部分にある展望台に登ることでした。
当時は、まだ入ることができたので、一気に上がることができましたね。
展望台から見る景色は、もう最高でしたね。潮風が気持ちよかったです。
こんな快適な廃虚は他にはありませんよ。
その末期は、観光業界からもそっぽを向かれた施設でしたね」
「B級感たっぷりの廃虚でした」
と振り返る。
この観音像の台座部分となるビルの1階には、豊清山平和観音寺がある。
表向きには宗教施設だったが、実際には宗教施設というよりも、物好きな資産家が手がけたミュージアム。
工事が始まると、全体を覆い尽くすドームができるため、見られなくなる。
これ(→)のことかと思ったら違った!
被害額はせいぜい150万円だそうです
もちろん損害保険には入ってるだろうし
ニュースに出た宣伝効果を考えると
損害より利益の方がずっと大きいかも~
早朝でも人がかなりいたはずのエリアですが
中国コロナのせいで、ひっそりしてますね
(^_^;)
大阪・ミナミにあるカニ料理の飲食店で4/5、カニのオブジェが壊される被害があり、防犯カメラに犯行の一部始終が映っていました。
4/5の午前5時前の道頓堀商店街です。
犯人の男2人が、カニ料理店のオブジェを蹴ったり、揺らしたり。
そして最後には、引き倒して逃げていきました。
カニのオブジェは、高さ約3メートル、重さ100キロほど。
製作には150万円ほどかかり、5年前の開業当初から店のシンボルになっていました。
「こういうご時世で、みんな苦労してるじゃないですか。
人として絶対許せないですね。
営業時間短縮で人が少なくなってるわけじゃないですか。
目撃者もそれだけ少ないわけですから、やりたい放題ですよね」
(大阪かに源・武田源社長)
警察が器物損壊の疑いで捜査しています。
周辺では4月、ビルのエレベーターのボタンが壊されるなど被害が相次いでいて、警察が関連を調べています。
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、1/17で丸26年を迎えた。
発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事があった。
新型コロナウイルス禍の中でも「この日だけは」と多くの人が手を合わせ、震災で亡くした家族や友人らを思い起こした。
前日から紙製の灯籠でかたどられた「がんばろう」の文字が点灯され、分散来場が呼び掛けられた東遊園地。
その中に、震災で母親の藤井あい子さん=当時(83)=を亡くした神戸市東灘区の寺内和子さん(72)の姿があった。
あい子さんは全壊した自宅の下敷きになった。
震災の日が近づくと当時がよみがえる。
自身もけがをしながら実家に駆け付けたこと、がれきから出てきた足が温かかったこと、掘り出されたあい子さんは「あ、あ」と懸命に何かを伝えようとしたこと、自らくぎを打ち棺おけを作ったこと…。
和子さんは「お母さんの代わりに誰かのためになれば、自分が救われるかもしれない」と介護ヘルパーの仕事を続けている。
新型コロナの影響で離職者が増え、夜から翌朝までの勤務にも入るようになったが、「この仕事は辞めたくない」。
* * * * * * * * * *
東日本大震災では東京でも、住んでいるマンションが崩れるかと思うほど揺れましたが、阪神・淡路大震災では、揺れた瞬間はほとんど気が付きませんでした
でもテレビで刻々と入って来るニュースは神戸一帯が燃えているような感じで、死者数も当日は数百人くらいでしたが、毎日千人くらいずつ増えていく感じで、非常に恐ろしかった
たまたま地震の翌日に大阪で結婚式に招かれていて、問い合わせたら決行するとのこと
飛行機を調べたら飛んでいたので、伊丹空港経由で大阪へ行き、結婚式の翌日、西宮から神戸にかけて10時間くらい歩きました
最も印象に残ったのは、木造建築が地震に弱いということ
木造の家が跡形もなくグシャグシャになって燃えているすぐ隣で、鉄筋コンクリートの家が、外形はほぼ無傷という場面をたくさん見ました
日本に住んでいる限り、木造の家には住みたくないなぁ、と今でも思っています
((((;゚д゚))))
いよいよ今年も
あとわずかですねぇ
(^_^;)