読書ノート

読書 「世間」とは何か

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ドイツ中世史が専門である著者が、万葉集から現代にいたる日本文学の作品を渉猟し、その中に現れた「世間」のあり方について考察している

その中では、兼好の「徒然草」と、夏目漱石における世間が特に面白かった

世間は現在でも、日本人の行動や考え方、あるいは生き方まで規定しているが、山本七平の言うように空気のような存在なので、対象化して分析するのが非常に難しい

多くの日本人は、多かれ少なかれ世間の中での生き難さや世間への鬱陶しさを感じ、そこから逃れようとしているかのようにも見えるが、実は世間には生き易さの側面も大きく、なかなか簡単に捨て去ることも出来ない

世間での生き難さが先鋭化した一部の人は、かつては出家したり、隠者となって人里離れた場所に庵を結んで隠棲したりして「脱世間」してきた

本書に取り上げられている作品のほとんどは、それらの脱世間した人々が生み出してきた

親鸞の作った浄土真宗の集団は、彼が生きていた時代には、世間を拒否した脱世間社会を構築したかに見えたが、やがて世間の原理が徐々に浸透して、今では脱世間の特質はほとんど失われているという

本来なら世間を対象化して分析すべき学者の社会が、まさに世間の典型であって、著者は余り関わり合いたくないなどと嘆いている

21世紀の現在、十代、二十代がよく利用しているSNSにも、世間は深く根を張っている

炎上事件とか、辛辣な投稿を苦にした自殺事件なども頻繁に起きており、日本人と世間主義文化の根の深い結びつきを感じる

(^_^;)

 

読書 中世の再発見

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このお二人の著書は、今までに何冊か読んできたが、その対談というので大いに興味をそそられた

網野氏は1928年生まれで日本中世史が専門、阿部氏は1935年生まれでドイツ中世史が専門、ともにすでに鬼籍に入られている

どちらも日本の歴史学会の非主流といった立ち位置だったので、既存の学会への批判もあり、傷をなめ合うような場面もある

この対談は1982年なので、網野氏は54歳、阿部氏は47歳、学者として脂が乗り切ったところ

これから研究すべきテーマが次々に登場して、歴史学の将来への情熱が伝わって来る

ヨーロッパでは、11世紀前後からカトリック教会の影響力が深く浸透したために、人々の生活や意識が劇的に変化し、世界的に見て極めて特殊な社会になった

日本では、そのような劇的な変化を経ずに幕末まで来たが、明治維新でそのような特殊なヨーロッパ文化を「人類の普遍的文明」として受容したために、逆に日本文化の特殊性が際立って意識されるようになった

その辺の事情を、中世に遡って明らかにしましょう、ということのようです

網野氏は「無縁」、阿部氏は「贈与」という概念を中心に、中世史を分析する

例えば、人々が集まって飲み食いする宴会が、過去数百年の歴史の中でどのように変化してきたか、その変化の要因は何か

現在の我々の生活習慣やものの考え方の中にも、古代や中世の影響が脈々と流れているようです

(^_^;)

読書 日本の歴史をよみなおす

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『無縁・公界・楽』と同じ著者で、有縁・無縁という切り口で日本史の新しい局面を切り開いている

その中で、日本の社会は14世紀に大きな転換点を迎えたと主張しており、それ以後の社会はつい最近(昭和の途中)まで続いていて、いま第二の転換点にあるとしている

逆に14世紀以前の社会は、現在の日本人が知っているものとは、世界観や人生観、価値観が相当異なった社会だったということになる

そこでは、無縁の場(市場、社寺、境界、河原、港など)で、無縁の民たち(職人、商人、芸人、神職など)が自由に活躍し、被差別民として蔑視もされていなかった

女性、子供、病人なども無縁性も持つものとされ、現在とは異なる扱いがなされていた

特に性に対する大らかさ、自由さには驚くべきものがあり、明治以降に入って来たキリスト教の性道徳が、現代の日本人の性道徳を、必要以上に縛り付けているのではないかと思えてくる

夫婦の離縁状(いわゆる三下り半)も、形式的には夫だけが書いているので、残された文書だけ見ると、妻には何の権利もなかったと思われがちだが、実はそうでもないらしい

妻から離婚を切り出して、あるいは妻が実家へ帰ってしまい、村や町の有力者も出てきて夫婦の言い分を聴き、夫が仕方なく離縁状を書くというケースも少なくなかったという

それでもどうしても夫が承諾しないレアケースのみ、昨日尋ねた北鎌倉の東慶寺のような、いわゆる駆け込み寺が機能していた

無縁性についての社会構造は、時代差とともに地域差も大きく、関西以西と関東以北では、別の国かと思うほど異なっていたようだ

(^_^;)

読書 西洋中世の愛と人格

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日本人を説得して何かをさせるには「みんなやってますよ」と言えというのは、ジョークだけではなく、実生活でもよく体験する

日本人の自我の支えには、自分を取り巻く人間関係があり、それを日本では昔から「世間」(せけん)と呼んできた

日本人が最も恐れるのは、世間から爪はじきされることであり、世間の中で恥をかくことを恐れるので「恥の文化」とも呼ばれている

このような世間主義文化の対極にあるのが、西欧風の個人主義文化であり、「罪の文化」とも言われている

「日本人は個人主義が確立してない」などと偉そうに言う「進歩的文化人」が、少し前まではいたものだが、さすがに最近では、頭の悪い高校生くらいしか、こんなことは言わなくなった

いま大騒ぎになっている中国コロナ問題では、世間主義文化の方が、うまく対応しているように感じる

しかし、日本人の日常行動を現在でも広く規定している世間主義文化の中身となると、実は曖昧模糊としていて、よく分からないところが多い

政治家が不祥事を起こしたりすると「世間をお騒がせして申し訳ない」などと言って謝る

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なぜ世間を騒がすことがいけないのか、たぶん外人さんには理解できないだろうし、日本人だってよくわかっていない

少なくとも、「世間を騒がすな」などという法律は無い

著者はヨーロッパ中世史が専門なので、逆に西欧風の個人主義文化にメスを入れ、それがカトリック教会によって過去何百年もかけて人工的に(強制的に)つくられた文化であることを示し、それとの比較の中で、日本の世間主義文化を解明しようとしている

この著者の本は割と読みやすいのだが、本書は専門家向けに本気で書いたようなところもあり、読むのに少し骨が折れた

(^_^;)

 

読書 武井の展開する世界史

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純然たる大学受験用の世界史の参考書

面白くもなんともない教科書的な記述だが、いろいろ読んだあとの頭の整理として読むと、非常に簡潔に要点だけ書いているので、頭の整理にはピッタリ

特に図表がシンプルで、余計な部分を捨てて、必要最小限に絞り込んだ情報だけを残しているので、スッキリ理解できる

逆にこんな無味乾燥な歴史を頭に詰め込まされる受験生が、少しかわいそうになる

著者は予備校「代々木ゼミナール」の人気講師として長年活躍し、教室には席が足りなくて立ち見する受験生までいた

たぶん、世界史でひと財産築いたのではなかろうか

独特の名調子の授業だったそうなので、その授業を聴いた上で、本書をまとめとして読めば、世界史が楽しくなったのかもしれない

新宿高校卒業生なら、授業で習った人も多いと思うが、私は残念ながら別の先生だった

武井先生から習いたかったのに、クラス分けで別の組に回されて、その別な先生に毒づいていた生徒(T君)もいたなぁ

私は当時、まだ歴史に大した興味もなく、理科系で世界史は受験科目でもなかったから、どうでも良かったんだけどね

(^_^;)

 

読書 夜這いの民俗学

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他に娯楽の少ない田舎や、都会で働く下層民にとって、昭和の初めころまで、夜這い(よばい)はごくごく普通の生活習慣だった

田舎の村で、一人の男(女)が村のほとんどの女(男)と関係していることなど、さほど珍しいことではなかった

商店では、番頭や手代、丁稚が、店の奥にいる女中に手を出すのは日常的だった

21世紀のいま読むと「ほんまかいな?」という赤裸々な話が続き、現代の日本人が抑圧している性欲が、実に大らかに、大っぴらに開放され、繰り広げられている

現代のオフィスラブなどとは次元の異なる、底抜けの自由奔放さだ

江戸時代からの儒教道徳などは、一部の武士階級だけに通用していたタテマエに過ぎなかったことがよく分かる

いまの世の中は、人間の根源的な楽しみである性が抑圧され、その反動として膨大な種類の娯楽が生み出されたのではないか?という逆説さえ感じる

著者は1909年生まれで、関西の田舎で生まれ育ち、大阪で丁稚奉公などいろいろな仕事を経験しながら、なぜか民俗学的な興味に取りつかれ、ひたすら体験し記録した

正統派民俗学の柳田國男には反発し、性とやくざと天皇を話題にしていないとして厳しく批判している

学者風に話を抽象化したり一般原則を導き出したりせず、ひたすら事実を延々と記述しており、非常にリアリティがあって面白い

今となっては、ほぼ消えてしまった古き良き時代?の、極めて貴重な記録である

(^_^;)

 

読書 ねむり姫の謎

浜本 ねむり姫の謎 糸つむぎ部屋の性愛学  -_01

「中世の暗黒時代」に、人々は何を楽しみに生きていたのか?

テレビも無い、本も無い、遊びに行く繁華街も無い中世ヨーロッパの田舎に生きる貧しい農民たちにも、楽しみの空間はあった

それが、糸つむぎ部屋

古くから糸つむぎ(綿花から糸を作る作業)は女性の仕事とされ、退屈な作業のウサ晴らしに、若い女たちは村の糸つむぎ部屋に集まって糸をつむぎ、その合間にいろいろウワサ話などオシャベリを楽しんだ

糸つむぎに行くと言えば、親たちも余りうるさいことを言わないので、それを口実に堂々と外出できた(親たちも若い頃、同じことをしていた)

若い女が集まっていれば、それ目当てに村の若い男も集まって来て、糸つむぎ部屋は若い男女の出会いの場となった

やがて男女の会話や歌や飲食、ダンスの場となり、キスや抱擁が始まり、時には乱交パーティーにも似た雰囲気になった

「暗黒時代」どころか、けっこう楽しそうだね

グリム童話に代表される、中世からの言い伝えは、糸つむぎ部屋を背景とする話が多い

性的な乱れを嫌う教会は、ときどき禁止令を出したりするが、まったく徹底されない

近代になって糸つむぎの場が工場に移るにつれて、村の糸つむぎ部屋は消えてゆく

日本の田舎でも、若者部屋とか夜這いの習俗は、つい最近まで残っていた

(^_^;)

 

読書 無縁・公界・楽

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直前に読んだ「中世の星の下で」はヨーロッパ中世を扱っているが、本書は日本の中世を支配していた原理「無縁」をテーマとして、歴史を見るための一つの画期的な視点を導入している

左の本書表紙にもあるが、日本の古い絵画を見ると、横長楕円形がいくつか集まった「雲」のようなものが描かれている

これは当時の人々にとって「よく分からない世界」のシンボルだったのかもしれない

現代の自然科学万能の世界観からは想像しづらいが、中世までの世界は人間が支配した世界と、まだ人間支配に属していない「よく分からない世界」に分かれていた

人間支配に属した世界は、誰がその世界の主(支配者)であるかを明示された「有縁」の世界であり、それ以外の「よく分からない世界」は「無縁」とされた

大雑把に言えば、有縁の世界とは律令制で区画された農地であり、無縁はそれ以外の世界だった

有縁の民(百姓)は土地の支配者に隷従し、土地に縛り付けられた不自由な民だったが、それ以外の無縁の民(職人、商人、芸人、神職など)は、相対的に自由な民だった

それは支配者にとって不都合なことだったので、無縁の民は農民よりも下とされて、差別の対象となることも多かった

まさに「士農工商」なのだ

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子供の遊びに「えんがちょ」というのがある

「えんがちょ」でつかまっても、「えんきった!」と宣言すると自由になる

これは「縁切った」であり、有縁(被支配)から無縁(自由)への移動宣言であると著者は指摘する

明治維新直前まで続いていた駆け込み寺は、当時の女性の離婚権にかかわる重大な存在だが、その根源は「縁切った」にあるらしい

現在でも、有縁の民(サラリーマン)と、無縁の民(自由業)の区分は、生きているのかもしれない

(^_^;)

 

 

読書 中世の星の下で

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海外旅行でいろいろな国の名所旧跡を巡るのは楽しいが、やがてそのような文化を生み出した国民性や民族性に興味が移って来る

同じように歴史を読んでいると、華々しい事件や変革の背後にある時代精神のようなものが知りたくなる

特に中世と言われる時代には、日本でも西洋でも、現在とはかなり異なる世界観や人生観、価値観があったはずだ

表面的に現代と比べると、かなり厳しい、つらく苦しい時代に見えるが、当時の人々は我々の住む現代(つまり彼らにとっての未来)のことなどまったく知らないし、今が「中世の暗黒時代」だと思って生きていたはずもない

そんな中世に生きた「ふつうの人々」の日常生活や心のヒダを探ろうとするエッセイ集

彼らは、どんなことを生きがいにして、何を恐れ、何を楽しみにして毎日を生きていたのか、それが少しずつ見えてくる

著者はドイツ中世史が専門の歴史学者で、一橋大学の元学長

(^_^;)

 

読書 すてきな旅「フランス」

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1964年に出た、歴史や文化に詳しい旅行ガイド

半世紀以上前に定価2400円だから、かなりの豪華本

ヤフオクで古本を安く買ったんだけどね

海外旅行先の人気ナンバーワンで、「すてきな旅」シリーズ全14巻のトップバッター

先日読んだ地方色豊かな「ドイツ」と比べると、まさにパリ一点豪華主義の国だなぁと感じる

西洋史と人類文化の展覧会場のようなパリの街、かなり以前に半月ほど旅したが、また行きたくなってくる

左の写真(←)を見ても分かるけど、凱旋門ってホントに、ゴジラがくぐれるくらいデカいです

(^_^;)