人工肛門体験

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がんと診断されて生活が激変する患者。どう受け入れ何を思ったのか。直腸がんを患い人工肛門のある身体になった漫画家の内田春菊さん(58)に聞いた。

激痩せも便秘も、半年ほど前から始めた糖質制限ダイエットの影響とばかり思っていた。

2015年末、漫画家の内田春菊さんは、ようやく足を運んだ近所の医者にこう言われた。

「一刻を争う。治療すれば助かるから、大丈夫」

がんだと言われたようなものだった。

紹介された病院の予約は1週間後だったが、翌日には産婦人科の主治医が自分の勤める病院で受診できるよう手配してくれた。

そこで内田さんは、肛門(こうもん)からわずか2センチの位置に直腸がんがあることと、人工肛門になる可能性を告げられた。

「がんは、『あっ、意外と早かったな』くらいの印象。周りにがんをやった知り合いはいっぱいいるので、自分もいつかはなると思っていた。でも人工肛門は考えたことがなかったから、ビックリですよ! これから先、暮らしがかなり変わりそうなイメージだったので、『それは大変そうだな』と思いました」

images人工肛門とは腹部に開けた穴から腸を引き出して作る排泄(はいせつ)口(ストーマ)。装具をつけて排泄物を受け止める仕組みだが、想像もつかない人がほとんどだろう。内田さんも、「最初はおしりの後ろに何か硬いものが装着されるのかと思っていた(笑)」という。

子どもたちのほうが事実を受け入れるのは早かった。

初めてがんを伝えたときは「死なない?」と聞かれたが、「死ぬようながんじゃないよ」と答えた。

人工肛門を画像検索した次男の感想は「梅干しみたい」

手術の説明に付き添った長女に「かあちゃんが変わるわけじゃないから」と言われ、内田さんは「私やっぱり本当にがんなんだなぁ」と実感したという。

「手術が終わってみたら、実際そう変わるわけでもなかった(笑)。彼女が予言してくれたからこそ、そう感じられるところもあると思うんですけれど」

術前と術後に抗がん剤を各6回×2クール行った。

予想に反して頭髪は抜けず、「やけくそで金髪にしたら、周りからはかえって元気な人だと思われてしまった」そう。

吐き気や手足の温度変化に悩まされた。冬場は指先がぴりぴりとし、寝るときは必ず靴下を2枚重ね。夏はサンダルをあきらめ、靴下をはいて過ごした。

抗がん剤の容器は、子どもたちから「こう君」と呼ばれた。毎回2日間は身に着けている必要があり、退院時に内田さんが「連れて帰る」と口にしたところ、「新しい家族だね、名前をつけなきゃ」という話になったのだ。

そもそも2度目の抗がん剤は想定外だった。

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「状況によっては術後にもう一度やるかもと言われていたけれど、転移もなく、きれいに取れたので、ないと思っていました。でも一度目の抗がん剤がとてもよく効いたので、再発を防ぐためにもう一度やっておいたほうがいいって説得されて」

抗がん剤は効果がはっきりしないケースも多い。再発した知人は全員が「効いたなら、もう一度やっておけ!」と言うので、受け入れることにした。

16年春に手術を受けてから2年近く経過。人工肛門への違和感はもうないかと尋ねると「それが自分の身体になっちゃったからねぇ」。もはや受け入れるしかない。息子のおならに「うらやましい、お尻からおなら……」と、つい言ってしまったこともある。

「お酒と恋愛ですね。どちらもがんの原因になっていたと気づいたのもあります。恋愛に関しては皆さんよく『絶対またあるよ』とか『やめたと言い切るのはよくない』とか言ってくださるんですけれど(苦笑)。

セックスはできるのかなってちょっと興味はあるんです。

私、もう恋愛は嫌だ、出家したいと思ったことがあるんですけれど、宗教に興味がない。なのに出家って失礼な話ですよね。

それと同じで、セックスだけしてみたいというのもよくないかな(笑)」

(ライター・大塚玲子) AERA 2018年2月12日号より

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 私は内田春菊マンガの大ファンです

  内田さんは大物だなぁと思います  (^_^;)

 

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