毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000厚生労働相・塩崎恭久さん

新宿高校1969年度卒

  全国の高校で学生運動の嵐が吹き荒れた1969年、東京都立新宿高校も、その影響を強く受けた。生徒会長も務めた衆院議員で厚生労働相の塩崎恭久さん (65)=同年度卒=は、自由な教育を求めて学校側と対峙(たいじ)した。「自分の問題意識に、正面から全力で向かい合っていた」という塩崎さんに、“時 代の風”の真っただ中で過ごした高校生活を語ってもらった。

 部活は社会科学研究会、通称「社研」に所属しました。当時、学校の校庭の前に簡易宿泊所があり、時に犯罪者が逃げ込んだりする社会の縮図のような場所でした。四谷警察署へ実態を聞きに行き、調べた内容を模造紙に書いて文化祭で発表しました。

  一つ上の姉が交換留学プログラムで米国へ留学したのに感化され、「自分も」と2年の2学期から1年間、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ近く の高校に留学しました。制服もなく生徒は車を運転して学校に通う。何より、自分でやりたい授業を選べるというのがカルチャーショックでした。

  米国史と国語と体育だけが必修で、指輪を作る彫金の授業やスピーチの授業もあるなど多様で、僕は政治の授業も取った。そのクラスには全盲の女の子がい て、先生は彼女のために黒板に書かず口頭で授業する。次の授業には当たり前のようにクラスメートが彼女を連れていく。まさに障害者も同じ暮らしができるよ うに支援する「ノーマライゼーション」を地でいっていると思いました。

 ちょうどベトナム戦争が激しかった時期 で、同級生のお兄さんが昨日死んだとか、重かった。反戦集会に行って、ムハマド・アリさんのスピーチを聴きまし た。留学中にロバート・ケネディやキング牧師が暗殺され、ショックを受けました。戦争はよくない、という思いを強くして帰国しました。

  帰国後は1学年下になり、そのときのクラスメートに音楽家の坂本龍一くんがいました。坂本くんは小中学校も同じで、高校でもよく共に行動しました。朝、 ピットインというジャズ喫茶で落ち合って学校に行き、難しい顔をして吉本隆明さんの本を小脇に抱えたりして。当時駆け出しだった蜷川幸雄さんの舞台「真情 あふるる軽薄さ」も見に行きました。練習場も行って、蜷川さんの奥さんの女優の真山知子さんが色っぽくてドキドキしましたね。

  留学から帰ってすぐの9月、生徒会長に立候補しました。当時の新宿高は学生服に学生帽で、皆嫌がっていた。成績の順番は張り出されるし、窮屈だなと思っ て。3年の11月、自由な校風や定期試験廃止などを求めて校長室を占拠しました。アメリカで学んだ「一面的な評価ではない、自分の人生設計を自分で組み立 てるのを教えるのが学校だ」という気持ちがありました。

 朝、仲間とともに校長室に押しかけると、校長先生は困った顔をしていました。今思えば申し訳ないことをしましたね。1週間くらいストライキをして、その間、バリケード封鎖した校長室に先生方が説得に来て、何度も話し合いをしました。

  振り返ると、高校時代は、カルチェラタンとか学生運動が世界的に盛り上がっており、日本の高校生も問題意識を持つような雰囲気が当たり前でした。その中 に身を置き、教育がどうあるべきか、先生と生徒の交わりをどうすべきかなどを考えることができました。新宿高は、大人になるための人生の基礎をつくる機会 を与えてくれた場所です。

生徒と教員、信頼深め 校長室占拠、ストライキ

 塩崎さんが在学中の1960年代後半、全国的に学生運動が盛り上がり、サブカルチャーが隆盛期を迎えた。新宿は、いずれもその中心的な場所だった。

 塩崎さんと同期で友人の男性(66)によると、学校周辺にはアングラ演劇の拠点だった小劇場「蠍(さそり)座」があり、有名なジャズ喫茶「新宿ACB(アシベ)」付近では出演アーティストが日常的に見かけられた。

  教員も時代の影響を受けた。校長室占拠当時、保健体育科教諭だった岡村忠典さん(78)は、生徒との窓口役を任された。教員間では「様子を見よう」とい う方針で、岡村さんは教員が用意したまんじゅうやパンを差し入れ、生徒から勧められた吉本隆明さんの本を読むなど、「半分指導、半分理解」の立場を貫い た。

 結局、教員側が全ての生徒の要求をのみ、ストライキは平穏に終わった。岡村さんは「ストを機に生徒との信頼関係が非常に強くなった。私自身、教師として生徒に鍛えられた」と話す。

 新宿で時代の風を感じながら青春を過ごした当時の生徒たちにとって、その経験は今も鮮明な記憶として心に刻まれている。=次回は12日に掲載します


卒業生「私の思い出」募集

  都立新宿高校(旧府立六中含む)の卒業生のみなさんから「私の思い出」を募集します。300字程度で学校生活や恩師、友人の思い出、またその後の人生に 与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100−8051、毎日新聞地方部 首都圏版「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はshuto@mainichi.co.jp.へ。いただいた「思い出」は毎日新聞やニュースサイトで紹 介することがあります。新聞掲載の場合は記念品を差し上げます。


しおざき・やすひさ

  1950年松山市出身。厚生労働相。東京大学教養学部卒業、米国ハーバード大学行政学大学院修了(行政学修士)。日本銀行勤務を経て93年衆院議員に旧 愛媛1区から初当選。2006年、第1次安倍政権で官房長官。著書に「日本復活『壊す改革』から『つくる改革』へ」など。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す