毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000レストランジャーナリスト・犬養裕美子さん

新宿高校1977年度卒

毎日新聞

 東京都立新宿高校の特徴として、多くの卒業生が挙げるのが「ナンバーワンよりオンリーワン」という校風。

卒業生にもさまざまな分野の「オンリーワン」を 輩出している。

日本初の「レストランジャーナリスト」として活躍する犬養裕美子さん(56)=1977年度卒=もその一人。

「かっこ悪くてもやり通す」と いう新宿高校魂をたたき込まれたという学校生活を語った。

 学校は都会のど真ん中にありながら、男子が女子の2倍いてバンカラな雰囲気でした。

私もおしゃれは大好きでしたが、学校ではジャージー。男よりも男っぽくて、男子からは「イヌケイ」と呼ばれ、全く女扱いされませんでした。

 部活は中学から続けていたバスケット部に入りました。

練習が厳しくて有名で、一番つらかったのは福島での夏合宿。暑さと練習がきつくて胃が痛くなったの を覚えています。

そのかいあってか、3年春の都大会では私立の強豪がひしめく中、公立ながらベスト16に入り、やったことは報われるんだと思いました。

 部活後に毎日通ったのは、通学路にあった「ねえちゃん屋」。

いわゆる昔からの駄菓子屋で、体育部系の生徒のたまり場でした。15人ほど入れば満杯になる小さな店。コッペパンにマーガリンを塗ってジャムをつけた、1個50円くらいのジャムパンをみんなで食べた。

 土曜の授業後によく行ったハンガリー料理のお店では、本場のヨーグルトがクリーミーでおいしかった。

女同士でちょっと話そうという時は三愛の喫茶店のパフェ、おなかが減った時はピザハットでした。

 印象に残っている授業は1年の地理の北地(きたじ)節夫先生の授業です。一つの事件について新聞3紙を読み比べ、同じ事件でも新聞社や記者の解釈で伝え る事実が全然違うことを知りました。

当時から将来はマスコミの世界に行きたいと思っていたので、伝えるということは、書く側の資質や物の見方の深さも反映 している、だから勉強しなくちゃいけないんだ、と納得しました。

 大学在学中から情報誌のアルバイトを始め、そのままフリーになり、20年ほど前から「レストランジャーナリスト」という肩書を名乗りました。

それまでの 評価にとらわれず、味、雰囲気、時代の中での役割などを自分の視点で伝えたいと思ったからです。

レストランは食事をするだけでなく、コミュニケーションの 場でもあります。そこでは歴史、文化、経済がダイレクトに反映されていて、いろいろな物の見方を学べます。

料理を味わうと同時に、さまざまな人に出会う。 それが人生の豊かさであると思います。

 昼と夜は外食。日本だけでなく海外のレストランも取材してきました。

東京の料理人の技術やもてなしは、世界のトップレベルと言っていいほどに成長しまし た。

ただ、その実力ぶりを世界に広めることが難しい。海外のジャーナリストたちから誘われて、2007年から7年間、批評家などの投票で決まる世界的なレ ストランランキングの日本の投票者代表を務めました。

日本人のシェフ2人がアジアで1位と2位に選ばれた時は感激しました。世界を目指す若い人の目標に なったのではないでしょうか。

 「新宿高校魂」というか、「六中健児」気質というか。とにかく、格好悪くても頑張る。同級生には、うっとうしいくらいの熱さをいまだに持っている人が多いです。

オンリーワンで始めたこの仕事も、自分なりの方法でやり通したいと思います。

青春の傍らに名物店 「ねえちゃん屋」に安らぎ

 犬養さんが部活帰りに毎日通った「ねえちゃん屋」は、新宿4丁目の明治通りから入った路地裏にあった。

新宿高70年史にも登場する名物店で、正式名は 「関口商店」だ。

店主の「ねえちゃん」こと田畑冨美子さん(71)によると、店を始めて間もない1971年ごろ、ふらりと訪ねてきたバスケット部の男子 が、1本40円のコーラを「高いから35円にしてほしい」と値引き交渉。

これに応じたことが、体育部の生徒が足しげく通うきっかけとなった。

 多い時には店の前に50〜60人がたむろし、教員が注意に駆け付けることもしばしば。

一軒家だった店は85年にビルになり、店名も「キャンディーショップ・タバタ」に変わった。

98年に惜しまれつつ閉店。お別れ会には卒業生約30人が駆けつけたという。

 卒業生にとって田畑さんは青春を共に過ごした大切な仲間だ。

閉店後の今も悩みの相談に訪ね、結婚式や同窓会にも招く。

田畑さんは「お店は私の人生そのま まで、宝物のような存在。新宿高の生徒さんとの関わりがなければ、こんなに長く続けることもなく、感謝している」とほほ笑む。

 日本最大の繁華街に隣接する新宿高。

優しいお姉さんが迎えてくれる、どこか懐かしくて小さな「ねえちゃん屋」は、生徒にとって安らぎの場所だったに違いない。

いぬかい・ゆみこ

 1959年東京都生まれ。上智大文学部卒業。

フリーランスのライターとして東京を中心に世界の食文化、レストランの最前線をリポート。

ファッション誌 「VOGUE JAPAN」や情報誌「anan」など数々の雑誌で連載し、特集を監修。

独自の視点で選び、表現するレストラン紹介には定評がある。

著書に 「東京・ハッピーレストラン」「冒険するレストランだけが生き残る」など。

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 犬養さんたちの活躍もあって 今や東京の料理は

   パリをおさえて 世界一の評価です  (^_^;)

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