6月5日(木) 第59回 新宿・戸山対抗戦(通称「戸山戦」)
入口の「たれ幕」
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硬式テニス部
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陸上部
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サッカー部
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硬式野球部
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女子バレーボール部
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男子バレーボール部
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ダンス部
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表彰 |
6月5日(木) 第59回 新宿・戸山対抗戦(通称「戸山戦」)
入口の「たれ幕」
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硬式テニス部
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女子バレーボール部
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男子バレーボール部
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ダンス部
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表彰 |
受付期間:実験で学ぶバイオ技術 平成26年4月 1日(火)~5月7日 (水)
締め切り日までにはがき必着
開講日程:6月 8日(日)、6月15日(日)、6月22日(日)
6月28日(土)、6月29日(日)
時間はいずれの日も 14:00~17:00 続きを読む
今年度は、開会式の校長挨拶を私が行いましたので(閉会式は戸山高校校長)、本対抗戦につい て、対抗戦を見学に来てくださった両校保護者の皆様にも知っていただきたいと思い、以下のような話をしました。
1962年生まれ とゆーことは 5~6歳下のゴメス氏が書いた
アンチエイジング(若さ維持)の秘訣 だそーです (^_^;)
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40代のころ、キャバクラや風俗やおねえちゃんのいる席で、実年齢を申告すると、「うそ~! ぜんぜん見えな~い!!」などと言われ、そのたびに鼻の下をだらしなく伸ばしていたものだ。
でも、50歳になると、その相変わらずの外見と実年齢のギャップが激しすぎるのか、ちょっとした“バケモノ”扱いされはじめてきているのでは……と、感じるのは気のせいだろうか?
原因を突き詰めてみると、意外な事実が判明した!
9月20日(バスの日)18時30分~
六本木がってん寿司 → ゴトウ花店内タリーズコーヒー
(今日のメンバー)-(小杉)+(生井沢さん)=(先日のザルツブルグ会)
(飯野)+(佐野)+(小杉)=(バドミントン部OB会)
▼1▼食後のコーヒー
府立六中16回卒業にちなんで名付けた「朝陽十六会」は、毎年6月16日(6・16)に開く慣例になっている。
卒業70周年を迎えたことし2012(平成24)年も、6・16に皇居を見下ろす丸の内の「日本倶楽部」で開催した。
この日のために遥々、ハワイから駆けつけた五味君始め、次の11人が参加した。
宇田川敏夫、大塚惟謙、岡崎久、粕谷俊治、加藤秋夫、五味淳芳、白石辰巳、田中正春、内藤道興、山埜井乙彦、渡辺和郎
午後零時半過ぎ、この倶楽部の理事も務めている大塚惟謙世話人代表の、卒業70周年を祝うあいさつ、乾杯で開会。事務報告、しばらく歓談のあと、全員が近況、思い出話、級友の消息などを述べる。
「ハワイで毎週、テニス、ゴルフ、山登りと、元気で忙しく過ごしている」
「海軍兵学校に遅れて入ったために、生き残ることができた」
「もっと早く、この会に出席したかった」
…予定の2時を過ぎても話は尽きず、最後に、田中正春君が歌詞を用意してくれた「六中校歌」「健児の歌」を斉唱して記念撮影、2時半にようやく散会した。
太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年の翌春卒業したわれわれ16回生は、途中入退学などを含めると316人になる。
それから70年経った現在では、58%に当たる184人が亡くなり、20%の62人が行方不明。残る現会員はわずか22%の70人だけ。
全員が満88歳前後だから、出欠の返事には何らかの持病と悪戦苦闘している級友の姿が浮き彫りになっている。
幸い出席の11人は皆元気一杯で、来年も6月16日に、同じ「日本倶楽部」で再会することを決めたが、16日は日曜日で休館とわかり、一日繰り上げて6月15日(土)に開催する。できるだけ多くの会員が参加することを祈っている。
戦災などで「卒業アルバム」を失った人もあるので、白石辰巳君保存のアルバムに、2000年以降の「十六会」写真を加えたDVDを、パワーポイントで作成し、出席者に配布した。70年前の若き日の級友や自分の姿を見て、「よくぞ、ここまで生きてきた」と感慨無量のものがある。
また生前、毎回出席してくれた元日銀総裁速水優、元平凡社社長下中邦彦、昨年までこの会を代表した臼田義弘ら諸兄の、元気な姿も見える。
われわれ一同は卒業70周年に当たり、亡くなった多くの級友たちのご冥福を祈るとともに、この会を今日まで存続、発展させてくれた世話人諸兄に、心から感謝の気持ちを捧げる。 (山埜井記)
山埜井、白石、粕谷、渡辺、宇田川、加藤
田中、岡崎、大塚、内藤、五味 (敬称略)
卒業35年なんて、まだ半分ですね (^_^;)
バドミントン部 同窓会
参加:佐野 飯野 熊谷(特別参加) 小杉
場所:六本木すしざんまい ロアビル前店
日時:2007年5月2日 夕方