特撮分科会
シン・ゴジラ役は野村萬斎だった
狂言師の野村萬斎(50)が、映画『シン・ゴジラ』に出演し、シン・ゴジラを演じていることが29日、明らかになった。
この日、都内で行われた同作の初日舞台あいさつで発表された。
現実の人物や物体の動きを、デジタル的に記録するモーションキャプチャーが使用され、本作では野村の動きをフルCGで作成したゴジラに反映させている。
本家・東宝が12年ぶりに制作した同作は、『エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明氏が脚本・総監督、監督・特技監督を『進撃の巨人』の樋口真嗣氏が担当。現代の日本に出現したゴジラが、戦車などからの攻撃をものともせずに暴れる姿を描く。
内閣官房副長官役の長谷川博己(39)、内閣総理大臣補佐官役の竹野内豊(45)、アメリカの大統領特使役の石原さとみ(29)のほか、総勢328名のキャストの出演が話題となっていたが、329人目のキャストとして萬斎の名前が明かされた。
モーションキャプチャーを使用した撮影→
ビデオメッセージを寄せた萬斎は樋口監督から電話でオファーを受けたと明かし、「日本の映画界が誇るゴジラという生物のDNAを私が継承しております。650年以上の狂言のDNAが入ったということを大変うれしく思っております」と歓喜。
「今回わざわざ私に白羽の矢を立てていただいたのは、狂言や能の様式美というものを意識されたと思う。無機的な、人間臭いというより神、幽霊、怪物のような侵しがたい存在感を期待されたと思うので、チョロチョロ動くよりどっしり動いた」とこだわりを明かし、「実際にはゴジラの面もつけまして、顎を動かす面の使い方を意識した」と話していた。
萬斎監修の舞台に出演したことがある長谷川は「東京で止まるシーンなんて、まさに萬斎さんの止まり方。日本の伝統芸能が入って、オールメイドインジャパンだと再確認した」とコメントしていた。
舞台あいさつには長谷川、竹野内、石原、高良健吾(28)、樋口真嗣監督(50)が出席した。
シン・ゴジラ
歌舞伎町にゴジラロード
東宝が12年ぶりに製作した人気シリーズの新作映画「シン・ゴジラ」(29日公開)のワールドプレミアが25日、東京・新宿歌舞伎町で行われ、主演の長谷川博己(39)や庵野秀明総監督(56)が登場した。
会場となったTOHOシネマズ新宿から靖国通りに伸びるセントラルロードが「ゴジラロード」に改名されることも発表。
長谷川らは、歴代最大となる新作ゴジ ラの身長と同じ118・5メートルの同ロードに敷かれたレッドカーペットでファン3000人と交流した。
ゴジラの名前が地名に付くのは、1954年の誕生 以来、初となる。
約30分、サインなどに応じた長谷川は「自分がトム・クルーズになったような気分です。ポケットに入る小さなモンスター を追いかけるのもいいですが、今年の夏は史上最大のゴジラも追いかけて」とあいさつ。
大旋風を巻き起こしているスマートフォン向けアプリ「ポケモンGO」 を“ライバル視”した。
公開まで4日。この日が最初で最後の試写会となる。
庵野総監督は「東宝にしては珍しくいろんなことを秘密にしましたけど、先入観なしに見ていただきたい。正攻法で作っています」と意図を説明。
石原さとみ(29)は「感想が楽しみ」と語った。
歌舞伎座の無い歌舞伎町なんて
ゴジラ町に改名すればいいのに (^_^;)
18きっぷの旅
ピグモンとガラモンの違いが
よく分かりません (^_^;)
シン・ゴジラ 7/29公開
田んぼアート
色とりどりの稲を絵の具代わりにして、田んぼに絵を浮かび上がらせる青森県田舎館村の「田んぼアート」が見ごろを迎えた。
24回目の今年は、29日に公開を控える映画「シン・ゴジラ」が題材。
田んぼ一面に迫力あるゴジラが姿を現した。
縦約70メートル、横約150メートル、面積約1万平方メートルで、特別にデザインした
ゴジラが国会議事堂を襲う様子が描かれている。
ゴジラは永田町の地理に詳しいの? (^_^;)
特撮分科会 ウルトラマン50周年記念
愛知弟さん(左端)の形が たぶん正しいポーズなのかな
形の違いに 特撮への造詣の深さが出ますね (^_^;)
ゴジラ全映画DVDコレクターズBOX
公開当時のパンフレットも完全収録
史上初の「ゴジラ」映画コンプリート・シリーズ
2016年7月12日創刊予定 続きを読む
ザ・ピーナッツの妹 死去
「恋のバカンス」「恋のフーガ」などのヒット曲で知られる双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の妹、伊藤ユミ(いとう・ゆみ、本名・月子=つきこ)さんが5月18日に死去していたことが7月11日、分かった。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。
伊藤さんは昭和16年、愛知県生まれ。
双子の姉、エミさんとともに「ザ・ピーナッツ」を結成し、34年に「可愛い花」でレコードデビューした。
卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目され、音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」に出演。
「情熱の花」「ふりむかないで」など数々のヒット曲を送り出し、高度成長を背景にテレビの普及とともにお茶の間の人気者となった。
NHK紅白歌合戦には34年から49年にかけて16回連続出場。
映画にも活躍の場を広げ、「クレージー黄金作戦」などに出演した。
特に、36年の特撮映画 「モスラ」では、双子の妖精「小美人」を演じて話題を集めた。
アメリカのテレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演するなど海外でも活動した。
日本の歌謡界のトップを走り続けたが、50年に芸能界を引退。
以来、メディアからは遠ざかった生活を送っていた。 続きを読む