「田久保裕之」の検索結果

野球小僧イチロー 新宿高校野球部を指導

20221127_ichiro5_of

sports_baseball_man_asia

 

ちょっと顔出しイベントじゃなくて、2日間みっちり指導

  新宿高校の野球部員には、大変な経験ですね

「オレはこれ(野球)が大好きだからやってるんだ!」

  という人からは、輝くようなオーラが出てると思います

(^_^;)

 

1280px-Takashimaya_Times_Square

▲新宿高校の目の前にある、新宿高島屋デパートとドコモタワー

35261780

 

高層ビルがそびえ立つ大都会・新宿に、大レジェンドの大声がこだました。

マリナーズのイチローが11月26、27の両日、都立新宿高校をサプライズで訪れて野球部員たちを指導。

35261779

新宿高校野球部監督の田久保裕之(→)が目の当たりにしたのは、誰よりも

野球小僧イチロー

の姿だった。

新宿高校はJR新宿駅から歩いて5分くらい、地下鉄・新宿三丁目駅の駅前

グラウンドからは新宿高島屋(↑)や、新宿のシンボルにもなっているドコモタワー(↑)が見える、東京の超繁華街にある。

左翼から中堅方向にかけては、外野フェンスの奥に新宿御苑の豊かな森が広がっている。

「この新宿のビルと御苑の森の中に

 響きましたよね、『さあ、来い!』の声が」

田久保監督は、高校生たち以上にはつらつな49歳の姿に目を奪われた。

「うちに一番、足りないのが、野球小僧だと思うんですよ。

 勉強も文武両道って言っている弊害かもしれないですけど、

baseball_goro

 もっと野球に打ち込んでみよう、

 という物足りなさを感じる時がある。

 あれだけ頂点を極めた人が、

 野球小僧の顔をしていますよね」

まじりっけない野球への思い。

「うちの子たちにないものを、

 身をもって、見せてくれた気がします」

とつぶやいた。

2日間の指導では、積極的にコミュニケーションを取り、時には実演も。

170本のノックを放ち、高校生たちと白球を通じて向き合った。

田久保監督は

35261778

「私、ああいう練習が一番好きなんですけど、

 どーしても最近は精神論とか怪我がとか。

 なんか頭でっかちな理由がついてきて。

 こっちが時代に遠慮してしまっている。

 イチローさんがああいうことを率先して

 やってくれると説得力が5000倍ですね」

と感謝していた。

 

20221127_ichiro2_of

 

20221127_ichiro7_of

 

新宿高校の野球部

35261236

▲部長の役職を担う左翼手・岩佐と田久保監督

baseball_goro

 

新宿高校は東京府立第六中学校として1921(大正10)年に創立。

50年に現校名となり、2022年には創立100周年記念行事が予定される都立高校屈指の伝統校である。

1946年に創部された野球部には、チームを束ねる「主将」とは別に「部長」という役職がある。縁の下の力持ち。

7/17、淵江高との東東京大会3回戦。

4対1の8回表に貴重な一打を放ったのが、九番・左翼の部長・岩佐和樹(3年)だった。

二死一、二塁。岩佐は右打席から強振し、ライト後方への打球を放った。

相手右翼手がグラブを差し出すも、わずかに届かず(記録は失策)、二塁走者が生還した。

sports_baseball_man_asia

5対1。新宿高は23年ぶりの4回戦進出を決めた。

新宿高・田久保裕之監督は試合後

「良い打球だった。絶対に打つと信じていました。

 チームで一番、練習してきたのが岩佐。

 最後のもうひと伸びがあったのも、努力の賜物。

 野球の神様が運んでくれた一打です」

と喜んだ。

 

show_img

▲田久保裕之監督と一村幸主将

 

田久保監督も新宿高時代は部長だったからこそ、岩佐の苦労を誰よりも知る。

「主将の一村(幸、3年)を影ながら支え、

 いつもチームのために献身的です」

指揮官が3年生で5回戦に進出した1999年以来の32強である。

「あえて、生徒たちには言わないようにしてきました。

 背負わせるのもどうか、と……。

 目の前の試合に集中してほしかった」

試合後に始めて「23年ぶり」と聞かされた岩佐は

「そんなに勝っていなかったんですね(苦笑)」

と目を丸くさせた。

baseball_head_sliding

わずか1安打での勝利であり、したたかな野球を展開した。

1回表、制球に苦しむ相手の先発投手を攻め立て、無死満塁から四番・本村忠勝(3年)のスクイズで先制。

次打者が死球で、一死満塁から押し出し四球の後、スクイズで3点目を挙げた。

この2つのスクイズは、いずれもフルカウントからだった。

「ふだんは、あまりやらないんですけど……。

 雨が多く、打撃練習ができなかったんです。

 ただ、打てなくても点を取る練習はしてきました。

 あの場面はストライクを投げるしかないですから、

 ストライクをしっかり転がす、と。

 夏は重たい試合になることは分かっています。

 結果的に初回の3点は大きかったです」

エース右腕・青柳光祐(3年)が安定感のある投球を披露し、試合巧者ぶりを見せた。

新宿高は昨秋、東京都一次予選を突破し、23年ぶりの本大会進出。

baseball_pitcher_man

今春は本大会で9年ぶりの勝利を挙げ、東海大高輪台高との2回戦では逆転勝利で、3回戦まで駒を進めた。

現在の3年生である「75回生」は、実績において、輝かしい足跡を残してきた。

だが、5月末、チーム状態は停滞。

最上級生として、後輩たちに何が残せるのか、明確な「答え」が見つからなかったという。

女子マネジャー1人を含めて3年生7人。

あまりに高い理想を掲げ、責任感が強い主将・一村に、周りがついていけていなかった。

部長・岩佐は一村の「孤立」を察知。

つなぎ役として水面下で動き、同期に理解を求めた。

主将・一村も仲間に対して聞く耳を持ち、歩み寄る姿勢も見せ、3年生は一枚岩となった。

「日本一の文武同道の達成」

がモットーである進学校・新宿高の平日の練習時間はわずか45分。

勝負しているのは練習量ではないと、部長・岩佐は力を込める。

「万事練習という部訓がありますが、ウチの練習は24時間。

baseball_fly_error

 勉強、食事、寝ることも練習。

 グラウンド以外の私生活をしっかりすることが、

 試合におけるあと一歩、あと一球につながる。

 7人で話し合った6月以降

 『3年生が何でもNo.1』をやり続けてきました。

 自分がこだわるのはグラウンドの環境整備。

 ここは、率先して取り組んできたつもりです」

常日ごろからの地道な積み重ねが、田久保監督が言う

「最後のもうひと伸び」

となったのだ。

指揮官は75回生の「背中」について言う。

「野球は完成していませんが、チームワーク、ゲーム運びは、

 今までの新宿にはなかったものを発揮している。

 よくまとまった7人です」

23年ぶりの5回戦進出をかけた4回戦は共栄学園高と対戦する。

田久保監督は言う。

「(初戦の2回戦から)先行して勝つのが2試合、続きました。

 劣勢の場面を、跳ね除けられるか。

baseball_batter_man

 そういう練習も積んできましたので、

 食らいついていきたいと思います」

2022年のチームスローガンは「継勝」。

部長・岩佐は

「一戦一戦、戦った先に甲子園がある。

 でも、今日、勝ったことは忘れて、

 次への準備を進めていきたいです」

と謙虚に語った。

背伸びすることなくワンプレー、ワンプレーを全員で確実にこなす。

やってきたことを信じて出すだけ。

新宿高に怖いものはない。

 

新宿高校でティーボール教室

20191223-00213267-baseballk-000-1-view

12月22日、東京都新宿区の都立新宿高校で「ティーボール教室」が行われた。

新宿高校はこれまでも「Shinjukuベースボールアカデミー」などの社会貢献活動を行ってきたが、今回は日本高野連の「200年構想」の「普及 子ども向けティーボール教室の開催」に準拠した、日本高野連公認のイベントだ。

当初はグラウンドでの開催を予定していたが雨の予報があったために、急遽大体育館で行われた。

田久保裕之監督は「初めてのことだから、何人が集まるか不安」と話したが、約20人の未就学児童が保護者に伴われて参加した。

田久保監督は軽妙な「お話」で、子どもたちをリラックスさせる。

命令口調ではなく「語りかける」口調だ。

まずは、ウォーミングアップとしてダッシュ、ベースランニング。

最初の段階で「ベースを回る」という経験をさせるのは、最後のティーボールゲームを理解させる上で非常に有効だ。

続いて柔らかいボールを使ってボール投げ。

自分でキャッチ、弾ませてキャッチ、そして選手のお兄さんとキャッチボール。

さらに転がるボールを「パクっ」と掴む体験も。

子供たちはボールを使う基本的な動作を身に着けた。

さらにボールを使った「的あてゲーム」「玉入れゲーム」この段階まで来ると、子どもはボールを自分から争って取りに行き、自分から進んで競技に取り組むようになる。

いよいよバッティング。まず選手が、フルスイングでボールをホームランを披露。

そして子どもたちはティーに置かれたボールを打っていく。

バッティングは、未就学児童でも個人差が出やすい。

特に女の子はティーのボールにバットが当たらないことが多い。

そこで田久保監督は段ボール箱の上にティーを置きボールを置いてバットで打たせる「箱ティー」も考案した。バットも少し太めにした。

これで、みんながボールでバットを打つ体験ができるようになった。

ティーボール教室の進行は田久保監督が行ったが、選手たちはイベントの趣旨をよく理解し、子どもがいいプレーをしたら褒めたり、ハイタッチをするなど大いに盛り上げた。

このイベントが、高校球児にとってどんな意義があるのかをよく理解していることが見て取れた。

最後は「どか点ティーボール」。

2面でゲームが行われた。

バットを使うゲームでは、子どもが打ったあとにバットを放り投げるのが危険だ。

今回は、コーンを倒し、その中にバットを入れる動作を子どもたちに教え込んだ。

攻撃側は子どもたち。守備側は子どもたちと選手。

1塁1点、2塁2点、3塁3点、本塁まで帰ってくれば4点が入る。走者は残らないスタイル。

子どもたちは歓声を上げて塁を回った。

通常、ティーボールでは、ゲームの当初は「塁の回り方がわからない」子どもが続出し、それを教えるのに少し時間がかかるが、ウォーミングアップでベースランニングを教えていたので、子どもたちはスムーズに塁を回ることができた。

小さいことのようだが、こうした工夫が、イベントの進行をさらにスムーズにする。

どちらが点が多く入ったかを競い、1時間20分でイベントは終了した。

途中で2回、給水タイムもしっかり取られた。

最後に記念撮影、そして今回は公認イベントで予算があったので、ボール、バット、コーンを使ったティーを子どもたちにプレゼントした。これも重要なポイントだ。

こうした体験は一過性のものに終わりがちだが、ボールやバットを持ち帰ることで、家でもこうした遊びに親しむことができる。

イベント後の保護者のアンケートでは「楽しかった」「子どもがこんなに楽しそうにしているのを久しぶりに見た」「お兄さん、お姉さんが優しかった」「野球ってこんなに楽しかったんだ」などのコメントが寄せられ、評判も上々だった。

こうした取り組みは「200年構想」発表以降、全国で行われているが「誰のための、何のための取り組みなのか」を選手がはっきり理解することがポイントになる。

新宿高校の取り組みは、自分たちが大好きな野球の楽しさを子どもたちにも伝えようという熱意がはっきり見て取れたのが有意義だった。

 

新宿高校の野球部

 

都内でも有数の進学校として知られる都立新宿高校

■「自主・自律」の校訓を胸に文武両道を目指す
東京都新宿区にある東京都立新宿高等学校。東京大、一橋大、筑波大などの難関国公立大学の合格者も多数輩出する進学校の一つとしても知られている都立校だ。学校に掲げられる「自主・自律」の校訓に基づき、多くの部活動が文武両道を目標に日々の活動に励んでいる。

baseball_batter

 

 グラウンドの 地価の高さでは

  日本一かもしれませんね  (^_^;)

 

続きを読む

新宿高校の野球教室

野球教室は、新宿高校硬式野球部の田久保裕之監督の挨拶からスタートし、前半は遊び感覚で行えるようなゲームを行った。

筑波大学准教授の川村 卓氏が考案したというこのゲームは、普段小学生が手にしてる軟式ボールではなく、柔らかい素材のボールを採用し、守備も素手で行えるもの。

野球のルールを基にゲームは作られているのだが、打球の方向へ全員が動くなど、チーム全員が楽しく参加できるようなアレンジがされており、チームが得点を決める度に大きな歓声が聞かれた。

また、「ホームランを打つ喜びを小学生にもっと体験させてあげたい」という思いから、ゲームフィールドはあえて狭く設定されており、ある小学生の保護者が「普段からこれくらいホームラン見れたらいいですね」と語るほど、たくさんのホームランが飛び出した。

参加した小学生からは「簡単にできて楽しかった」「お兄さんはみんな優しかった」といった声が聞かれ、大満足の様子だった。

後半はグラウンドを離れ、教室で座学を行った。

野球教室に座学取り入れたのは、同校が進学校であることを野球教室にも活かしたいという田久保監督の意向からで、毎日勉強に励む高校生が、勉強やスコアの付け方を小学生に丁寧に指導した。

小学生への授業の準備は、田久保監督は何も指示を出さずに、すべて選手やマージャー達だけで行ったそうだ。

久保監督は「配布するプリントやパワーポイントには、私は目を通していなかったが、しっかりと出来ていました。また、筆記用具を忘れた子ども達のために、予備の筆記用具も自分たちで考えて用意していた。本当に良くやったと思います」と笑顔で語り、選手やマネージャーを労った。

高校野球どっとこむより

baseball_boy

 

学校の先生とは思えないような

マーケティングセンスのある監督ですね  (^_^;)

 

続きを読む

夏の甲子園

yakyu

 7月8日、夏の甲子園の予選となる高校野球の東・西東京大会が開幕する。

 都立新宿高校を率いるのは同校OBの田久保裕之さん(35)。

 かつて「学生監督」として同校を指導したが、今春の異動で今度は教員監督として母校に戻ってきた。

 長年の夢がかなった田久保さんは、後輩とともに、チーム目標の3勝を目指す。

 「オラーッ、もう一球~!」「リズム、リズム!」。

 新宿御苑と新宿タカシマヤが間近に見える新宿高校のグラウンドに、田久保さんの大声が響き渡る。

 田久保さんは2000年に同校を卒業すると「母校の体育教師になりたい」と、日本体育大に進学。

 すぐに新宿高校の野球部監督になり「学生監督」として注目された。

 その後、念願の教員になり、10年に小山台高校の助監督に就任。

 チームは14年春のセンバツに、21世紀枠で出場を果たした。

 今年3月末、母校への異動が決定。

 小山台の大田原弘幸校長から「みんなが母校に行きたいが、実現するのは一握り。チャンスを逃すな」と背中を押された。

 現在は1年の担任と体育教諭として勤務しながら、野球部で監督を務める。

 東大野球部で活躍し中日球団代表も務めた新宿高校OB井手峻さんを外部コーチに迎え、小山台時代に学んだ狭いグラウンドで効率良く練習できるメニューを取り入れるなど、早くも手腕を発揮している。

 田久保さんは「自分は日本一幸せな教員。夏の大会は、3年生と同じ最後の夏という気持ちで臨む」と意気込む。

 主将の吉田壮吾さん(18)は「田久保先生は、僕たちが野球だけに集中できる環境を整えてくれる。『都立だから』という言い訳が、いい意味で通用しなくなった」と喜ぶ。

 マネジャーの高安柚奈さん(18)も「元々、OB総会などで知っていたので、最初からなじんでいます」と、歓迎している。

 新宿高校は7月9日、郁文館と対戦する。

 ———————————

<高校野球東東京大会:郁文館4−1新宿>◇7月9日◇1回戦◇江戸川
新宿高校・梅原猛投手(3年)の力投は実らなかった。先発し7安打4失点完投。終盤で足をつりながらも投げきったが、勝利の女神はほほえまなかった。
5月から、OBで中日元球団代表の井手峻氏が外部コーチとして招聘(しょうへい)された。梅原は「最後の大会なので自分以外投げさせないという気で投げました。井手さんから『気負う必要はない』と言われたことを思い出して落ち着いて投げられました」と言った。今春から母校に戻った田久保裕之監督は「3年生がよく頑張った。梅原の気迫の守りは、後輩たちにしっかりメッセージとして伝わっているはず」と話した。
 郁文堂という出版社がありましたね
ドイツ語の教科書とか出してる (^_^;)

野球部 戸山戦で圧勝

236942

サイドノックを行う、新宿高校の田久保裕之監督

高校野球の最終目標は甲子園出場である。それは、万人の認めるところであろう。

しかし、高校野球の担う役割はそれだけではない。歴史と伝統を継承して受け継いでいかなくてはならないものもある。

それを今の若い世代がどのように甘受して、次の世代へ継承していかれるのか、そうした伝統を育んでいく作業も大事な要素ともいえるのだ。

東京都では、学制改革以前の旧制時代にあった府立中学の歴史を背負うナンバースクールが今も都立の進学校として存在している。

その時代には文武両道を前面に掲げていた。

その歴史を新時代になっても継承していこうと、旧制府立六中の新宿高校が四中の戸山高校と、1956(昭和31)年から野球だけではなく、あらゆる運動部で総合定期戦として対抗戦を開催。

毎年、駒沢オリンピック公園を借り切って開催されている。

今年は6月1日に開催されたが、野球の対抗戦は駒沢球場で行われ、中盤に猛打が爆発した新宿が6回コールドゲームで戸山に勝利。

新宿は昨年、サヨナラ負けした悔しさがあっただけに、意地の雪辱を果たしたとも言える。

236952
【戸山】竹原大輔、合田幸弘―金子草太
【新宿】梅原猛―吉田壮吾 続きを読む

野球部に大物コーチ

20170602070847
都立新宿高校出身の元中日球団代表、井手峻氏(73)が母校である新宿高校の外部コーチに就任したことが5月31日、分かった。 続きを読む

大逆転 都立小山台高校

WS000000←小山台高野球部助監督・田久保裕之さん

新宿高校1999年度卒

第98回全国高校野球選手権大会東東京大会で15日、都立の雄、小山台が初回に奪われた10点をはねかえし、立教池袋を下した。

劇的な試合のヒーローは、八回に逆転満塁ホームランを放った宮川慶悟内野手(17)だった。

八回1死満塁。3点差で打席が回ってきた。

「とにかくヒットを狙って、来た球は全部打ち返す」。

高めの直球を振り抜くと、打球はレフトスタンドへ突き刺さ る逆転満塁弾に。

大歓声が渦巻く中、一塁を回ったときに塁審が手を回しているのをみて、ようやくホームランと気づいた。

「ベンチに戻るまで実感はなかっ た」。

10点差をひっくり返した起死回生の一打は、無我夢中だった。

小学1年から野球を始め、高校も野球ができる学校を選んだ。 続きを読む

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000小山台高野球部助監督・田久保裕之さん

新宿高校1999年度卒

 夏の高校野球の季節がやってくる。

 東京都立新宿高校の硬式野球部は、部のOBが監督として指導するのが伝統だった。

 現都立小山台高野球部助監督の田久保 裕之さん(34)=1999年度卒=は、新宿高を卒業後、すぐに母校の学生監督に就任し6年務め、教員になった後の小山台高では、同校を都立初のセンバツ 出場に導いた。

 高校時代を「毎日がドラマだった」と振り返る熱血先生の田久保さんに、9年にわたった新宿高生活を聞いた。

 野球は5歳の頃、阪神ファンの父と1歳上の兄の影響で始めました。

公立中学野球部だった1年生の時に、顧問の先生に「野球も勉強も頑張れるところ」と勧 められ、新宿に入学しました。

野球部でのポジションは1番ライトで、部長。仲間に恵まれ、チームワークも抜群で、3年の春と夏はシード校でした。

 3年春の都大会4回戦で強豪の早稲田実業とあたり、七回に一塁からホームインする際、クロスプレーで左足が肉離れした。そのまま足を引きずり守備につきましたが、すぐに交代。チームは逆転サヨナラで負けました。

 夏の大会はテープをぐるぐる巻きの状態で出場。3試合ノーヒットで終わり、満足にプレーできず、仲間に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

今思えば甲子園を十分狙えるチームでしたが、当時はただがむしゃらで、どこかに「甲子園は遠い」という諦めもありました。

 卒業後は「こんな楽しい高校生活が3年間ではもったいない。ドラマの続きを見たい」と、高校の教員を目指しました。

日本体育大入学後、すぐ母校の監督に なりました。大学4年間は朝、跳び起きて母校の朝練行って、大学へ行って、放課後また母校で練習して、という生活でした。

 卒業後は都立高の非常勤講師をしながら監督を続け、6年目の1月、教員採用試験を控え、選手に夏の大会で引退すると伝えました。

 その初戦の対戦相手に、 キャプテンの森田慎くんが長年のライバル校の都立戸山高(新宿区)を引き当てた。しかも開幕戦です。

 森田くんは「田久保さん、いい(引退の)舞台を用意し ましたよ」とニヤッと笑った。

 試合は「新宿ダービー」として盛り上がりました。

 ほぼ満員の神宮球場で、結果は七回コールド勝ち。それが監督として夏の大会 初勝利でした。

 ちょうど翌日は朝から教員採用試験で、大忙しでした。その大会では3回戦まで進みました。最後の夏に後輩たちからすごいプレゼントをもらい ました。

 翌年、念願の教員になり、2010年から小山台高に赴任。硬式野球部の助監督になりました。

 チームは14年春のセンバツに21世紀枠で出場しました。結 果は1回戦敗退。期待に応える試合ができず悔しかったですが、やはり甲子園はすばらしく、敗戦から得たものも大きかったです。

 監督の魅力は、教室や机上の勉強だけでは見えない、生徒の土壇場の底力を見られることです。

自分の高校時代の後悔から、生徒には「甲子園に行きたい」ではなく「行くんだ」と思わせることがスタートラインだと肝に銘じています。

 私には夢があります。いつか、母校に戻るチャンスがあったら、監督として甲子園に導きたい。

地元の伊勢丹、高島屋、小田急百貨店、京王百貨店に「新宿高 出場おめでとう」の垂れ幕がかかり、地元の方が喜び、全国の皆さんに新宿高を知ってもらえれば−−。

そのために今は修行中です。

———————————–

19〜74歳のOB 現役より先に「甲子園」

 戦前の旧制六中時代に創部され、終戦直後には都大会決勝まで進んだこともある新宿高硬式野球部。2008年には田久保さんも参加するOBチーム「マスターズ新宿」が誕生し、現役より一足先に甲子園出場を果たしている。

 チームは硬式野球部OB会「朝陽白球会」の、20歳から79歳の約100人が選手登録。月1回ほど企業のグラウンドなどを借りて活動している。

 「マスターズ甲子園」は、元高校球児たちが世代を超えて出身校別にチームを結成し、地区予選を経て甲子園の舞台に立つ大会だ。

09年、チームは都予選を 勝ち抜き、現役チームが手にしたことのない甲子園切符をつかんだ。

翌年11月の試合当日、徳島・鳴門高との対戦では、代打や細かい守備交代で、参加した 19歳から74歳の50人全員が試合に出場。

試合には負けたが、アルプススタンドでは駆けつけた同窓会メンバーが大いに盛り上がった。

 OBの宮崎直道さん(62)=1971年度卒=は、「長年の夢がかない、最高の気分でした」と振り返る。

現在、チームは2度目の出場を目指し、練習に励 む。

一方で、過去にはマスターズの甲子園出場に発奮した現役チームが後に甲子園初出場を果たした例もあり、先輩たちは現役生の奮起にも期待を寄せる。

———————————–

卒業生「私の思い出」募集

 都立新宿高校(旧府立六中含む)の卒業生のみなさんから「私の思い出」を募集します。

300字程度で、学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人 生に与えた影響などをお書きください。

卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100−8051、毎日新聞地 方部首都圏版「母校」係(住所不要)へ。

メールの場合はshuto@mainichi.co.jpへ。

いただいた「思い出」は、毎日新聞やニュースサイト で紹介することがあります。

新聞掲載の場合は記念品を差し上げます。

ツイッター @mainichi_shuto

フェイスブック 毎日新聞 首都圏版

———————————–

たくぼ・ひろゆき

 1981年東京都生まれ。

日本体育大体育学部卒業。2006年都立園芸高、10年同小山台高定時制課程教諭。

都立園芸高では部員9人の軟式野球部監督、 小山台高では硬式野球部助監督。

12年から、野球指導に関わる若手教員のレベルアップを目的に、「東京高校ベースボール若手会」(通称TKB)を主催し、 定期的に勉強会を開催している。