日本の多くの山は、山伏による修験道の修行の場となっている
この修験道(しゅげんどう)とは何だろうか?
筆者は古代史関係の多くの本を書いている歴史作家で、本書では、この修験道の謎に挑んでいる
筆者によると、日本には縄文時代から続くアニミズム信仰があったが、仏教の流入に刺激されて、7~8世紀ころに上からの官製神道として、中臣神道が形成されてゆく
天智天皇派の中臣(藤原)鎌足と息子の藤原不比等が宮廷(天皇家)を実質支配し、自分たちに都合良く、歴史(日本書紀)と宗教(中臣神道)をまとめていく
この中臣神道からこぼれおちた、従来からの日本古来の信仰が、修験道になったという
このような経緯から、修験道の勢力は反藤原となり、さらに反権力となったので、時の権力者からは敵視されることが多く、「鬼」と呼ばれるようになる
はるか後の世の、明治維新による廃仏毀釈の真のターゲットは、仏教ではなく修験道だったと言う
藤原氏の権力奪取によって、これまで天皇家を支えてきた旧勢力は疎外され滅ぼされていくが、その残党は壬申の乱で一時復権し、やがてまた藤原氏が権力を奪い返す
こうして平安時代は、藤原氏と反藤原による権力闘争の場となる
その後の日本史の動乱の中で、修験道の勢力は常に、反権力の立場で歴史に関わってくる
著者は、藤原氏こそ日本史最大の悪党と考えているようだ
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