紅白引退の“御大”に意外な過去…北島三郎は漫才師だった!
今年の第64回NHK紅白歌合戦を最後に、紅白を引退すると発表した。
紅白出場は、今年で50回目と歴代の歌手の中で最多。
今年は“大トリ”を務めることが内定しているとされ、トリを務めるのは、故・美空ひばり、五木ひろしと並び歴代最多となる。
いわば“紅白の顔”“日本歌謡界の大御所”の北島だが、紅白の演歌枠が減るなか、「先輩がいつまでも壁になっているのもよくない」と語り、演歌枠を後輩に譲るのが紅白引退の理由だと説明した。
「健康不安説なども囁かれましたが、15年ほど前に尿路結石を患った他は特に問題ないようで、年齢相応の疲れなどは感じるものの、体はいたって健康、丈夫。酒もたばこもやらないのが、功を奏しているのではないでしょうか。ひばりさんをはじめ、酒やたばこで体を壊し、歌えなくなる歌手は少なくありませんからね」(芸能関係者)
酒を飲まないとは意外だが、北島はもともと奈良漬を食べただけで酔っぱらうという酒に弱い体質。逆に、大の甘党で、コーヒーには砂糖を大量に入れて飲み、舞台の本番前には、必ず炭酸を抜いた三ツ矢サイダーを飲む。高校時代は、母親が白飯に黒砂糖をかけただけの弁当を喜んで食べていた。
たばこは、かつてはヘビースモーカーだったが、尿路結石を患った15年ほど前にやめた。77歳の今も声がよく出るのは、禁煙のおかげだろう。
「不摂生といえば夜更かしくらいで、午前3~4時に布団に入る。健康のために特別にしていることはなく、日中、外に出て日の光を浴びるよう心掛けているくらいだそうです」(芸能ライター)
女性問題や借金問題がなかったことも、長く歌い続けられた秘訣か。夫人とは歌手デビュー前の23歳のときに結婚。夫人は、北海道・知内村(現・知内町)から上京した北島が、新宿にあった東京声専音楽学校と、流しをしていた渋谷に通うのに便利なように、と借りた西大久保のアパートの大家の娘だった。夫人は貧しい北島にカレーライスを差し入れ、ミカン箱の上で歌う北島に「いよっ!」と声をかけて励ました糟糠(そうこう)の妻だ。
しかし、北島はデビュー時、結婚していることを事務所にさえ言い出せず、デビュー3年後にバレるまで秘密にしていた。黙って“日陰の身”に耐えた夫人に、北島は毎年、誕生日や結婚記念日のプレゼントを欠かさないという。
■その名も「ゲルピン・ちん太・ぽん太」
デビューさせヒット歌手に育ててくれた恩師である、作曲家・船村徹にも義理を欠かさない。船村は北島が歌手デビュー前、歌謡漫才コンビ「ゲルピン・ちん太・ぽん太」を組ませ、“ぽん太”として舞台の前座を務めさせたこともあった。
流しも恥ずかしくてたまらなかったという北島、漫才をするのはさぞつらかっただろうが、北島は今も「船村徹同門会」の名誉相談役を務めている。紅白引退の報告もしている。
派手な豪邸暮らしなどはよく知られているが、寄付などボランティアにも積極的。
かつてはディナーショーの収入を全額寄付したり、ブラジルの日系病院建設に730万円も寄付をしたりした。
東日本大震災の際には歌手仲間で「演歌義援金」を送り、復興支援チャリティーコンサートを開いた。周囲へのこうした地道で小まめな心遣いも、50回も紅白に出演し続けられた理由に違いない。