同窓会誌「朝陽」来ましたね

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▼最終ページ(裏表紙)

最終ページ(裏表紙)を見たら、ゼンショー(すき家の牛丼)の広告が載っていて、先日4/6、77歳で亡くなられた小川賢太郞さん(新宿高校19回生)の名前があります

ゼンショー創業者、小川賢太郞さんは19回生で、我々27回生とは8年違いですが、この違いは決定的でした

全共闘運動が、彼の人生を決定的に変えた

東大の安田講堂「落城」のあと、彼は港湾労働者(沖仲仕)の組織化に取り組み、オルグとして自ら港湾労働の世界に飛び込みました

▲沖仲仕

私は最近(1年くらい前)、ホッファーという人(沖仲仕として働き続けた哲学者)の本を2冊ほど読みました

「大衆運動」 「人間とは何か」

もしかすると小川賢太郞さんも、港湾労働の世界に飛び込む前に、ホッファーを読んでいたのかもしれない

しかし最近半世紀ほどのコンテナ物流革命によって、沖仲仕は世の中から消えた

そして小川賢太郞さんの、そこからの方向転換(共産主義→資本主義)と躍進が、まさに超人的!

極度の「筋トレおたく」だったそうで、会社にはベンチプレスを置いてあって、社員にもすすめていた(一時は義務づけていた)

「日本人は欧米人に比べて体格が貧弱すぎる。ちゃんとベンチプレスやって体鍛えて牛丼を食ってれば戦争に負けなかった」

というのが口グセ

日本が戦争に負けたことがよほど悔しくて、会社の名前を「ゼンショー(全勝)」にしたのかもしれません

世の中には、周囲から「超人」とか「天才」とか呼ばれる人がいます

そんな人に共通しているのは、彼ら彼女らの言う「普通」とか「当然」の内容が、まったく普通でも当然でもないということです

「こんなこと簡単なのに、なんでみんな、しないんだろう?」

みたいなことを言うんだけど、そんなの普通の人には出来ないよ

ご冥福をお祈りします

* * * * * * *

週刊誌記事(週刊ポスト2014年4月25日号)によると

小川賢太郞 ゼンショー(すき家の牛丼)創業者

1948年生まれの団塊世代で、1968年に都立新宿高校から東大に入学

全共闘運動に身を投じるが、安田講堂の“落城”で敗北を味わう。

そのときの身の振り方が他の学生と決定的に違った。

多くの学生が教室に戻り、就職したのに対し、大学を中退

港湾労働者(沖仲仕)を組織化すべく、荷役会社へと 潜り込んだ。

そんな挫折と幻滅を味わい、逆に資本主義の優位性を痛感する。

今度は、「資本主義体制の下で世界の飢餓と貧困を撲滅する」という大目標を立て、急成長中だった牛丼の吉野家に入社した。

1978年のことだ。これが今に至る道の始まりだ。

小川氏が入社した2年後(1980年)、吉野家は経営危機が表面化した。

小川氏は孤軍奮闘して自主再建を目指したが、会社は会社更生法の適用を申請。

「米、牛肉、醤油というシンプルな組み合わせの牛丼は必ずハンバーガー並みにポピュラーになる」

と確信していた小川氏は3人の部下を引き連れて独立し、ゼンショーを設立した。1982年のことだ。

社名の「ゼンショー」は「全勝」という意味

そこには、敗北の連続だった小川氏の「これからは全戦全勝だ」との思いが込められている。

独立した小川氏は軍隊のような「鉄の規律」を導入した。

それを物語るのが、企業理念に加え、社員や店舗スタッフの動き方までこと細かく記した「ゼンショーグループ憲章」だ。

たとえば、カウンター席の客には、注文から原則10秒で牛丼を出す。

外食産業に詳しい経営コンサルタントによれば、これは「業界最速」だ。

「営業報告から掃除に至るまでやるべきことのタイムテーブルも秒刻み。時間管理の厳しさは本社の管理部門でも同様で、商談は30分以内、歩く時は1秒に2歩以上が求められる。外食産業の多くでマニュアル化が進んでいるが、ゼンショーは突出している」

ちなみに、社員には筋力トレーニングや朝礼時のスクワットが義務付けられていたこともある。

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