毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000俳優、元参院議員・中村敦夫さん(76)

新宿高校1957年度卒

 旧制府立六中時代から全国屈指の進学校だった都立新宿高校。

 俳優で元参院議員の中村敦夫さん(76)=1957年度卒=の在校時は激しい受験競争の真っ ただ中だったという。

 「なじめず、変わり者だった」という中村さんに、その後の俳優業や政治家へとつながる高校時代の経験を聞いた。

 生まれは東京ですが、小中学校は新聞記者だった父親の仕事の関係で福島県におり、県立磐城高校に入学しました。

 東京出身の母の希望もあり、1年の夏に都立高校の編入試験を受けました。

 新宿高と戸山高の両方受かってどちらか迷いましたが、校舎に入る時に、戸山は靴をぬがなければならない。

 スリッパを持っていなかったら怒られたけど、新宿は古い校舎で土足のまま上がれた。

 礼儀作法がうるさくなさそうで自分に合っていると思い、新宿高に決めました。

 当時は毎年100人が東大に入るような進学校。レベルが高くてびっくりしました。

 最初の英語の試験でシェークスピアが出た。100点満点で10点以上 取ったらまあまあみたいな難問で、自分は10点ちょっと、周りも20点も取れない。

 一人だけ60点取った岩田昌征という生徒がいて、覚えています。彼は後 にユーゴスラビアの専門家として大学で教えていると聞きました。

 学校はとにかく競争しなくちゃいけないという雰囲気があった。

 朝の通学時間は、新宿駅南口から学校まで、学生帽をかぶった男子生徒が辞書を見ながら ダーッと列を作って歩く。

 社会のエスタブリッシュメントへの道を競い合うような雰囲気に拒絶感があり、なじめませんでした。

 高校生活はたくさんの本や映画に親しみました。

 コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」は自分のポジションを言い当ててもらったように感じて、とことん 読みました。

 映画は週1回は名画座に通いました。一番印象に残っているのは「天井桟敷の人々」。当時の名優が総出演で、それは夢中で見ました。

 学校に隣接していた新宿御苑には毎日弁当を持って行きました。

 障害物競走みたいに校庭の塀を乗り越えて入って。本当は入り口があったのですが、新宿高生は「第三のグラウンド」と呼んで、自由に行き来していました。

 俳優になって「木枯し紋次郎」の紋次郎役で当たった後に、小説を書いたりニュース番組のキャスターや政治家にもなり、分野横断的にいろいろやりました。

 一貫しているのは、時代認識と世界観の「表現者」であるということです。

 高校3年間は、セットされた道を進む「順応型の秀才」のためのコースで、そうじゃない自分のような人間は独力で道を探していくしかなかった。

 しんどい人生だけど、そっちのほうが面白いと気付いた。それは反面教師としての、あの学校のおかげです。

 今の時代は混乱の極致で、軸になるものがない。

 僕がこれからできるのは、遠慮せずにはっきりものを言うこと。

 自分の確信したことをさまざまな手段で伝える「表現者」としての人生を、全うしたいと思います。

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身近な存在、新宿御苑 第三のグラウンド?

 中村敦夫さんがお昼を食べに毎日通ったという、学校に隣接する新宿御苑。旧制六中として発足時には、当時、宮内省御料地だった御苑内の一角に初代校舎が建設されるなど、新宿高との結びつきは強い。

 かつて学校と御苑は壁一つを隔てて隣接しており、生徒は「第三のグラウンド」と呼んで日常的に壁を乗り越え「侵入」していた。戦後になると生徒の仕業 か、壁には出入りできるほどの大きさの穴が複数開き、1962年度の卒業アルバムには、穴から笑顔を見せる生徒の姿が掲載されている=写真・新宿高朝陽同 窓会提供。

 同窓会によると、要人が出席する式典が開かれる当日に、生徒が入って補導され、翌日の朝礼で当時の校長が「入るなら別の日に入れ!」と一喝したなど、御 苑にまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。男性元教諭は「御苑の豊かな緑があったから、都心のど真ん中にありながらも生徒は学問に励み、健やかに過ご せたのではないか」と言う。

 2004年に現在の3代目校舎に移転し、御苑との間に道路建設工事が始まると、生徒が行き来することはなくなった。07年からは「奉仕」授業の一環とし て、生徒は年数回、御苑内の清掃や除草を実施している。創立から90年以上経た今も、御苑は生徒に親しまれている。=次回は31日に掲載します

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なかむら・あつお

 1940年生まれ。東京外国語大中退。63年俳優座入団。72年、連続テレビ時代劇「木枯し紋次郎」の紋次郎役に抜てきされ大ブレーク。以降多くのドラ マの主演を務める。83年、小説「チェンマイの首」で文筆活動開始。84年から情報番組「地球発22時」のキャスターとして、数十カ国で海外取材を経験。 98年参院議員に初当選。2004年政界引退。今年5月、徳島の寺院で出家得度した。

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