「平田隆夫とセルスターズ」でボーカル、ギターを担当した音楽家の菊谷英二氏(きくたに・えいじ、本名・英紀=ひでのり=)が27日、虚血性心疾患で死去した。
77歳だった。
告別式は5月2日午前11時、埼玉県川口市並木2の5の7セレモニー西川口ホール。
「ハチのムサシは死んだのさ」(1972年)が大ヒットし、「NHK紅白歌合戦」に出場した。
同じくボーカルの村部レミさん、みみんあいさんと共に、昨年11月の「日本歌手協会 歌謡祭」に出演したのが最後のステージとなった。
「平田隆夫とセルスターズ」でボーカル、ギターを担当した音楽家の菊谷英二氏(きくたに・えいじ、本名・英紀=ひでのり=)が27日、虚血性心疾患で死去した。
77歳だった。
告別式は5月2日午前11時、埼玉県川口市並木2の5の7セレモニー西川口ホール。
「ハチのムサシは死んだのさ」(1972年)が大ヒットし、「NHK紅白歌合戦」に出場した。
同じくボーカルの村部レミさん、みみんあいさんと共に、昨年11月の「日本歌手協会 歌謡祭」に出演したのが最後のステージとなった。
大ヒット曲「ブルー・シャトウ」で知られるグループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダーを務めたジャッキー吉川(じゃっきー・よしかわ、本名・板岡公一=いたおか・こういち)さんが群馬県内の自宅で死去したことが21日、所属事務所への取材で分かった。
81歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
事務所によると、関係者が20日午後、自宅で亡くなっている吉川さんを発見した。
昭和36年にブルー・コメッツにドラマーとして加入。
42年に「ブルー・シャトウ」で日本レコード大賞を受賞した。
41年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場を果たし、グループサウンズ黄金期の一翼を担った。
他の代表曲に「青い瞳」「青い渚」など。米国の人気番組「エド・サリバン・ショー」にも出演した。
今までのところ
城達也さんを超えるような人は
出ていないように思います (^_^;)
「50年以上続く歴史と伝統ある番組『JET STREAM』。
月曜から金曜の午前0時、ミッドナイト・フライトへのご搭乗をお待ちしています」(福山雅治)
福山雅治が、TOKYO FMをはじめとするJFN全国38局ネットで放送中のラジオ番組『JET STREAM』(毎週月~金曜 24:00~)の“新機長”に就任した。
「遠い地平線が消えて……」のナレーションから始まる『JET STREAM』は、今年開局50周年を迎えるTOKYO FMの前身で、東海大学が行っていた実用化試験放送局「FM東海」時代の1967年にスタートした民放FMの最長寿番組。
これまで、初代の城達也(故人)から小野田英一、森田真奈美、伊武雅刀、大沢たかおと5人がパーソナリティである“機長”を担当してきた。
“新機長”の福山は、3月30日深夜の放送回から登場。リスナーをイマジネーションの世界旅行へ誘う。
■福山雅治 コメント
福山雅治です。
このたび『JET STREAM』の新機長を担当させていただくことになりました。
TOKYO FM開局50周年を迎える節目の年に、新時代の『JET STREAM』を担っていただきたいというオファーをいただきました。
僕自身のデビュー30周年というタイミングでこのような大役を仰せつかり、たいへん光栄です。
長崎で過ごした少年時代、深夜放送を聴き始めた頃は、まだ一度も海外には行ったことはなく、かつ飛行機にも乗ったことがことなかった僕ですが、ラジオから流れる『JET STREAM』を聴きながら、まだ見ぬ異国の風景や美しい天空へと何度も夜間飛行に誘っていただきました。
1967年の放送開始から、これまで城達也さんをはじめとする偉大な機長の方々がご担当された名誉ある番組であり、デビュー以降ラジオと共に生きてきた私にとって『JET STREAM』は、まさに憧れの番組でした。
と同時に、自分自身のラジオキャリアの中でものこのようなフリートークなしのスタイルは初めてです。
声だけでリスナーの皆さまを別世界へと誘う、そしてリスナーの皆様にイマジネーションを掻き立てていただく、という“ラジオの原点”とも言うべき表現手法の番組。
改めて身を引き締めながら、僕自身のデビュー30周年のあらたなチャレンジとして担当させていただきます。
50年以上続く歴史と伝統ある番組『JET STREAM』。
月曜から金曜の午前0時、ミッドナイト・フライトへのご搭乗をお待ちしています。
■TOKYO FM編成部長・宮野潤一 コメント
TOKYO FMにとっても、FMメディアにとっても、
今後も長く続けていきたい大切な番組です。
当社開局50周年を迎える節目の年に、
新しい時代の『JET STREAM』の機長は、
ラジオキャリア、ラジオ愛、そしてあのお声を持つ福山雅治さんしかいない!
と思い、このたびオファーをさせて頂きました。
■番組情報
TOKYO FM『JET STREAM』
毎週月曜~金曜 00:00~00:55
TOKYO FMをはじめとするJFN全国38局ネットで放送
パーソナリティ(機長):福山雅治
『JET STREAM』番組サイト
https://www.tfm.co.jp/jetstream/
福山雅治 OFFICIAL WEBSITE
https://www.fukuyamamasaharu.com/
俳優の織田裕二が主演し、Hey! Say! JUMPの中島裕翔が相棒を演じる4月スタートのフジテレビ系“月9”ドラマ『SUITS/スーツ2』の公式ツイッターが18日更新され、撮影オフショットを公開した。
2018年10月期に放送された前作では、名作ドラマ『東京ラブストーリー』以来、27年ぶりに再タッグを組んだ織田と鈴木保奈美。
シーズン2となる今回は、全米メガヒットドラマ『SUITS』のシーズン2を原作に、負け知らずの敏腕弁護士・甲斐正午(織田)と経歴詐称の天才ニセ弁護士・鈴木大輔(中島)がさまざまな訴訟に向き合い、問題を解決していく。
鈴木は代表弁護士の幸村チカを演じている。
ツイッターでは「甲斐先生と我らが代表チカさん」というコメントともに、織田と鈴木の2ショットを公開。
「保奈美さんの撮影をしていると、撮影が終わった織田さんがひょっこりしてくださいました」と撮影時の状況を伝え、「甲斐先生とチカさんの貴重なオフショットでした」と紹介した。
この投稿にファンから
「待ってました!」
「貴重なお写真ありがとうございます!」
「お二人共可愛いくてほっこりしました」
「オチャメな織田さんだいすきです!してやったりな保奈美さんもキュート!」
「同世代の永遠の憧れです」
「あの、ラブストーリーが甦ります」
などの声が寄せられている。
昭和音曲同好会も早や第4回
今回も幹事山潤さんのご尽力と
木下さんの情報提供などを得て
新宿にて盛大に挙行されました (^_^;)
▲木下さんご提供 あおい輝彦の若き日のレコード

▲最近のあおい輝彦
▲故美空ひばりさんの家政婦の3人
辻村あさ子、斎藤千恵子、関口範子
いい話だなぁ~
ひばりさん お元気なら今82歳
戦後の歌謡界が生んだ 二番目の天才
一番はもちろん 藤圭子 (T_T)
日本の戦後歌謡史に大きな足跡を残した美空ひばり。
6月24日は30回目の命日に当たる。
生前のまま残る東京・目黒区青葉台の自宅(現在は、美空ひばり記念館)には、住み込みで働いていた「おのり」「ちーこ」「あさこ」が今も住んでいる。
ひばり邸の「三婆」(さんばば)とも「妖精」とも呼ばれる3人。
ひばりの死後30年たっても、あのころのまま「『お嬢さん』が生きていた時と同じように」と暮らし続けている。
3人の朝は午前6時、仏前で火打ち石を打つことから始まる。
公私にわたってひばりを支えた母、喜美枝が、舞台へ向かう娘のために祈りを込めた習わしだった。
母の没後は、ひばりが仏前で打つようになって、その習慣を3人が引き継いだ。
耳のいいひばりは、台所のテーブルを動かす、わずかな音でも目を覚ました。
だから静かに、お嬢さんを起こさないように朝食の支度をする。
「今朝の食事はいかがでしたか」。
食事を担当してきた「あさこ」が仏前で尋ねる。
返事はない。
だが「おいしかったよ」という言葉を夢想して、あさこはひとり、うれしくなる。
日中は、自宅に併設する記念館をファンが訪ねてくる。
身近で見てきたひばりの素顔を今に伝える「語り部」としての役割が、3人の仕事だ。
「お客さんに『ひばりさんがここにいて、迎えてくれたみたいだわ』
なんて言われると、本当にうれしくて」
現場で付き人を務めた「おのり」の笑みがこぼれる。
ひばりの主演映画やコンサートの録画を3人で見る。
映像に合わせて誰ともなく歌い出す。
かわいらしい衣装や小物を見れば「お嬢さん、こういうの好きよね」などと語り合う。
「飽きる? いいえ、お嬢さんの話題は次から次に出てきますから」。
おのりとともに現場の付き人だった「ちーこ」が破顔する。
現在のひばり邸を新築する際、3人に個室を、という話もあった。
だが、固辞してそのまま、豪邸の隅っこ、10畳の和室で川の字になって寝る。
「お嬢さんが夢に出てくることは、ほとんどありません。夢でもいいからお話ししたいのに。なぜでしょう」と3人は口をそろえる。
長年、公私にわたって芸能活動を支えた3人を、ひばりは生前、とても大切にした。
ひばりの死後、誰も「辞める」と言わなかった。
「出て行け」とも言われなかった。
付き人として、ひばりと暮らしたあのころのまま、昨日と同じ今日を生きていたら、いつのまにか30年がたった。
これからのことなど考えたこともない。
明日も今日のように生きるつもりだという。
3人の夢、生きがいは、昔も今も「お嬢さんのそばにいること」。
おのりは言う。
「たった一つの願いがかなった人生です。私たちは本当に幸せです」
(以上、敬称略)
「おのり」こと関口範子さんは1940年(昭15)、「ちーこ」こと斎藤千恵子さんは37年、ともに東京都で生まれた。
「あさこ」こと辻村あさ子さんは50年生まれで静岡県出身。
いずれも熱烈なひばりファンだったが、ひばりの母、喜美枝さんに声をかけられて、住み込みで働くようになった。
おのりは商社勤務を経て61年、ちーこは66年から、ともに付き人に。
あさこは農協勤務を経て73年から料理係を務めた。
それぞれのあだ名は、ひばりがつけた。
現在は、東京都目黒区の美空ひばり記念館(旧ひばり邸)で案内係としても働いている。
4月15日(月)池袋にて
昭和音曲同好会の設立総会が恙なく挙行されました
▼昭和音曲同好会の創立を厳かに宣言する菅義偉・内閣官房長官
1982年4月5日、坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャート1位を獲得した。
1982年といえば、私が大学を卒業した年である。
在学中にアルバイトをしていたCBSソニー(当時)のTさんから「就職するのならば新しくできる会社がいい」と薦められ、できたばかりのロンドンレコードを受け、何度かの面接の後、なんとか合格。
4月から入社する予定だった。
社会人になるそれまで、いわゆる卒業旅行として、以前お世話になった、LAで「ハリウッド・ミュージック・ストア」を営んでいるMさんのところへ3か月ほど行く予定を立てていた。
そんな矢先、「邦楽第1弾を2月に出すことになったので、1月からアルバイトとして来てほしい」とロンドンレコードから連絡があった。
渋々、ソ連大使館の脇にあった就職先の会社へ行くと、その邦楽第1弾はYMOの坂本龍一さんとRCサクセションの忌野清志郎さんのコラボレーションだという。
「へえ、YMOとRCとはすごいじゃん」というのが、大学卒業前のアルバイトとしての実感だった。
1月上旬に新入社員となる我々(と言っても3人だが)が集められた時点で、すでにレコーディングは終わっており、ミックスの作業をしているという新富町の音響ハウスに連れて行かれた。
そこにはちょうど夕食のお弁当を食べている牧村憲一さんがいた。
挨拶をすると、「いやあ、今回僕は仲人役ですから」と言って自己紹介をされた。
牧村さんは資生堂のCM音楽のディレクターであり、またレコード原盤のディレクターという立場であった。
そこで初めて「い・け・な・いルージュマジック」とB面の「明・る・い・よ」を聴いた。
聴き終わると、スタジオにいたみんなの顔が“パアッ”と明るくなったのを憶えている。
さて、最初の私の仕事は宣伝だった。
邦楽第1弾であるこの「い・け・な・いルージュマジック」を各媒体に売り込むことである。
そして、ロンドンレコードからの宣伝請負人として吉見佑子さんが小さいけれども大きな声でさっそうと現れた。吉見さんに連れられて、出版社を中心にいろいろなところを回ったものだ。
当時、写真週刊誌の先行雑誌であったFOCUSが売れ行きを伸ばしていた。
何とかFOCUSの記事を取れないものかと宣伝会議でも議題に上がり、集英社なども担当していた私がFOCUSへ出向き、売り込むこととなった。
アポイントを取り、会ったのは記事を担当するフリーの記者であった。
今となっては誰だったのか知る由もないのだが。
使う写真は十文字美信さんが撮った宣伝用のポスターを使うことで合意した。
当然、記者としては内容を面白くしようとする。
曲も認知もされ、プロモーションビデオもかなり流れて話題になっていたので、そのPVのことをかなり取材された。
当時、「い・け・な・いプロジェクト」では撮影時のエピソードとして「撮影に使ったお金はすべて本物で、なぜか2万円がなくなっていた」というストーリーを作り、我々はそれを使っていた(2万円が紛失したのは本当の話で、その2万円は牧村さんが個人的に立て替えたそうだ)。
取材する記者に「撮影後、2万円が紛失していたのだけれど、それはもしかしたら清志郎の仕業かもしれないですね。いや、真相はわからないのですよ」と、なんとなくその場を盛り上げるプロモーショントークの延長のように言ってしまった。
FOCUSでの記事は掲載され、ヒットを後押しするための有効な宣伝となり、私はミッションを達成。
当時の役員から「これが欲しかったんだよ! ごちそうするぞ」と言っていただき、吉見さんからも「犬も歩けば棒に当たるのね」とおほめの言葉をいただいた。
しかし、後日、忌野清志郎さんの所属事務所の社長である奥田義行さんが会社にそのFOCUSを持ってやって来た。
ずいぶんとご立腹で、記事の中の「2万円は忌野清志郎が持って行ったことが判明した。
坂本龍一は新宿高校で、忌野清志郎は日野高校。その育ちの違い」という、正確な文面は覚えていないが、そこの部分に赤線を引いて何やら宣伝部長に言っている。
そこから聞こえたのは「これは杉岡がやったことですから」。
「え?! そりゃないでしょう!」初めて味わう大人の社会の仕組み。
だいたい、新宿高校と日野高校で何の育ちの違いがあるのか訳が分からない。
当時は原稿の事前確認なんてことはまったくできなかった。
まあ、そんなことも今となっては40年ほど前の楽しい思い出だ。
後年、間違った記事を見受けるが、撮影で使用されたお金は一部を除きそのほとんどはダミーのお札。
もちろん、清志郎が2万円を持って帰ったという事実もない。すべては私の若さゆえのことである。

【著者】杉岡中(すぎおか・あたる)
「大人のMusic Calendar」編集長。
ロンドンレコードでRCサクセション、坂本龍一を担当。
MIDIレコードを経て角川書店へ入社。
「月刊カドカワ」、「The寂聴」「月刊短歌」などの編集長を務める。
現在は「大人のMusic Calendar」の傍ら、ニッポン放送のサイト「1242.com」で編集を担当。
また瀬戸内寂聴等の書籍プロデュースを行っている。